2013/07/28

ネットがもたらした「注意力散漫な脳」は進化?退化?

「カジケンブログ」にこんなエントリーがありました:テレビドラマって、もう一話15分で良いんじゃないの?|カジケンブログ

自分のSNS上で話題になっていたNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」。オンデマンドで観始めたのを機に、テレビドラマは15分くらいが最適なコンテンツ時間なのではと考えるようになった、という内容です。以下は引用です。
まず最初の取っ掛かりとして、15分だったらとりあえず一話ぐらいは観てみようかなという気になりました。YouTubeも一つの動画の長さが最大10分なのでその感覚に近いかも。

逆に言うと、45分や1時間とかだったら観ていなかったと思います。実際今までのテレビドラマを観なかったのは、それが原因。

あと、一話の単位が15分だとちょっとしたスキマ時間で観れます。15分だからこそ「あ、今ちょっと時間あるから次の回を観てみよう」となる。それこそ友達に薦められたYouTubeの動画をさらっと観るみたいな感じで。

これが45分とかだったら、例えば会社の昼休みをほとんど使っちゃうわけでかなりの決断になるし、この違いは大きい。

そもそも、映画館のようなスマホ利用を禁止されている場所以外で、1時間近くも一つのコンテンツを受動的に鑑賞し続けるということ自体が、なかなかしんどい感覚になりつつあります。(読書は能動的な行為なので別です)

あとアーカイブをパソコンやスマホで観る際に、もし45分だとその間にLINEやFacebookでメッセが飛んできたりして、きっと気が散るな、と。そういう意味でも15分で1話完結って、(朝の連ドラはたまたま15分なのだけど)絶妙な時間の長さだと思います。

引用:テレビドラマって、もう一話15分で良いんじゃないの?|カジケンブログ

テレビ以外に自分のまわりに、特にネット上でコンテンツが溢れているなか、確かに15分くらいなら興味関心が続きそうです。映画鑑賞や読書、あとはTVでのスポーツ観戦など、能動的なコンテンツ消費は別として、受動的な姿勢ではコンテンツを集中して見られる時間は10分とか15分くらいが限界になっているのかもしれません。

■ネットがもたらす注意力散漫な脳

思い出したのが、「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」という本に書かれていた内容でした。

本書の主題は、ネットを当たり前のように使うようなり人間の脳に変化が起こっていて、脳が注意力散漫になることへの警鐘です。1つのことに長く集中できないという状態への危惧です。



例えば、頻繁にFacebookやTwitterを見る、メールを受信する度にメッセージ受信のアラートで作業を中断してしまう、など。中断頻度が多いほどそれ以外のことを長くやり続けることが困難になります。

原題は「THE SHALLOWS What the Internet Is Doing to Our Brains」(ネット・バカという邦題に違和感はありますが)。Shallowは浅瀬という意味で、深い集中ができないことを指しています。

本書の中で著者がこの本を執筆するにあたり、あえてネット環境が整っていないコロラド山中に引越し、携帯電話が通じず、ネット回線スピードが遅い状況に身を置いたことを書いています。ツイッターのアカウントをキャンセルし、フェイスブックを休止、RSSをシャットダウンしスカイプもほとんどやらずに、メールのチェック頻度も少なくしたそうです。当初は苦痛どころではないと相当苦労した様子が書かれていましたが、常時接続をやめた新しい環境に慣れるに従い、1つのことへの集中力が増し、執筆活動が大いに進んだとのこと。

注意力散漫な状態で作業を中断して他のことをやるのは時間は短いかもしれませんが、積み上げると結構な時間を費やしています。中断しまた作業に戻った後も、目の前の作業に集中しエンジンがかかるまでに時間もかかります。

原題にある「What the Internet Is Doing to Our Brains」(ネットが脳にもたらしたこと)。知らず知らずのうちに注意力散漫になってしまっています。

■注意力散漫は是か非か

あらためて思ったのはテクノロジーの浸透についてです。テクノロジーが世の中を変えるには、3段階あると理解しています。①新しい技術の登場、②技術が制度/仕組みを変える、③仕組みが人々の生活/世の中を変える。

考えてみると、インターネットの通信はパケットという情報を細分化しデータを細かく送受信する技術が使われています。細分化という技術がまずあり、ネット上の様々なコンテンツを生み出した。(細分化で成り立っている)ネットを前提にした制度や仕組みがつくられ、それを利用する人たちの生活が変わり、世の中も変えている。注意力散漫というのも、1つのことへの集中が細分化されている状態とも言えます。

そもそも、集中が続かないことは、果たして悪いことなのか良いことなのか。

「ネット・バカ」で書かれていたことで興味深かったのが、「人間の歴史のほとんどの期間で脳は注意散漫な状態であった」。なぜなら、他の動物同様に不意に敵に襲われたり、近くにある食料を見落とさないようにするために常に複数のことに注意力を注いでいた、つまりは生存のためです。

もともと脳は1つのことに集中するよりも注意力散漫な状態のほうが自然であった。人間社会が発達するにつれて基本的な身の安全は保証されるようになり、本などから文字情報を獲得するなど、1つのことへの集中力が必要になっていったのです。

これがインターネットにより、また注意力散漫な状態が自然になる揺れ戻しが起きているのかもしれません。ネットにより脳が進化したのか、本来の自然な状態に戻ったのか、それとも退化したのか。考えさせられるトピックです。




2013/07/27

ネット選挙解禁で実感した民主主義に悪影響を及ぼす「フィルターバブル」

2013年の参院選より解禁されたネット選挙。公示後も党/政治家や有権者がネット上で選挙運動ができるようになりました(ただし投票日前日まで)。

これにより投票日までのネット上の選挙に関する情報は、ネット選挙解禁前に比べて増えました。ネット選挙解禁への私のスタンスは賛成なので、ネット上に選挙関連情報が増えること自体は望ましいと思っています。一方で今回の選挙期間で思ったのが、ネットでのパーソナライズ化により起こる「フィルターバブル」です。

■参院選で感じたネットと世の中の乖離

フィルターバブルとは何かの前に、ネット上で起こっていたことから先に話をします。特にSNSの中で顕著だったのが、SNS上で流れてくる情報と実際の世の中の状況で乖離が見られたことです。

具体的には、TwitterやFacebook上で印象的だったのは、東京選挙区立候補者の鈴木寛氏(民主党)を支持する声でした。著名人も含め複数の人たちが支持する理由や応援メッセージの投稿をしていました。特に投票日が近づくにつれ、鈴木氏が当落線上にいるという世論調査もあってか、よく目にするようになりました。

なお、私自身が東京選挙区の中では鈴木氏が最も良いという立場です。候補者の中で、考え方や実現したいこと・実績を比較した上での結論です。なので、「SNS上でよく目にした」というのは、鈴木氏を支持しているが故に関連情報がより印象に残っていた可能性があります。そういうバイアスがあるであろう前提で読んでいただければ。

鈴木氏の支持の情報の次に、SNSで多かったのは同じく東京選挙区立候補者の山本太郎氏に対するものでした。私のSNS上では同氏に対しては支持しない声が多かったです。SNS上では、東京選挙区はこの2人の情報ばかりで、他の候補への言及はほとんどありませんでした。もしSNS上だけの情報しかなかったとすると、明らかに当選するであろうと思えたのは鈴木氏。ところが実際の獲得票数は鈴木氏が55万票、山本氏が66万票。鈴木氏は落選しました。

■パーソナライズ化によるフィルターバブル

TwitterやFacebookなどのSNS上には自分に関心が高い情報が流れやすい仕組みです。情報がユーザーごとに最適化されるパーソナライズ化が顕著に起こるのがSNSだと思っています。

ネットにおける過剰なパーソナライズ化に警鐘を鳴らしているのが、「閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義」という本です。

