投稿日 2012/05/04

絶対不可能を覆した 「奇跡のリンゴ」 というイノベーション


引用:木村興農社【木村秋則オフィシャルホームページ】


立ち寄ったブックオフで手にとったのが 奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録 という本でした。



この本は NHK のプロフェッショナル仕事の流儀で2006年に放送され大反響を呼んだ、りんご農家・木村秋則さんの話を書籍にしたものです。

サブタイトルに「絶対不可能を覆した」とあります。不可能と言われたリンゴの無農薬・無肥料での栽培を実現したストーリーが書かれています。

無農薬無肥料栽培という非常識を打ち破り、世の中に新しい価値を生んだというイノベーションの話で、おもしろく一気に読めました。


リンゴ栽培に農薬を使わないという「非常識」への挑戦


木村さんは子どものころはおもちゃを分解するのが好きで、真空管からコンピューターをつくろうとしたことがあるくらいだったそうです。もともと自分は効率人間だったと言います。

大規模農業をやりたくて当時は珍しかったトラクターの知識を得るため、本屋さんでトラクターの本を取ろうとした時に、一緒に落ちてきた1冊の本が木村さんの人生を変えました。

表紙には「自然農法」とあり、本の最初に書かれていた「農業も肥料も何も使わない農業」でした。農薬を使うことは当たり前すぎるくらい当然と思っていた木村さんに1つの問いが生まれます。「本当に農薬は必要なのだろうか?」。

この全くの偶然が「無農薬無肥料でリンゴを栽培する」というコンセプトをつくりました。

実はもう1つ、農薬を使わないと決意した理由がありました。それは木村さんの奥さんである美千子さんでした。農薬に弱い体質で、農薬を畑にまくと1週間は寝込んでしまうこともあったそうです。


無農薬・無肥料でのリンゴ栽培は絶対不可能


木村さんは無農薬でのリンゴ栽培に挑戦するも、全く成功しませんでした。そもそも、現代のリンゴは農薬や肥料の使用を前提にした品種改良の結果だからです。無農薬・無肥料でのリンゴ栽培はその前提を覆すもので、絶対不可能と言われる所以です。

試行錯誤を続け、誰よりもリンゴ畑の手入れをするものの、農薬を使わないからリンゴの木は害虫にやられ、すぐに病気になりました。木村さんの畑にあった800本のリンゴの木は全て枯れたとそうです。

リンゴ栽培で生計を立てる木村家が無収入になるのにはそう時間はかかりませんでいた。無農薬栽培に挑戦したころは暖かく見守ってくれた周囲も、次第に木村さんを見る目が変わっていきます。

いつの頃からか木村さんのことは「カマドケシ」と呼ぶようになります。カマドケシとは「かまど」「消し」です。一家の生活の中心にある「かまど」を消すとは、家をつぶし家族を路頭に迷わせるという意味だそうです。最低の侮辱表現でした。

何をやってもうまくいかず、蓄えも底をつき極貧生活を極めました。

木村さんは肉体的にも精神的にも追い詰められていきます。木村さんだけではなく、家庭も壊れていきました。「自分は一体何をしているのか、何のためにこんなことを続けているのか」。

木村さんはついには絶望し、死ぬことを決意します。ある晩、首をつるために手にしたロープを持ち山へ向かったのです。

死ぬ場所を見つけ、首をつるためのロープを木にひっかけようとするも木村さんは失敗してしまいます。これがターニングポイントでした。木にひっかけるのを失敗したロープを取りに行った木村さんの目に、ある光景が開けます。


無農薬リンゴ栽培へのパラダイムシフト


この後のストーリーが本書のハイライトでした。ロープを取りに行った木村さんの目に映ったのは月明かりの下に輝く1本の木でした。人の手が全く入っていない場所で立つ木です。木村さんはそれをリンゴの木と見間違えます(本当はドングリの木だった)。

何年もの間探し続けた答えが目の前にあったのです。そこでは、自然の植物が農薬の助けを借りずに育っていました。

何が違うのか。決定的に違ったのは土の状態だったそうです。「こんなに柔らかい土に触れたのは初めて」。木村さんは無我夢中で土を掘っていました。柔らかくてほのかに温かい土でした。「この土をつくればいい」。

木村さんは今までリンゴの木の見える部分だけを考えていたと言います。土のこと、地下のこと、リンゴの木の根っこのことを考えていませんでした。自然の全体を捉えていなかったのです。

