2012/03/24

「ドラッカー」と「チキンラーメン」から考えるイノベーション

ドラッカーの「マネジメント - 基本と原則」を久々に読み直しました。ドラッカーは、企業の目的を「顧客を創造することである」と定義しています。そして、企業の基本的な機能に、マーケティングとイノベーションの2つがあるとします。マーケティングについてドラッカーは、顧客の欲求から考えることから始めよと説きます。顧客は何を買いたいのか、顧客が求めている価値は何か。

もう1つのイノベーション。ドラッカーはイノベーションとは「いまだかつで誰も行ったことがないことを行なうこと。誰も知らないことをすること」だと言います。科学や技術そのものでではなく価値であり、その組織の中だけではなく、組織の外にもたらす変化。よって、イノベーションの尺度は外の世界にいかに影響を与えられるかである、と。

■チキンラーメンとカップヌードルに見るイノベーション

最近あらためて思った「これはイノベーションだ」という商品にチキンラーメンがあります。今でこそ家庭で調理するインスタントラーメンは当たり前のようにどの家庭にも台所に1つくらいは置いてありそうですが、チキンラーメンが世に出た50年以上も前の時は、ラーメンが今ほど気軽に食べられる状況ではなかったのです。

世界で初めてインスタントラーメンに商品化に成功したのがチキンラーメンであると言われています。チキンラーメンを発明したのがインスタントラーメンの父とも呼ばれ日清食品創業者の故・安藤百福です。安藤百福は今でいう典型的なベンチャー起業家。チキンラーメンを発売した1958年、当時の安藤は48歳でした。それまでの半生において安藤は様々な事業を展開します。繊維会社の設立に始まり、光学機器や精密機械の製造事業、軍用部品工場、製塩事業などなどです。自伝「魔法のラーメン発明物語―私の履歴書」を読むとその波乱万丈な人生に驚くばかりです。

太平洋戦争の終戦直後、安藤は焼け野原での闇市である光景を目にします。屋台のラーメンに人々がつくる行列。1杯のラーメンを食べるために20-30mくらいの長い行列ができており、並んでいる人は粗末な衣服を着、寒さに震えながらラーメンを口にできるのを待っていたと述懐しています。安藤はここにラーメンへの人々の大きなニーズを見たのです。

実はその後のチキンラーメンとなるインスタントラーメンの開発に着手した当時の安藤は、理事長をやっていた信用組合倒産により無一文になっていた状況でした。自分の資産は自宅だけ。ここで安藤百福がすごいのは、この状況でこれまで全く手がけたことがないラーメン開発に着手したこと。安藤はインスタントラーメンを開発するにあたり、5つの目標を立てます。
  1. おいしくて飽きがこない味にする
  2. 家庭の台所に常備されるような保存性の高いものにする
  3. 調理に手間がかからない簡便な食品にする
  4. 値段が安いこと
  5. 人に口に入るものだから安全で衛生的でなければならない
興味深いのは、どの目標も現代でも十分に通じることです。むしろ、5つ全てを満たしている食品は少ないのではと思ってしまいます。

多くの試行錯誤を乗り越え、チキンラーメンは世に売り出されます。85g入りで1袋35円でした。その当時、うどん玉1個で6円、普通の乾麺1個が25円の時代。それに比べるとチキンラーメンは高い印象です。しかし、チキンラーメンには他にはない価値を持っていました。「お湯をかけて2分でできるラーメン」(当時は3分ではなかった)のキャッチフレーズに見られる利便性。もう1つ価値を持っていたのはチキンラーメンの持つ栄養成分でした。チキンラーメンの鶏がらスープをつくるためにトサカや骨から様々な栄養成分が抽出されていて、発売当時の厚生省は「妊産婦の健康食品」としてチキンラーメンを推奨します。発売当時のチキンラーメンのパッケージには「体力をつくる 最高の栄養と美味を誇る完全食」と書かれていてます(ちょっと言い過ぎな気もしますが(笑))。利便性と栄養食品としての品質、これがチキンラーメンの強みだったのです。発売後、チキンラーメンは「魔法のラーメン」と人々から呼ばれるようになります。