原題は「The Filter Bubble: What the Internet Is Hiding from You」。インターネットで情報パーソナライズ化されている状況をFilter Bubble(フィルターバブル)と表現していてます。ユーザーごとに情報がパーソナライズ化された状態をあたかもバブル(泡)に包まれフィルター化されていると表現したもの。サブタイトルの「What the Internet Is Hiding from You(ネットで見えなくなっているもの)」は著者の問題意識です。

パーソナライズ化とは、自分が見たい情報だけを取捨選択してくれる状態です。著者はそこに落とし穴があると指摘します。いきすぎたパーソナライズ化は私たちの考え方・思想、行動、そして民主主義にも悪影響を及ぼすとの主張です。

自分が見たい情報だけが見られるということは、逆に言えば自分と異なる考え方や未知なるものとの出会いが減っていくと著者は言います。例えばTwitter。自分の興味関心に近いユーザーをフォローするので、自分のタイムラインに流れる内容はわりと自分に近い考え方という状況がそれです。つまり、このようなタイムラインだけを見ていると、自分とは違った考え方、異なる視点でのものの見方に触れることができない、そうなるとますます偏った考え方になってしまうのではないか、これが懸念される影響です。

現実に起こったのを実感したのが今回の参院選でした。思ったのはSNSの情報というか雰囲気は、必ずしも世の中全体を反映しているのではないということ。考えてみると当たり前なのですが、今回の選挙を通じてあらためて実感しました。

■フィルターバブルと民主主義

この傾向が進むと、民主主義にとって大切な多様な意見に触れる機会が減っていきます。自分の考えに近い情報が多くなります。確かにそんな環境は心地よいかもしれませんが、自分とは異なる考え方や意見を知ること、違う視点を知ることでの発見や、そこから自分の考えも進化します。このプロセスがないままに、各個々人が自分の意見ばかりの世界に入ってしまう。What the Internet Is Hiding from You(ネットで見えなくなっているもの)が人々に実感されないまま、気づけばフィルターバブルに閉じこもってしまいかねません。

だからと言って、情報のパーソナライズ化を止めたり、ネット選挙自体をやめることは現実的な議論ではないと思います。ますますの情報過多が進む現在において、自分にとって必要な/意味のある情報に絞られるパーソナライズ化は有効でしょう。ただし、過剰なパーソナライズ化によるフィルターバブルが発生した時、その中に閉じこもった時が問題になる。今回実感したのは自分のSNS上でしたが、これがもしウェブ全体で起こるとすると、多様な情報へのアクセスができなくなってしまいます。

ネットと選挙、ネットを使って民主主義をどう成熟させるか。だからこそ、ネット上での情報のフィルターバブルをどうするかは、バブルの中にいることに気づかないが故に、結構大事なイシューになるのではと思っています。


※関連記事

ネットの本質から考える「ネット選挙活動解禁」に期待したいこと|思考の整理日記
情報社会の未来:私たちはネットの世界に知らない間に閉じこもってしまうのか|思考の整理日記




2013/07/21

書評「日本の景気は賃金が決める」

「日本の景気は賃金が決める」という本がわかりやすくおもしろかったのでご紹介。

アベノミクス解説本としてだけではなく、経済がより理解できる内容になっています。とても丁寧にデータを積み上げて書かれていて、説得力もありました。何よりデータドリブンなところに好感が持てる本でした。

今回のエントリーでは本書を通じて学んだことを取り上げています。

■物価デフレよりも深刻な「賃金デフレ」

著者はモノやサービスの価格が継続的に下落する物価デフレよりも、深刻なのは「賃金デフレ」であると言います。物価デフレと賃金デフレが1998年以降で同時に起こっており、下落が大きいのは賃金デフレであると。

本書で紹介されていた総務省と厚生労働省のデータを見ると、1997年から2011年までにおいて、
  • 消費者物価指数(コア指数):年平均0.23%下落
  • 賃金指数(現金給与総額):年平均0.92%下落
と、賃金が4倍下がっています。なお、賃金指数とは基本給に残業やボーナスも含んだ全ての給与を合計したもの。1人当たりの賃金(給与)の動向を示す指数です。

物価よりも賃金の下落が大きかったことは重大な意味があります。物価下落を上回るスピードで賃金が下がったということは、両者の差だけ生活が苦しくなったということ。消費が伸びず、不況がますます深刻になり、それが賃金下落につながる。消費が伸びないという悪循環になり、賃金デフレが起こったのでした。

なぜ賃金デフレになったかには日本企業の構造的な問題があると著者は指摘します。

1998年〜2008年までは資源価格が上昇した期間でした。輸入物価は26.9%上昇しこの間の輸入依存度平均は12.1%なので、2つを掛け合わせた3.3%分、国内の物価を押し上げました。ですが、GDPデフレーターでみた国内物価は同期間でマイナス14.5%。輸入物価が上昇したのであれば、その分だけ国内物価が上がってもよさそうなのに、現実は逆だったのです。

こうした状況で起こったことは、多くの特に中小企業において、資源/材料高に伴うコスト増をモノ/サービスの値上げにつなげられず、利益を確保するために賃金を下げたのでした。賃金デフレが深刻化した構造的な問題です。

■構造的な賃金格差:「男・大・正・長」vs「女・小・非・短」

賃金デフレは皆に一様に起こったのではなくバラツキがありました。賃金格差が拡大し、著者はここに問題があると指摘します。

賃金の格差はあるパターンで見た時に顕著に現れます。それが「男・大・正・長」vs「女・小・非・短」。男性で、大企業で働き、正規雇用、長年勤務している人は高い賃金を得ています。反対の、女性で、中小企業で働き、非正規雇用、勤務年数が短い人は賃金が低い。賃金格差には4つの項目があり、①男女、②企業規模の大小(大企業or中小企業)、③正規/非正規の雇用形態、④勤続年数の長短。4つの条件のうち、1つでも多く当てはまるほど格差は大きくなります。

本書のデータで見るとよくわかります。厚生労働省の「平成24年版労働経済白書」によると、男性で正規雇用フルタイム労働者の平均年収を100とすると、
  • 女性・正規雇用・フルタイム:72
  • 男性・非正規雇用・フルタイム:58
  • 女性・非正規雇用・フルタイム:43

ちょっと話が脱線しますが、私の意見としては賃金格差が生じるのは「あり」と考えています。ただし、格差要因が仕事に生み出せる付加価値や能力によっての場合です。今後はますますのグローバル化やITによって、高付加価値の人材とそうではない人材の所得は自ずと差が大きくなると思っています。一方で、本書にあるような、男女・大企業/中小・正規/非正規・勤続年数などの、付加価値とは異なる条件で賃金格差が生じ、大きくなるのは問題と考えます。

■日銀などの中央銀行は、金融引締は得意・金融緩和は苦手

本書からの3つ目の学びは、中央銀行による金融引締と金融緩和について。まず、不況が深刻な場合に日銀などの中央銀行が行なう金融政策は基本的に2つあります。
  • 政策金利を下げる。企業や個人がローンを組む金利に影響を与えることで、企業や個人がお金を借りやすくする
  • マネタリーベース(日銀が直接コントロールできる貨幣量)を増やすペースを高め、民間銀行が企業/個人にお金を貸しやすくする
金融引締はこれとは逆のことを行ない、企業や個人がお金を借りにくくする政策です。

なるほどと思ったのは、中央銀行は金融引締は得意だが、金融緩和は苦手という構造問題があるということ。日銀が金融緩和で、企業や個人がお金を借りやすい状態にしたとしても、実際に借りさせることはできません。あくまで企業や個人がお金が必要という状況が必要です。

本書にあった犬の首輪と手綱の例がイメージしやすいので引用しておきます。
金融政策は、犬の首輪につけた手綱を操るようなものだといわれることがあります。早く走ろうとする犬の手綱を引っ張って、犬にブレーキをかけるのはやりやすい。金融引締がこれに当たります。