自分がやっていたのは、農薬をまかないだけで虫や病気を殺してくれる物質を探していたにすぎない。因果関係が逆でした。病気や虫が原因で木が弱ってしまったのではない、虫や病気はむしろ結果だったのです。つまり、虫や病気が発生したのはリンゴの木が弱ってしまったからで、自然本来の強さを失っていたためです。

自分のなすべきことは自然を取り戻してやることだと気づきました。

自分にはもう何もできないと思って絶望し、自殺を図ろうとしました。

木村さんは、何もできないと思っていたのは何も見ていなかったからと言います。目に見える部分ばかり気を取られ、全体を見ていませんでした。

雑草を抜くのではなく自然の中では雑草にも役割があります。リンゴの木の下にある土の大切さです。害虫と呼ぶのは人間の勝手で、自然の中では害虫も意味があります。本来、害虫も益虫もないのです。

木村さんは自分の役割は自然という生態系とリンゴの木を調和させることだと言っています。特に印象的だった部分を以下に引用しておきます。

自然の中に、孤立して生きている命はないのだと思った。ここではすべての命が、他の命と関わり合い、支え合って生きていた。そんなことわかっていたはずなのに、リンゴを守ろうとするあまり、そのいちばん大切なことを忘れていた。(p.126)

この部分は、無農薬無肥料でのリンゴ栽培という、常識を破るためのパラダイムシフトです。

リンゴの木だけではなく、自然という生態系全体を見ること、自然の手伝いをしてその恵みを分けてもらうのが農業の本当の姿であり、無農薬リンゴは自然の中でつくります。害虫や病気は原因ではなく結果と捉えます。これが木村さんが長い年月をかけて得た農業でした。

付け加えると、自然という生態系の中で育てる無農薬・無肥料でのリンゴ栽培といっても、リンゴ畑を放置して何も世話をしないというわけではありません。むしろ農薬散布するよりも手間暇はかかります。

例えば、土壌に窒素が不足していると思ったら豆をまく。秋に1度だけ雑草を取る。病気の発生を見極めて酢を散布する。虫が増え始めたら発酵リンゴの汁を入れたバケツを木にぶら下げる。リンゴの葉を見て、随時、リンゴの木を剪定する。こうしたことを丁寧にやる必要があります。


ビジネス化という次のハードル。そして木村さんの夢


無農薬でのりンゴ栽培がようやく実現できても、次のハードルがありました。ビジネスとして成り立たせることです。売って生活成り立たなければ絵に描いた餅なのです。(農薬を使った)一般的な栽培でできたリンゴに比べて、見た目も悪く大きさも小さい木村さんのリンゴです。せっかく作っても当初は全く売れなかったそうです。

ここでも苦労の結果、売れるようになり、その後は注文の FAX がひっきりなしに送られるほどの人気になります。

木村さんのすごいところは、無農薬りんご栽培方法を確立しただけではなく、それをマネタイズしたことです。そして今では講演活動や農業指導を国内外で行なっているとのことです。(蛇足ですが、無農薬リンゴ栽培ができるようになった後の話は本書ではあまり詳しく書かれていないように思いました。良いプロダクトをつくってもそれが売れ収益を上げるようになるストーリーはもっと詳しく知りたかったです)

そんな木村さんの夢は、無農薬りんごを「普通の価格」で売ることです。農薬や肥料を与えてつくったリンゴと同価格で売ることです。

手間暇のかかる木村さんの無農薬・無肥料のりんごはどうしても収穫量が少なくなります。単純に考えればそれだけ1個あたりコストが高いので値段も高くなります。無農薬りんごはぜいたく品のままで、多くの人に食べてもらえません。

1人でも多くの人に食べてもらうためには、木村さんは頼まれればどこへでも出かけ話をするし、栽培ノウハウを専売特許とはしないそうです。普通の農家にも無農薬無肥料でつくれる世の中にしたいという木村さんの考え方は、松下幸之助の「水道哲学」に似ています。


最後に


本書を読むだけでも木村さんの人生は波乱万丈だということがわかります。

偶然、本棚から落としてしまった「自然農法」という本の出会い。リンゴ栽培に当たり前のように使われている農薬への疑問。自殺することを決意しまさに死のうとした時に現れた1本のドングリの木。生からヒントを得た無農薬・無肥料リンゴの栽培方法。その後も試行錯誤が続き、ついには追いつかないほどの木村さんのリンゴへの注文。

どれか一つでも欠けていれば木村さんのリンゴはこの世には存在せず、もっと言うと木村さんはいなかったかもしれません。人間の運命を考えさせられます。

最後に、本書で書かれていた木村さんの言葉を引用しておきます。

リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているのではない。周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている。(p.131)



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書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。