投稿日 2011/03/21

今だからこそ考えてみたい少女パレアナの「ゲーム」




昨日は以前に読んだ「少女パレアナ」という本を読んでいました。この本に出てくる「ゲーム」のことを思い出し、もう一度読みたくなったからです。

■ 少女パレアナの「ゲーム」

主人公のパレアナは愛する両親を亡くしてしまった11才の幼い少女です。

彼女は孤児になったことで、叔母に引き取られます。このパレー叔母さんは気難しい人で、パレアナの周囲には同年代の子どもも少なく、叔母以外の周りの大人たちも時としてパレアナのことを冷たく扱います。

しかし、パレアナは明るくその素直な性格で、次第に周囲の大人たちを変えていきます。

大人たちの冷たい心を変えていったのには、もう一つ大きな要因があります。それがパレアナが小さい頃からやり続けているゲームでした。パレアナは「何でも喜ぶゲーム」と表現し、どんなこと・状況からでも喜ぶことを探し出す遊びだと言います。

ゲームのやり方は次のようなものです。

パレアナがパレー叔母さんの家にやってきた時、これから使うことになる屋根裏部屋に案内されます。パレアナーは自分一人の部屋を持てることにうれしくなります。イメージは膨らみ、カーテンと絨毯、そして壁にある絵にはきれいな額がかかった、かわいらしい部屋が自分のものになると期待を抱きます。

しかし、案内された部屋はパレアナのイメージとは程遠いものでした。壁にはなんの飾りもなく、屋根裏部屋なので、部屋の向こう側は屋根がほとんど床まで下がっていました。パレアナは息苦しさすら感じます。

パレアナはそんな状況でも喜びを見出します。

鏡のない部屋だから(自分が気にしている)ソバカスを見ないで済む、壁に絵がない代わりに窓からは、教会や木々・川が流れている景色を喜びます。そして、叔母さんがこの部屋をくれたことをうれしいと言ったのです。

これ以外にも、病気で長く閉じこもりがちな夫人を元気づけたり、足を骨折した町の誰とも話さないペンデルトンという男性の性格も変えていきます。

こうして周囲の人たちから愛される存在となったパレアナですが、ある時、自動車事故に巻き込まれてしまいます。そして、それが原因で腰から下が全く動かない下半身不随になってしまうのです。

どんなことにも喜びを探し出すことが得意なパレアナですが、この状況では何一つとして喜ぶことが思いつかなくなり、ただただ泣くばかりです。

そんなパレアナを心配した多くの人たちがパレアナを元気づけようとお見舞いに来ます。今ではパレアナのゲームは町中に広まっていました。だから今度は、自分たちを前よりも幸福にしてくれたゲームのことをパレアナに思い出してもらおうとしたのです。

ストーリーの最後ではパレアナはこの状況でも喜びを見つけ、うれしい気持ちを綴った手紙を書きます。ネタばれになってしまうので詳細は「少女パレアナ」に譲ります。

■ パレアナのゲームから考えたこと

この何でも喜ぶゲームは、もともとは亡くなったパレアナのお父さんが思いついたものでした。ある時、パレアナはお人形を欲しがったものの、手に入ったのは松葉杖というのが本書の設定でした。

しかし、悲しむパレアナにお父さんはこのように諭します。自分が松葉杖を使わなくていい状況がうれしいことだ、と。

このゲームは見方によればプラス思考にすぎないかもしれません。ただ、今回この物語を読んで感じたのは、単純にプラス思考とは言えないのではないかと思っています。

以下、2つほど、パレアナのゲームから思ったことを書いておきます。

1つ目が、このゲームは自分にとって不都合なことや悲しいことを受け入れた上で、喜びを見出していると感じた点です。例えば、パレアナの次のような言葉が出てきます。

なにかしら喜ぶことを自分のまわりから見つけるようにするのよ。だれでも本気になってさがせばきっと自分のまわりには、喜べることがあるものよ。(p.60)

これは目の前に起こったことをまずは受け入れて、その上で自分のまわりから喜べることを見出しているように思えます。

つまり、自分にとって幸せではないことから目をそらすのではなく、不都合なことに正対することをちゃんとしている。やや私の拡大解釈かもしれませんが、これがパレアナのゲームの大切な点だと思いました。

2つ目が、喜びを探す時の比較対象が他人ではないという点です。

このことを象徴していると思ったパレアナの言葉がこれです。

どうも、あたしはそういう考えかたが好きではないの。ほかの人たちが病気で自分が病気でないのを喜ぶっていうのはほんとうじゃないわ。(p.138)

このセリフは、パレアナの住む家のメイド・ナンシーがお医者さんをうれしい仕事だと思う理由を「自分は健康で、診察する病人のようでないことを喜べる」と言ったことに対するパレアナの言葉です。すなわち、病人・けが人の人たちと比べて喜ぶことに対して、パレアナは「ほんとうではない」と言ったのです。

パレアナのこの考え方は、なかなかに示唆に富むものだと思います。

というのも、私たちはどうしても、(自分よりも幸せではないように見える)他人と比較して、自分のほうが幸せであると考えてしまうのではないでしょうか。

しかし、そもそも、自分のほうその人よりも幸福だと思っても、実はそう見えるだけでその人は自分が認識したよりもずっと幸せかもしれません。また、こうした比較からの幸福感は相対的なものであり、比較対象が自分より幸せそうに見える人になれば、たちまち劣等感に変わってしまいます。

であれば、こうした他人比較から喜び・幸せを見出すことは果たして良いことなのか、それを言っているのがパレアナの上記の言葉なのではないでしょうか。

■ 最後に

少女パレアナ由来の言葉に「ポリアンナ症候群」というものがあります。現実逃避の一種で、楽天主義の負の側面を表す心的疾患のようです。Wikipedia には特徴として、「直面した問題の中に含まれる(微細な)良い部分だけを見て自己満足し、問題の解決にいたらないこと」と書かれています。

確かに、パレアナあるいはこのゲームについて、うがった見方をすれば単なる楽天主義とも言えるかもしれません。ただ、東北関東大震災の影響が依然としてある今、パレアナの姿勢は何か大事なことを考えさせてくれるように思います。


※参考情報

ポリアンナ症候群|Wikipedia


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書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。