他方、犬をもっと遠くに行かせたいと思って、手綱を緩めても、犬自身が遠くに行こうとしなければ、効果はない。金融緩和はこれに近い感じの政策です。

引用:書籍「日本の景気は賃金が決める」

中央銀行が消費者物価上昇率の目標を設定する「インフレターゲット」。黒田日銀は15年までに2%の上昇率を目標に掲げています。インフレターゲット(目標)は、もともとは「高すぎるインフレ率を抑制するための金融引締の手段」であり、今の日銀はその逆のインフレ率を高めるための金融緩和の手段として設定されています。

★  ★  ★

最後にもう1つだけ。相対的貧困率という指標があります。これは、日本の全国民の年収を順に並べ、真ん中の人の年収(中央値)に対して、半分よりも少ない年収の人が「相対的貧困」です。

相対的貧困率を子育て支援の視点で見た時、政府による所得再配分の前後で見ると、なんと、再配分後のほうが相対的貧困率が上がるのです。本書には再配分前の子供の相対的貧困率は12.4%、配分後は13.7%とあります。つまり、日本政府による支援が何もないほうがまだましということ。これは日本の社会保障がいかに高齢層に偏っているかを物語っています。日本政府は子育て世帯の家計を結果的に悪化させているのです。OECD加盟先進30ヶ国の中で日本だけです。




父として子に何を語るか

「今、父は子に何を語るべきか」という本を読みました。タイトル通りに父親として子に何を語るべきかを、著者の人生観や日本社会、家族内での父親の立場/存在感の低下を指摘しながら書かれています。

9月上旬に自分の子ども(第一子)が生まれる予定で、あと1ヶ月半ほど。奥さんも先週から産休に入ったのでいよいよという感じです。そんな状況で本書を読んだので、自分だったら子どもに何を語るかを考えてみるきっかけになりました。

1.「大切なもの」を大切にしてほしい

言葉にすると当たり前に聞こえますが、自分にとって「大切なもの」をちゃんとその通りに大切にしてほしいと思っています。「大切なもの」は本人が大切と思うものなので、まずは自分にとって何が大切かを考えるところから。家族、友だち、自分が置かれた環境、食事、自分が好きなこと。

子どもは特に小さい時は好奇心の塊です。自分がおもしろいと思ったり、知りたい/疑問に思ったこと、親としては子どもの興味/関心を削がないようにしたいし、子どものやりたいことを尊重し、サポートできるような立ち位置でありたいと思っています。

自分が大切と思うことには、そう思う理由があるはず。好きだったり、楽しいと思う気持ちを大事にしてほしいです。自分の心に逆らうことなく、大切なものを大切にしてほしい。そこには感謝の気持ちも添えて。ちょっとしたことでも「ありがとう」と思え、それを言える子になってほしいなと思っています。

2.自分の頭で考え、自分で判断し決めること

小さい時に全て自分で考えて決めることは難しいかもしれませんが、なるべくは最終的には自分で決めてほしいと願っています。考えるため/決めるためのアドバイスだったり、判断材料を伝えることは親としてやるけど、決めるのは本人というスタンスです。

まずは自分の頭で考えること。時間がかかってもいいし、時にはミスジャッジをするかもしれません。それでも、最終的に自分で決めることを続けてほしい。ミスってもそこから学べばいいので。

時には親としての考えと、子どもの考えが異なるケースも出てきます。その時も、頭ごなしに子に伝えるのではなく、お互いになぜそう思うかを話せる関係でありたいです。その上で子どもの考えに理解できるのであれば、たとえ自分とは考え方が違っても尊重し、自分の考え/判断にそってあとは子に任せきることができるのが理想です。子どもにはその子の人生があるので、自分の人生は自分で決めるような子になってほしいなと思います。

3.死について(死生観)

生と死は難しいテーマですが、ここもすぐにではなくても自分なりの考えを持ってほしいと思っています。

私自身の場合で言うと、幼稚園くらいの時に人は死ぬとどうなる、みたいな話を聞きました。親から聞いたかどうかまでは記憶にないのですが、自分にとってショックだったのは、死ぬともう二度と生き返ることはないとわかったことでした。それまでは死んでも生き返るとなぜか思っていて、希望的な解釈が間違いとわかったことと、死ぬと永遠に生き返らずに死んだままということに強いショックを受けました。

初めは永遠という言葉の意味がまだうまく理解できなかったのですが、100年たっても、1000年、1万年たっても、どれだけ時間が過ぎても生き返ることはない、そうイメージできた時、永久に/永遠にという意味が実感できた記憶があります。

死ぬと二度と生き返ることはないとわかった後に思ったのは、親や家族が死んでいなくなってほしくない、友だちも死んでほしくない、そして自分はまだ死にたくない。夜になると死が不安で眠れなかったのをよく覚えています。

そのうち、いつかは自分も含めてみんな死ぬこともなんとなくわかってきました。いつか死ぬことがわかると、自分の時間や人生も有限なんだなということが、今言葉にするとこう言えるのですが、当時の自分もなんとなく実感できました。それ以来、自分の頭の隅っこに死がありました。何かのタイミングでふと考えるというか。時間を大切にするようになったし、人生もいつかは終わると考えられるようになりました。

死生観については、あまり子どもが小さい時にはテーマとしては難しいかもしれません。ちょっとずつ、例えばセミが1週間で死んでしまうことだったりの、身近なところから子どもと一緒に考えてみるといいかもしれません。

★  ★  ★

先日、妊婦検診に付き添って、エコーによる胎内の様子を見せてもらいました。お医者さんに子どもが男の子or女の子を聞いてみたところ、女の子なのではとのこと。個人的には男の子が欲しかったのですが。奥さん曰く、一日中かなり動いているようなので、元気な子が生まれてくることを祈っています。


2013/07/20

ネットの本質から考える「ネット選挙活動解禁」に期待したいこと

インターネットの本質は以下の3つだと思っています。
  • 個の情報発信
  • 双方向性
  • 履歴が残る
簡単に言うと、個人やモノなどの個のレベルでネット上に情報発信ができ、情報は個々の間で双方向に流れる。また、アクセスや表示、ウェブページ自体もアーカイブされることで履歴がデータとして残る。

今回の参院選からネット選挙が解禁されました。現時点でのネット選挙解禁について考えてみます。

ちなみに、ネット選挙解禁と言っても、できるようになったのはネットによる選挙活動であり、ネットからの投票はできません。ネット選挙運動解禁で期待される効果の1つに投票率アップがありますが、ネット選挙投票もできるようになると投票率は上がるでしょう。ただ、アメリカでもまだネット投票は実現されておらず、現状では難しい印象です。個人的にはせめて投票券を往復はがきにして、はがき投函で投票できるといいなと思っています。

■個の情報発信

さて、本題。ネットの本質で書いた1つ目の「個の情報発信」。これをネット選挙解禁に当てはめてみます。

ネット選挙解禁により、各政治家が自分のホームページ、ブログ、Facebookやツイッターなどから、選挙公示後も情報発信ができるようになりました(更新できるのは投票日前日まで)。

従来であれば、公示後の立候補者の主な選挙活動は、ポスターの掲載、ビラ配布、街頭演説、選挙カーによる連呼。いつも思っていたのが、これらの活動は多くの有権者にとっては深い情報があまりわからないということ。特に接触する機会が多いボスターや選挙カーからわかるのは、立候補者の名前、所属政党、抽象的な主張くらい(街頭演説はずっと聞いていれば、その政治家は何をしたいのかはわからなくはないですが)。

つまり、政治家を選ぶための情報が選挙活動量やかけたコストの割に足りない。結局、投票する政治家を選んだ理由が雰囲気、みたいな状況になります。ポスターの感じや選挙カーの名前・よろしくお願いします連呼だけの印象から選ばれるという。

「個の情報発信」ということで期待したいのは、政党よりも政治家個人について、この政治家の主張/活動は共感できるので「この人を応援したい」という政党依存からの脱却です。支持政党とは別に応援したい政治家ができやすい環境ができるようになってほしい。そうなると、政治が身近な存在になります。政治家が主張することは社会の問題と解決なので、自分事して考えられるようになることで政治参加意識の高まり、ひいては投票率アップまで。