その後、安藤はカップラーメンという新しい市場をつくります。これもチキンラーメン同様にイノベーションです。安藤が発明したカップヌードル以前はインスタントラーメンはどんぶりに自分で麺を入れてお湯をかけるというスタイルでしたが、麺が始めからカップに入れてありお湯を注ぐだけ。よりインスタントなラーメンです。カップヌードルのヒントは、安藤がアメリカにチキンラーメンを売り込みに行った時に見た、アメリカ人はチキンラーメンをいくつかに割り、カップに入れてお湯を注ぎフォークで食べたことから。安藤のそれまでの「インスタントラーメンはどんぶりに入れて箸で食べる」という常識を捨てたことが、後のカップヌードルにつながったのです。

チキンラーメン同様、カップヌードルも発売開始当時、それまでになかった商品だったため、流通には受け入れられませんでした。安藤はその状況でどうすればいいかを考え、カップヌードル用のお湯が出る自動販売機をつくったり、百貨店、遊園地、キオスク、官公庁、警察/消防署、自衛隊、麻雀店、パチンコ店、旅館など、あらゆるルートに営業をかけます。そこにあったのは安藤の「いい商品は必ず世の中が気づく。それまでの辛抱だ」思いでした。

カップヌードルでは発売したその年(1971年)に、銀座の歩行者天国での試食販売も実施したようです。長髪、ジーンズ、ミニスカートの若者がカップヌードルに集まり、立ったまま食べる姿。安藤は、カップヌードル発売前の発表会で立ったまま食べるのは良風美俗に反するから売れないと言われたことを思い出したと言います。

銀座の歩行者天国でカップヌードルを食べる若者(1971年11月)

■イノベーションとは未来の「当たり前」をつくること

安藤百福のラーメン開発。イノベーションという視点で見ても色々と考えさせられます。単に「儲かりそうだ」といった気持ちではなく、「今の社会にない」という問題意識からの開発着手。社会の問題解決を自分の使命とし、市場をつくり、ビジネスチャンスをものにしたのです。

あらためてイノベーションとは何だろうと考えた時に、自分の理解では、イノベーションとは未来の「当たり前」をつくることだと思っています。現在はそれがないが、未来にはあることが当たり前になっているものを世の中につくりだすこと。世の中で当たり前のように受け入れられるということは、それだけ人々のニーズがあったということだし、普及したことの表れでもあります。

安藤百福は、チキンラーメンだけではなくその後のカップヌードルや様々な派生商品を日本だけではなく世界に展開しました。安藤はラーメンを世界の食べ物にしたと言っていいと思います。晩年は宇宙食としてのインスタントラーメン開発にも取り組み、2005年に宇宙食ラーメンの「スペース・ラム」が宇宙飛行士である野口聡一氏も搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー」に持ち込まれました。安藤の死後、ニューヨークタイムズは社説で「Mr. Noodle」というタイトルで安藤の功績に対して最大級の賛辞を送っています。Ramen noodles have earned Mr. Ando an eternal place in the pantheon of human progress. (ラーメンにより安藤は人類の進歩の殿堂の不朽の地位を得た)。参考:Mr. Noodle|New York Times

自分の今の仕事も、新規ビジネスの開発プロジェクトに携わっています。マーケティングとかイノベーション、すなわち「自分がつくろうとしている価値は何なのか」「その価値は顧客の問題を解決するのか」を日々考え悩む状況ですが、チキンラーメンというどこのスーパーにも当たり前のように売っている商品からも色々と考えさせられました。というわけで久しぶりにチキンラーメンを食べたくなってきました。


※参考情報

日清食品クロニクル|日清食品
Made by 日清食品|日清食品
チキンラーメン ニッポン・ロングセラー考|COMZINE
インスタントラーメン大研究 半世紀に渡る進化の歴史と次の商品|日経トレンディネット
その時、偉人たちはどう動いたのか? 日清食品創業者 安藤百福 - 起業事例|DREAM GATE
Mr. Noodle|New York Times
安藤百福|Wikipedia


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