2010/09/04

「性」による「生」のための「死」

書籍「ヒトはどうして死ぬのか -死の遺伝子の謎-」(田沼靖一 幻冬舎新書)には、次のような言葉が書いてありました。「性」による「生」の連続性を担保するためには「死」が必要である(p.147)

この本はアポトーシスという細胞の死亡プログラムの説明に始まり、「人はなぜ死ぬのか」という問いを生物学的に、そして哲学的に考察されていました。予想以上におもしろかったです。


■「性」による「生」

有性生物は、父親と母親から一組ずつの遺伝子をそれぞれ受け継ぎます。よって、子の遺伝子は父親のそれとも母親のそれとも異なる新しい遺伝子の組み合わせとなります。このメカニズムは別の見方をすると、「性」によって遺伝子のシャッフルが行われていると捉えることもできます。

このような有性生殖によって、子孫が新しい遺伝子組成を持つことのメリットはどのようなものでしょうか。それは多様性です。つまり、子孫の多様性により、ある子孫は環境の変化に適応でき、また、ウイルス等の外敵に対する抵抗力を持つことを意味します。これが、私たち人間を含む有性生物の「『性』による『生』の連続性を担保する」という戦略ではないでしょうか。


■「性」による「生」のための「死」

では、「生」のための「死」とはどういうことでしょうか。生きるために死ぬと言われると、一見すると矛盾しているようにも聞こえますが、書籍「ヒトはどうして死ぬのか」を読むとその意味がわかります。ここで言う「死」とは、細胞の死を指していて、「生」のための「死」が意味するのは、人間が生きるためには時として細胞は自ら「死」を選んでいるというものです。

今回取り上げている書籍「ヒトはどうして死ぬのか」によれば、我々の細胞の死は3つのパターンがあると説明されています。3つとは、アポトーシス、アポビオーシス、ネクローシス。簡単にまとめると下表のようになります(表1)。


このうち、アポトーシスとアポビオーシスは、遺伝子に支配された細胞の死としています。そして、「生」のための「死」を考える上では、アポトーシスがポイントとなります。またアポトーシスは本書のキーワードでもあります。

アポトーシスとは、細胞の自殺であると著者は言います。ではなぜ細胞は自ら死の道を選択するのでしょうか。本書では、アポトーシスには「生体制御」と「生体防御」という2つの役割があるとされています。

生体制御とは、個体(例えば人間)の完全性を保つ役割です。どういうことかと言うと、もし細胞が無限に増殖すれば私たちの身体は無限に大きくなりますが、そうならないのは個々の細胞が個体全体を認識し不要な細胞が自ら死ぬことで、人間としての個体を保っているのです。

もう1つの役割である生体防御では、例えばウイルスやガン細胞などの内外の敵が現れた場合、敵による異常をきたした細胞がアポトーシスによりその細胞を消去することで、個体全体を守る機能を果たしています。

ちなみに、私たち人間の成人の身体は約60兆個の細胞でできているそうです。うち、1日で死ぬ細胞数は3000億~4000億個ほどで、重さにして約200gとのことです。これにより、老化した細胞や発ガン性物質により異常となった細胞が消去されます。こうして私たちの身体では日々新しい細胞へと入れ替わっており生きているのです。つまり、人間の「生」のための細胞の「死」なのです。


■ヒトはどうして死ぬのか

ここまで、「死」を細胞のレベル、とりわけアポトーシスという細胞自らの死を見てきました。そこで、今度は「死を人としての死」を考えてみます。「ヒトはどうして死ぬのか」という本の特徴は、なぜ人は死ぬのかについて生物学的な側面と哲学的な側面の両方から書かれている点だと思います。

本書によると、動物の最大寿命と細胞上限分裂の回数は比例していると言い、それによると人間の最大寿命は120歳のようです。もちろんこれは理論上の数字であり、実際には紫外線・化学物質や暴飲暴食・ストレスなどの様々な後天的な環境・生活要因で、人間は最大寿命まで生きることができないのが現実です。

本書を読んで考えさせられたのは、「人はなぜ死ぬか」という命題についての哲学的考察でした。細胞のアポトーシスについてあらためて考えてみると、アポトーシスとは、ある細胞が自ら死を選択することで全体の細胞(例えば人間)が生きているという構図です。すなわち、個が利他的に振る舞うことで全体は利己的な存在でいられるのです。

では個を人間と捉えると、全体は何になるのでしょうか。それは人間の集合である人類と捉えることができると思います(なお、本書では全体を地球にしていますがこの記事の文脈上、全体を人類としました)。細胞はアポトーシスにより全体である人を生かしました。これと同じことが、人間と人類においても当てはまるのではないでしょうか。


■生きるとは何か

これは、自分の死生観とも言えることですが、生きることとは次の世代に何を残すかだと思っています。残すというのは、直接的には子孫を残すことであり、間接的には自分の経験や考え・意見、あるいは生き様を他人の心の中に残すことだと考えています。

子孫を残すことだけであれば、例えば産卵後すぐに死んでしまう鮭などと同様に生殖期間だけでその役割を果たすことができます。しかし、人間は生殖期を終えてもその後も何年も生きることができる動物です。この意味を考えたとき、前述の間接的な役割もまた大きいのではないでしょうか。これが、人間が社会の中で生きることの意味でもあるように思います。


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田沼 靖一
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