マスメディアに出る政治家は各党の代表、もしくはそれに近い限られた政治家だけです。ネットも選挙活動に使えることで、これまでは2割の政治家がマスメディアで8割の情報発信をしていたのが(この数字はイメージです)、多くの政治家がネット上で主張できることで、多様な意見/議論が生まれることを期待です。

■双方向性

ネット選挙解禁によりもう1つ期待したいのが、政治家と有権者の双方向のやりとりです。従来であれば、政治家→有権者への一方向でのやりとりが中心でした。有権者の声や意見がなかなか政治家サイドに届かない。政治家とのタウンミーティング(対話集会)も存在しますが、参加できる人、そもそも存在を知ることも難しかったりします。

ネットという政治家とコミュニケーションできる仕組みが増えたので、ここでも政治家を身近に感じるようになったり、政治との距離感が縮まる。結果的にネットでの双方向性から有権者の声が政治により反映されることを期待したいです。

■履歴が残る

オンラインでの活動はオフラインに比べて履歴が残りやすい特徴があります。

ネット選挙の視点で考えると、政治家のネット選挙活動にログが残ることになります。街頭演説であれば、情報としてはフローですが、演説動画をネット上のYouTube等にアップすればストック情報として蓄積されます。

政治家にとっては自分の発言や情報発信の履歴が残るので、それだけへたなことは言えない。対抗候補者の批判も根拠が求められたりなど、こうした積み重ねにより選挙活動の質の向上を期待したい。

もう1つ期待したいのは、選挙活動におけるデータ活用やマーケティング視点の取り入れです。履歴が残るということは、データとして蓄積されます。データを使って、政治家にとっては自分の選挙活動の効果を可視化できたり、分析結果から次の施策を立てる。データを使った選挙活動の仮説検証ができるようになれば、もう少し科学的な選挙活動になってほしいなと。

選挙活動におけるデータ活用は今後の課題になるし、できる政治家と取り組みをしない政治家では、支持だったり影響力の差が出てくるはずです。

■その他の期待

ネット選挙解禁について、①個の情報発信、②双方向性、③履歴が残る、の視点で考えてみました。あらためて思うのは今回からのネット選挙解禁により期待したいのは、
  • 政治家/党が身近な存在になり、より知ることで選びやすくなる
  • 有権者の政治参加の促進
  • 投票率アップ(特に若年層)

3点目の投票率については、今回はもしかすると下がるように思っていますが、これはネット選挙解禁のプラスの効果よりも、自民圧勝の各種報道や、選挙の焦点が曖昧(自民以外の等の存在感が低いように思う)などの構造的な理由で、有権者の特に浮動票層の投票率が減ると予想しています。

ネット選挙による投票率アップの効果は、明確な支持政党/政治家がいない浮動票だったり、支持政党はあるけど投票に行くのが面倒と思っている人たちに対して、投票所に行ってもらう点にあると思っています。

アメリカ大統領選では、オバマの奥さんであるミシェル夫人がツイッターのダイレクトメッセージで「投票に行きましょう」というメッセージが有権者に送られたとのことで、ファーストレディから直接そう言われれば効果も大きいと思いました。オバマに入れてください、ではなく投票に行こうという呼びかけ方もうまい。

ネットでの選挙活動が一般的になると、ネットとマスメディアの役割もこれまでとは違うものになるはず。マスメディアの報道がネットでの政治家の活動の後追いになるのではなく、マスメディアならではの、各種争点の整理だったり分析が報道されれば、ネットvsマスメディアではなく、ネット&マスメディアとお互いが補う構図です。

今回の参院選で日本でもようやくネット選挙解禁がされました(公示後〜投票日前日)。初のネット選挙ということで、ネットでできること、課題も見えてきます。投票が終わり選挙結果が出れば、ネット選挙活動が終わりではありません。政治家にとっては、むしろスタートであり、今後もどれだけ自分の主張や活動をネットも使って、有権者に知ってもらうか。有権者と政治家の双方向のコミュニケーションを続けられるか。ネット選挙解禁をきっかけに日本の政治の質が上がり、長い目で見て日本の社会をより良いものに変えていってほしいです。

2013/07/15

書評「テレビが政治をダメにした」:参院選の前に読んでおきたい1冊

書籍「テレビが政治をダメにした」(Kindle版はこちら)の著者は、「すずかん」こと鈴木寛氏。民主党政権で文部科学副大臣を務めた政治家です。大学で教授などの歴任もあり、政治家の視点だけではなく、様々な学者の引用もあり、説得力のある内容でした。来週は参院選の投票日でもあり、本書の内容は知っておくべきことだと思いました。

驚かされたのは政治家の一部に「テレビ政治家」という存在がいること。本書ではテレビ政治家の実態が具体的に書かれています。内容は国民にはあまり知られていないものだと思います。

■本来の役割よりも番組出演を重視する「テレビ政治家」

テレビ政治家はテレビ出演を選挙活動の一つと考えており、出演番組のテーマや内容に関係なく、討論番組だけではなく「ビートたけしのTVタックル」などのバラエティ番組にも積極的に出演します。

問題だと思うのは、単に出演するだけではなく、所属する党の方針とは違った発言を持論として展開すること。本書では具体的なケースがいくつか紹介されています。
  • 民主党内の会合で消費増税の議論で、議論が積み重なり取りまとめ段階になってようやく現れるのがテレビ政治家。なぜならこの時になってはじめてテレビカメラの取材が入るため。カメラがまわっていることを確認すると突然手を挙げ立ち上がり、司会の制止を振り切り、テレビカメラに向かって演説を展開し始める。撮影が終了すると、会合はまだ続くにもかかわらず、テレビ政治家は会場からいなくなる。今度は会場の外でテレビカメラの前で取材を受けている。テレビ政治家はテレビカメラが入らない党内の政策議論にはほとんど参加しない
  • テレビ政治家は国会ではなくテレビ優先の行動を取る。国会のスケジュールは最終的には前日or当日に決まる。しかしテレビ局からすると出演が「前日か当日にならないとわからない」では困る。テレビ政治家はテレビ局側に配慮し、国会の日程が入った場合でも国会ではなくテレビに出ようとする。テレビ政治家はTV出演をしてアピールすることができるし、テレビ局に恩を売ることができる
  • 「TVタックル」などのバラエティ番組に出るには、政党を代表する必要もなければ、首尾一貫した政治姿勢が必要なわけでもない。テレビ局側の編集に任せて、テレビ政治家はテレビが喜びそうなことを喋っていればいいと考えている。視聴率を取るために、テレビ局に期待されたステレオタイプな役柄を演じる

問題は、本来の政治家の役割よりもテレビ出演を重視するだけではありません。テレビ政治家は、日頃、政党ではその問題についての政策論議に十分に関わっていないために、国会の論点とずれているとのこと。さらには事実誤認もあり、適当に番組の流れに沿って、適当に喋る。結果、視聴者にとっては政党を代表して政策を述べているかのように受け取られてしまう。

なぜテレビ政治家はテレビ出演を重要視するのか。理由は視聴率の高い番組に自分が出ることで選挙結果に有利働くから。「TVタックル」のような視聴率の高いバラエティ番組に積極的に出演をしようとします。

政治家の間では「TVタックルに出れば選挙に強くなる」と言われ、筆者によると05年の郵政選挙で、比例復活の当落の明暗を分けたのはテレビ。中でもTVタックルのようなバラエティ番組に出ているかどうかが大きいという分析結果が得られたそうです。

■視聴率至上主義の弊害:メディアの消費対象となる政治

本書のタイトルは「テレビが政治家をダメにした」です。ここまでは本来の職務ではなくテレビ出演を重視するテレビ政治家の実態でしたが、問題はテレビ局側にもあります。本書からわかったのは問題の深さで言うとこちらのほうが深刻ということです。

メディア側の問題点は視聴率至上主義の弊害です。視聴率を上げるためにはここまでやるのかという内容が書かれています。視聴率が取れるのであれば、それを面白おかしく放送する。政治家の発言も視聴率を取れるように編集するようです。
  • 著者が出演した際のケース。重要なテーマに関して政策レベルでどのように対応しているかといったことを話しているのに、カットされた。著者はそのテーマを多くの視聴者に伝えたるために、スタジオに行って多くの話をしたにもかかわらず。テレビではまったく意見をいっていないように放送されてしまう。その一方で放送されるのは、出演者に割り込まれたシーンなどテレビ的に面白いとされるところばかり
  • さらには、番組側は出演者が話している順番すら変えてしまう。収録の前半のテーマで話していたコメントが後半のテーマの中で使われ、後半のテーマで使われていたコメントが前半のテーマで話しているように使われる。Aというテーマについて「いや、それはおかしいですよね」と収録では発言したところ、実際の放送を見ると、Aの話題ではなく、別のBのテーマについて「いや、それはおかしいですよね」と言ったように使われてしまう

政治家の発言も視聴率を取れるように編集するのです。著者は、このようにして視聴率至上主義のもとで政治番組のバラエティ化が加速したと言います。

マスメディアの論調も視聴率や雑誌/新聞であれば発行部数をとれるかでコロコロ変わります。本書で印象深かったのが、視聴率が取れる限りにおいて、政治家や党が「消費の対象となる」という指摘。

支持率が高い間は政治家や党をもてはやして視聴率を上げようとするが、支持率が低くなる手のひらを返したように批判の対象に。バッシングの対象として叩く。バッシングすることで視聴率が稼げる。視聴率を上げるために消費し尽くしたとなれば、次にまた別の政治家を持ち上げ、人気に陰りが出ると、バッシングをする。

政権交代すらも消費の対象になります。支持率が落ちた政権では、マスメディアからことごとく叩かれるようになる。政権が一年ごとに次々に変わる要因でしょう。

テレビ局の視聴率至上主義を象徴する発言が本書にはありました。3.11の震災後のエピソードで、以下は本書から引用です。
あるテレビ局のプロデューサーからは耳を疑うような視聴率至上主義の返事が返ってきたのでした。

「水素爆発の映像を流せば視聴率(数字)が取れる。繰り返し流していても数字が取れる。数字が取れているんだし、会社のトップもそれを容認している」

(中略) 緊急時には災害対策基本法下で防災機関としての役割を担うはずのテレビメディアは、そんな状況になっても視聴率至上主義のままで、自分たちの役割を果たさなかったのです。

それどころか、救える命も救えないという事態を巻き起こしたのです。燃料や薬が届かないことで病院機能や搬送体制を維持することができず、多くの命が失われているというのも大事な事実です。しかし、そのことはテレビで大々的に報道されることはありませんでした。メディアの非を自らが認めることになりますから。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

■問われる視聴者のメディアリテラシー

テレビ政治家は知名度や得票率を上げるためにテレビ出演を重視する。時には番組に都合の良いことしか言わない。テレビ局側も視聴率を上げるためにはここまでやる。テレビ政治家もテレビ局も得票率と視聴率を上げるというインセンティブがあり、利害が一致します。

ただ、「テレビ政治家やテレビ局が悪い」だけでは状況は変わらないように思います。本書を読んであらためて思ったのは、私たち視聴者側にも問題があるのではということです。視聴率が上がるということはそれだけ多くの国民がその番組を視聴しているということです。(なお、今回のエントリーではビデオリサーチの視聴率調査は正しい前提としています)

TVタックルのようなバラエティ化した政治番組を視聴者が見る→視聴率が上がる→テレビ政治家がバラエティ番組出演を重視する→テレビ局側もさらに視聴率を上げるためにバラエティ化を加速させる。

「テレビが政治家をダメにした」のは元を正すと視聴者側にも責任がある。もし、政治を正しく伝える番組の視聴率が上がり、バラエティ番組に人気がなければ、上記の悪循環は起こらないはず。つまり、私達ひとりひとりのメディアリテラシーの問題もあると思います。

本書で紹介されていたデータです。日本は、先進民主主義国の中ではテレビへの信頼度が高いようです。国際プロジェクト「世界価値観調査2005」によると、非常に信頼する、または、やや信頼すると回答した人々の割合から、あまり信頼しない、まったく信頼しない人々の割合を引いた数字が、80カ国中、日本は、中国、香港、イラクについで4位。具体的には、日本は+37.9%、米国は-35.3%、イギリスは-34.6%、オーストラリアは-64.5%。日本においては、テレビがいかに世の中に影響を与えているのかがよくわかります。

■あるべき政治家/メディアの役割

本書の著者である鈴木寛さんの主張で同意だったのが、政治家の役割についてでした。以下はその部分の引用です。
政治家の役割とは、「複雑な世の中の課題に優先順位を付けること」です。多くの人の利害がからみ、多様で多岐にわたる選択肢がある複雑な課題の中から、この国にとって現在に必要な解決策の優先順位を提示し、進めていくことなのです。

それは白とも黒ともはっきりとしない優先順位になることだって往々にしてあります。多くの人間が関わり、この国を動かしているのですから、そう簡単にはYES、NOではくくれないことばかりなのです。

矛盾や葛藤を抱えながら苦渋の決断さえもする必要がある。それでも、「その優先順位の選択からもたらされる結果については政治責任を負う」ということで政治家の信頼が確保されるのです。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

しかし、現状のテレビが放送するのは編集で切り取られた部分です。背景や論点、政策議論の経緯だったりはカットされ、Yes or Noを一見わかりやすく伝えるだけ。視聴者も分かった気になってしまう。もう1つ賛同なのが、
本来、ジャーナリズムは、そのステレオタイプを是正するためにあるものです。こういう見方がある、ああいう見方がある。一方でこうした政策もある。とステレオタイプで切り捨てられる部分を拾い上げていく。

すると、多様な情報が議論の俎上に乗ることになり、政治家がどのような背景から優先順位を付けているのかというのが見えてくる。こうした様々な情報に基づいて熟議されることによって、民主主義というのは成立するはずなのです。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

★  ★  ★

今回のエントリーは長くなったので、最後に問題点を整理しておきます。
  • 政治家本来の役割ではなくTV出演を重視するテレビ政治家が存在する。国会日程よりもテレビ出演を選び、さらには、党内の会合/議論には普段は参加しないため、論点がずれていたり事実誤認の発言をテレビでする
  • メディアは視聴率至上主義から、自分たちの都合の良い発言を政治家に求めたり番組編集を行なう。政治家や党は視聴率を上げるための消費の対象となり、人気に乗じて持ち上げたり、支持に陰りが見えると批判の対象に
  • テレビ政治家とテレビ局/番組の利害の一致、持ちつ持たれつの関係は、視聴者にも責任があるのでは。バラエティ化した政治番組の視聴率が取れるということは、視聴者がそれだけ見ている、楽しんでいるということ。メディアリテラシーがあらためて問われる問題
  • 政治家の本来の役割は、「複雑な世の中の課題に優先順位を付けること」。メディアはここにスポットライトを当てるべきだし、国民もテレビ番組の裏では多様な情報が議論の俎上に乗っており、政治家がどのような背景から優先順位を付けているのかまでを理解する姿勢が大切では

「テレビが政治をダメにした」キンドル版は7月21日の参院選までは100円セール中のようです(もとは840円なので88%OFF)。




2013/07/14

書評「未来予測 ―ITの次に見える未来、価値観の激変と直感への回帰」

「未来予測 ―ITの次に見える未来、価値観の激変と直感への回帰」が色々と考えさせられる本だったのでご紹介。

提示されている未来のポイントは2つ。サブタイトルにあるように、①価値観が変わる、②直感の重要性が増す。

■価値観の激変と直感への回帰

1つ目の価値観の変化について。簡単に言うと、「お金に縛られず、自分らしく、仲間と一緒に、生きがいを持って人生を楽しく生きる」という価値観。自分らしく生きたいと考えるクリエイティブな人たちがこれからの社会にとってますます重要になる。

2つ目の直感の重要性について。多くの人が直感で物事を判断し、それぞれが得意とする分野でクリエイティブに生きるようになる。左脳的な発想する人の中から左脳と右脳をバランスよく使う人が増えていく、とのこと。

さらには、クリエイティブな人たちの多くは、精神世界的な真理観を持つようになるだろうと言います。ちなみに、「精神世界的な真理観」とは「目に見えない世界が存在するという信念と、自分と宇宙が1つにつながっているという考え方」という意味。目に見えない世界の存在を信じ、直感を大事にする人が増えるだろうと。

本書の特徴と言っていいのが、著者の湯川さん自身が、自分らしく生きる価値観と人間は宇宙とつながっている真理観を100%信じているわけではない、と言っている点。文章から迷いが読み取れます。

もう1つ特徴的なのは、こうなるだろうという変化に対して「〜になる。なぜならそう思うから」という論理展開が目立つことです。もしくは自分のまわりにそういう人が増えているから、というロジック。このへんはご自身も承知で、自ら内容について支離滅裂と書いています。おそらく本書の評価は割れるはずで、考え方や価値観が湯川さんの意見に近い人は賛同するだろうし、そうでない人にとっては、相容れない主張。

■磨きたい2つの直感

個人的には、お金に縛られず自分らしく生きる価値観と直感の重要性は同意です。

特に2つ目の直感については磨いていきたいと考えています。磨いていきたい直感は2つあって、自分の心や気持ちがわくわくする方を選びたいのと、本質を直感的につかめるようにしたいことです。

何かを判断する時に、色々と考えて様々な可能性を論理的に検討しますが、ジャッジが難しい時は結局は最後は直感で決める。今年になって転職をしましたが、その時の決断はまさにこれでした。最後の判断基準は「転職したほうがおもしろそう」というわくわくした気持ちが前職に残るよりもあったから。

現時点ではこの決断は正しかったし、結果的に直感に従ってよかったと思っています。湯川さんは本書で「直感は時として論理に勝る」と書いています。ただしその前提は、ベースに論理的な思考が十分にあること。左脳で考え尽くしたことがあってこそ、直感が生きるのではと思います。

もう1つ、磨いていきたいと言った本質を直感的につかめるようになること。例えば何かの話を聞いた時、資料を読んだ時やデータを見た際にここが本質というのをパッとつかめるようになりたいと思っています。話のポイントを反射的に理解できるというか。

例えば、何かのデータを見る場合。データがある数表を見た時に、注目すべき値の変化だったり、もしくは数字について違和感がある点をすぐに指摘できることです。イメージとしては、ここがポイントor数字がおかしいと直感的に気付き、そのひっかかりが後で論理的に考えてもそう言えることです。

直感で思ったこと/感じたことが、後からよくよく考えても同じ結論になる。これが本書で湯川さんが言っている「多くの人が直感で物事を判断し、それぞれが得意とする分野でクリエイティブに生きるようになる。左脳的な発想する人の中から左脳と右脳をバランスよく使う人が増えていく」ことなのかなと理解しました。右脳でポイントをつかみ、左脳でそれを証明/補足するイメージです。

湯川さんは、コンピューターが発達すればするほど、人間の価値は直感力やクリエイティビティにならざるを得ない、と言っていますが、直感でポイントを見抜いたり仮説を出せる能力が持てるとすれば、それは人間のコンピュータに対する優位性だと思います。

★  ★  ★

最後に、印象的だった内容を引用しておきます。
怖い気持ち、不安な気持ちを取り去る最大の処方箋は、ワクワクする気持ちである。ワクワクしていれば、勇気などいらない。その方向に進みたくて居ても立ってもいられなくなるからだ。あとはその方向の仕事をやり切るという覚悟を持つこと。途中で諦めたり、めげたりしなければ、確かに未来は変えられると思う。




2013/07/13

Yahoo!のビッグデータ参院選予測から考える「未来予測と選択の余地のジレンマ」

「ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える」という本に、ビッグデータがもたらす3つのパラダイムシフトが提示されています。
  • 限りなく全てのデータを扱う。n=全数
  • 量さえあれば精度は重要ではない
  • 因果関係ではなく相関関係が重要になる

3つ目の因果関係ではなく相関関係が重要は、本書で最もインパクトがある論点でした。ちなみに「相関関係がある」というのは、AとBという2つが同時に起こることで、「因果関係がある」というのは、Aが原因でBが起こることです。

ビッグデータにおいては因果関係よりも、何と何に相関関係があるかさえわかればよく、その組み合わせを見つけることが重要であるという考え方。これまではAとBというわかりやすい相関しかわからなかったのが、大量データをまわすことで、AとTという一見何の関係もない2つに相関があることを発見できるかどうか。なぜAとTにどういう因果関係があるかは気にしないというもの。

■ビッグデータによる未来予測と選択の余地

ビッグデータの活用例として予測があります。大量のデータがあり、数式モデル等も導入することで、データから未来がわかる。一方で、本書で興味深かったのは以下の指摘。
ビッグデータ予測が完璧で、アルゴリズムが我々の未来を寸分違わずはっきりと見通せるなら、我々の行動にもはや選択の余地など存在しないことにならないか。完璧な予測が可能なら、人間の意志は否定され、自由に人生を生きることもできない。皮肉なことだが、我々に選択の余地がないとなれば、何ら責任を問われることもない。

これを実感したのが、Yahoo! JAPANが発表していた、Y!の検索データからの参院選予測でした。ビッグデータが導き出した参議院選挙の議席予測

検索データと、昨年末の衆院選の知見からモデルをつくり、データから選挙結果予測をすること自体は価値のあるものだと思います。

従来の選挙結果予測は、電話調査(RDD)による聞き取りであったり、投票後の出口調査からが主な方法でした。それを、ネットでの検索数から高い相関で出せるようになった。Y!が予測に使ったモデルは異なる2種類があり獲得議席数の予測に若干ぶれはあるものの、データから言える結論は変わらず、おそらくこの予測通りの結果になるのでしょう。

一方で、分析結果がこのタイミングで出ることは選挙にとってよいことなのか、もっと言うと日本の将来(少なくともあと3年はこの規模の選挙はないので)にとって有益なのかは考えてしまいます。

すでに勝負が決まったかのような情報が流れると、「投票してもしなくても変わらない」という意識が出てしまうのではと思います。自民支持者、自民ではない党を支持/投票しようと思っている人にとっても。特に浮動票と呼ばれる特定支持がない層。浮動票をどれだけ確保できるかは自公以外は結果に響く気がしますが、その層の投票率が下がってしまいかねない。

先月の東京都議選の結果は、自民が大勝したのと共産党の議席が増えて野党第一党になりました。投票率が下がったのは主に浮動票で、その分、組織票が強い党が票を集めた。同じ構図が今回の参院選でも起こるのではないかなと。

先に引用した「ビッグデータ予測が完璧で、アルゴリズムが我々の未来を寸分違わずはっきりと見通せるなら、我々の行動にもはや選択の余地など存在しないことにならないか」という指摘が当てはまります。

ヤフーの検索データからの選挙予測は、ビッグデータがもたらすとされるパラダイム・シフトの1つである「因果関係よりも相関関係」の例でもあります。検索と投票に高い相関があり、それを使うことで選挙結果が予測できる。

これまで活用していなかったデータから未来が予測できることは有意義だと思う一方で、「ビッグデータ予測が完璧で、アルゴリズムが我々の未来を寸分違わずはっきりと見通せるなら、我々の行動にもはや選択の余地など存在しないことにならないか」という問題意識は持っておきたいです。


※関連記事

因果関係よりも相関関係:ビッグデータがもたらすパラダイムシフト|思考の整理日記




2013/07/07

2013年上期に読んでおもしろかった本(後編)

前回の続きです。

2013年上期に読んだ本の中で、おもしろかったものをご紹介。このエントリーは後編で、3冊を取り上げています。

前編はこちら

■勝負哲学

岡田武史×羽生善治の対談。この組み合わせを見ただけで思わず手にとった本が「勝負哲学」でした。

サッカーと将棋。それぞれの戦いで培った、勝負勘の研ぎ澄ませ方、勝負どころでの集中力の高め方、そしてメンタルの鍛え方、などなど。厳しい勝負の世界に生きる2人が自分の哲学をおもいっきりぶつけ合った対談。久々に読んでいて考えさせられることが多い対談本でした。

いくつかのテーマの中で最も印象に残っているのは、羽生さんのリスクテイクの考え方でした。簡単に言うと、
  • リスクとの上手なつきあい方は勝負にとって非常に大切な要素。だから「いかに適切なリスクを取るか」を考えるようにしている
  • 将棋で少しずつ力が後退していくことがあり、後退要因として最も大きいのが「リスクをとらない」こと。リスクテイクをためらったり怖がると、ちょっとずつだが確実に弱くなっていってしまう
  • 勝つためにリスクを取らず安全地帯にとどまっていると、周囲の変化に取り残される、進歩についていけなくなる。結果、自分の力が弱くなっていく。それを避けるために積極的なリスクテイクが必要。だから必要なリスクは果敢に取りにいくことを心がけている
羽生さんが、「いかに適切なリスクをとるか」「リスクとの上手なつきあい方は勝負にとってきわめて大切なファクター」「リスクテイクを避けると周囲の変化に取り残され自分が弱くなっていく」と言っているはあらためて考えさせられます。得られた示唆は2つだと思っていて、
  • 「リスクとはやみくもに避けるべき対象ではない。正しく付き合うことが大事」という認識に変える
  • いかに「適切なリスク」を取っていくか

この本では、良い対談の特徴である、お互いの発言を受けて会話がどんどん発展・深まっていきます。岡田さんのサッカーの説明を将棋の世界に当てはめる羽生さん、それを受けて話を進化させる岡田さん、といった感じ。

将棋とサッカーの世界は異なりますが、棋士である羽生さんは将棋盤上の駒を、サッカー監督である岡田さんはフィールド上で選手のパフォーマンスを、いかに最大化するかの勝負という共通点もあるので、対談にはちょうど良い2人のバランス感でした。

書評エントリーはこちら:羽生善治の勝負哲学から考える「自分を強くするリスクの取り方」|思考の整理日記




■2100年の科学ライフ

「2100年の科学ライフ」。今のところ自分の中で、2013年ベスト1です。

コンピュータ、人工知能、医療、ナノテクノロジー、エネルギー、宇宙旅行、それぞれについての未来予測。未来という時間軸を、近未来(現在〜2030年)、世紀の半ば(2030年〜2070年)、遠い未来 (2070年〜2100年)の3つ段階に分け、現在からどのように発展し、人々の日常生活をどう変えるのかが描かれています。

2100年の世界では、コンピュータ、人工知能、医療、ナノテクノロジー、エネルギー、宇宙旅行がどのようになっているのか。簡単にご紹介しておくと、
  • コンピュータ:自分の思考だけで物を動かせるようになり、思うだけで直接コンピューターを制御できるようになっている
  • 人工知能:意識や感情までもを持つようになる
  • 医療:臓器や細胞の修復、遺伝子治療により老化を遅らせることで、寿命が延ばせる。若さを保てるようになるだけではなく、老化を逆戻りさせることができるようになる
  • ナノテクノロジー:どんなものでもつくれるレプリケーター(複製装置)ができる。自己を複製し、自らのコピーをつくることができる。究極的にはいらなくなったモノをほしいモノに変えられる
  • エネルギー:電気ではなく磁気の時代になっている(例:リニアモーターカーのような磁気自動車。人間までも磁力で地面から少し浮き移動できるようになる)。エネルギー源で有力なのは宇宙のエネルギーを使うこと(宇宙太陽光発電)
  • 宇宙旅行:宇宙エレベーターが実現する。ナノテクノロジーの進化に伴い、宇宙ステーションや月にはロケットではなく地球から直接つながるエレベーターで行く

未来予測だったりSF系の本は数多くありますが、本書の特徴は予測の裏付け/根拠が科学的である点です。①新発見の最前線にいるトップクラスの科学者300人以上へのインタビューにもとづいている、②科学的発展の内容はどれもこれまで知られている物理法則と矛盾しない、③本書で触れたすべてのテクノロジーのプロトタイプはすでに存在する。

2100年までの予測が単に未来の空想ではなく、根拠があることで「仮説」として考えられているんですよね。読んでいて未来について想像できるだけでなく、現在の科学の最先端のことにも触れられる。このあたりが本書の特徴でもあり、一気に読めました。

書評エントリーはこちら:書評「2100年の科学ライフ」|思考の整理日記




■シニアシフトの衝撃

「シニアシフトの衝撃」。この本がおもしろかったのは、シニアビジネスの現状や今後を紹介するだけではなく、具体的にどういう市場に目を向ければよいかの着眼点と、どんなビジネスモデルに可能性があるかまで、結構踏み込んで書かれている点でした。

本書で印象深かった言葉が「飽和しているのは市場ではなく、私たちの頭の中である」。提供者側に固定観念があって市場が飽和していると決めつけてしまい、新たなニーズに対応できていない状況です。

シニアビジネスの観点で言うと、30・40代から見ると何でもないことも、高齢者にとっては不安・不満・不便を感じているケースがいくつか書かれています。例えば、
  • 老眼の進行:店頭での値札・商品説明・POP等の文字が小さく、老眼になった高齢者には読みづらい
  • 脚力の衰え:年齢とともに筋力が落ちるので、フロアのちょっとした段差に足をつまずきやすい。エスカレーターのスピードが年配者には早すぎる
  • 聴力低下:年齢を重ねると聴力が低下する。売り場での商品説明が聞き取りにくい
  • 頻尿:高齢者には頻尿症状が多い。買いものの途中でトイレに行きたくなっても、近くにない。またはトイレへの案内がわかりにくい
  • 認知機能の低下:年を取ると一般には記憶力や認知力が低下する。商品の説明において色々と効果を羅列すると印象が残らない

日本はすでに少子高齢化が現実となり、総人口が減っていく時代になっています。少子高齢化は今後、世界でも起こっていくことがわかっています。見方を変えれば、日本は今後の世界共通課題にいち早く取り組んでいるという状況です。日本は課題先進国であり、望ましいのは課題を持っているだけではなく、積極的に取り組み解決もしているという課題解決先行国。

シニアビジネスについてよくまとまっている本です。単にシニア向け市場が有望という表面的な話ではなく、シニアシフトの現状がどういう構造になっているか、具体的なシニア層の不(不安・不満・不便)、有望な市場、ビジネスモデルや商品/サービスの事例、今後のシニアビジネスの可能性まで。

書評エントリーはこちら:シニアシフトの衝撃:有望な市場とビジネスモデルを考える着眼点|思考の整理日記




2013/07/06

2013年上期に読んでおもしろかった本(前編)

2013年も半分が終わりました(あとまだ半分も残っていると思うようにしています)。今年も本を読めていて、数えてみるとだいたい200冊くらいです。

全部を詳細で読んでいるわけではないのですが、その中からおもしろかった本をピックアップしてご紹介します。今回は前編で4冊です。

■働かないアリに意義がある

1冊目は「働かないアリに意義がある」

そもそも、なぜ働かないアリが存在するのか?「反応閾値」と呼ばれるメカニズムで、行動を起こすのに必要な刺激量の限界値のこと。反応閾値というラインを超えた刺激が与えられると行動に移せるけど、下回れば反応しないという仕組みです。反応閾値が低いとフットワークが軽く、高いと腰が重い、みたいなイメージです。

おもしろいのは、アリごとに反応閾値が異なるので、同じ仕事に対して反応閾値の低いアリAは反応し行動するけど、別のアリBは反応閾値が高いので同じ仕事なのに働かない(反応しない)。つまり、反応閾値の高くて腰が重いアリが「働かないアリ」。

働かないアリの意義は、バッファーです。常に一定の働かないアリという余力を持っておくため。働きアリの中にも反応閾値の違いという個性があり、働かないアリも「余力」として存在意義がある。多様性を持っておくことでアリの社会はうまくまわしているのです。

働かないアリの考え方は個人のあり方にも参考になります。働かないアリの話からの示唆をあらためて整理すると、
  • 働かないという余力/バッファーを持っておく、
  • 個性とか多様性が大事
  • 短期的には非効率でも長期では合理的

この3つを個人レベルに当てはめてみると、

働かないという余力/バッファーを持っておく:常に目いっぱいの状態よりも、ギアを1つ落としておく。余力を持っておくことで急なことにも対応できる。フルスピードにするのは本当に必要な時。仕事でもプライベートでも。見方を変えれば、自分で自分の限界をつくらないこと。いつでも1つ余裕を持っておく意識。

個性とか多様性が大事:自分は人と違っていてよい、という考え方。個性があることで組織全体に多様性ができてメリットになるのだから。

短期的には非効率でも長期では合理的:今やっていることがこの先に何の役に立つのかわからなくても、後からその経験が活かせることってよくあります。つまらない仕事でも、それをやっていたから今があるというか。同じ経験でも活かせるかどうかは、表面的な知識・スキルではなく、仕組みやメカニズムの理解だったりします。本質理解が重要。幹ができているのでいろんな花が咲かすことができる。

書評エントリーはこちら:ちゃんと役に立っている「働かないアリ」が教えてくれた3つのこと|思考の整理日記




■ビッグデータの正体

「ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える」。本書でおもしろかったのは、ビッグデータがもたらす3つのパラダイムシフトでした。

1. 限りなく全てのデータを扱う。n=全数:母集団と標本の話で、ビッグデータの世界では全部のデータが手に入るのだから、標本なんて作らなくてもいいよね、という。さっきの30歳男性の例に当てはめると、1000人からわざわざ全員を推定していたのはビッグデータ時代前の話で、ビッグデータの時代では80万人とかの全員のデータが簡単に手に入るから全員のデータを使うというイメージ。

2. 量さえあれば精度は重要ではない:いかに1000人を偏りなく選ぶための精度云々よりも、どれだけ数多くの人数のデータを集められるか、という話です。とにかく80万人に近いデータを入手できるか。

3. 因果関係ではなく相関関係が重要になる:この論点は本書で最もインパクトがありました。分析において、因果関係を考えるのは基本的なことであり、そのために分析をすると言ってもいいです。ちなみに「相関関係がある」というのは、AとBという2つが同時に起こることで、「因果関係がある」というのは、Aが原因でBが起こることです。

最も大きなパラダイムシフトは3つ目の「因果関係<相関関係」でした。本書で主張されているのは、ビッグデータにおいては因果関係よりも、何と何に相関関係があるかさえわかればよく、その組み合わせを見つけることが重要であるという考え方。これまではAとBというわかりやすい相関しかわからなかったのが、大量のデータをとにかくまわすことで、AとTという一見何の関係もない2つに相関があることを発見できるかどうか。極端に言うと、なぜAとTにどういう因果関係があるかは気にしないというもの。

個人的には、どれだけ示唆に富む相関関係を発見できるかを重視し、因果関係は考えないというのは慣れない話です。因果についてWhyを考え、それを1つ1つ定量的に見ていくのが分析のおもしろさだと思っています。

これがビッグデータというあらゆるものについて大量に、全数でデータが安価/迅速に手に入るようになると、Whyではなく相関というWhatに軸足が移るようになっていくのか。分析という考え方自体も変わっていくのかもしれません。

書評エントリーはこちら:因果関係よりも相関関係:ビッグデータがもたらすパラダイムシフト|思考の整理日記




■大便通

便は自分の健康状態を知らせる体からの「便り」である。そう言うのは「大便通 知っているようで知らない大腸・便・腸内細菌」の著者である辯野善巳氏。

この本を読むとウンチは自分の食べたもの・腸内の通信簿のようなものだと、あらためて考えることができました。

体からの「便り」としてチェックすべきポイントは、色・臭い・量の3つ。
  • 色は、黄色がかった褐色が良い。これは腸内にビフィズス菌が多い証拠。注意が必要なのは黒色の大便
  • オナラや大便が臭いのは腸内環境が悪くなっていることを伝えるサイン。ビフィズス菌を多く含んだ大便は顔をしかめるような悪臭はしなくて、やや酸っぱい感じの発酵臭がする。悪玉菌の多い大便は腐敗臭を発する
  • 大便は毎日300gくらいが理想的。20センチのバナナ状の大便3本分くらいの量
その他の指摘としては、毎日出すこと。食事をして便として出てくるまでの体内滞在時間は12〜48時間で、3日以上出ないと便秘ということ。がんばって息むことなく出せることも良い大便の条件。

良い便を出すために何ができるのか。ポイントは腸内環境を良くすること。そのためには2つで、善玉菌を増やすことと食物繊維です。
  • 色や臭いをよくするには善玉菌を増やすとよい。ヨーグルトは乳酸菌やビフィズス菌をそのまま摂取できるので効率よく腸内環境を改善できる
  • 量を増やすには食物繊維が効果的。食物繊維は人間の消化酵素では消化されないため、摂ることで便の量が増える。量が増えると腸を刺激し、排泄するための腸のぜん動運動が引き起こされる。食物繊維には保水性があり、便の形を整えて柔らかくしてくれる働きもある。また、乳酸菌やビフィズス菌の餌となる
毎日のトイレのためにヨーグルトばかりや食物繊維の多いものをひたすら食べ、その他の食事を軽視するという本末転倒です。自分が食べた物が体内でどう使われるかが大事。その上で排出される物、便がつくられる環境(腸内環境)にも関心を持ってみるといいと思います。

書評エントリーはこちら:ウンチと健康について真面目に書いてみる|思考の整理日記




■究極の身体

「究極の身体」。身体構造や運動のメカニズムについて独自理論が展開され、わかりやすく書かれています。

究極の身体の定義は「人体の中で眠っている四足動物、あるいは魚類の構造までをも見事に利用しきることで生まれる身体」。

背 景にある考え方は、人間の進化は魚類⇒爬虫類⇒哺乳類⇒人間と経てきており、人間の身体には魚類や四足動物(爬虫類・哺乳類)の構造を受け継いでいる。① 魚類運動=脊椎を使った動作、②四足動物の運動=脊椎の体幹主導動作+4本足主導の動作、の両方を使えるのが本来の人間の身体構造で、それを実現できてい るのが究極の身体。

著者・高岡氏の問題意識は、究極の身体を持っているにもかかわらず、現在の人類の多くはその身体資源を使いきれていないこと。究極の身体を実現するためにどうすればよいかの詳細は本書に譲りますが、印象的だったのは、
  • 重心とセンター(軸)。センターとは、身体の重力線とほぼ一致するところを通る身体意識。センター意識が構築されると潜在的に、常時重力線の意識が存在することになる
  • 究極の身体に不可欠なのは重心を意識すること。そのために脱力が必要。脱力を立つという動作例でいうと、立つためのギリギリの筋出力で立つこと
  • 究極の立ち方は吊り人形のように頭部の糸を持って吊り上げ、そこからゆっくり下ろして足を接地させたような立ち方(緩重垂立)。体重を支えるギリギリのところまで力を抜いたプラプラの状態

身体動作とか身体のメカニズム・構造に興味のある方は、おもしろいオススメの本です。

書評エントリーはこちら:書籍「究極の身体」がおもしろい|思考の整理日記




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多田 翼 (書いた人)