投稿日 2013/12/01

雑誌Numberの90年代スポーツ特集がおもしろかった

スポーツ雑誌のNumber2013/4/4号は、1990年代のスポーツ特集でした。

特集タイトルは「追憶の90’s 〜あの頃、誰もがスポーツに熱かった」。各スポーツの90年代名シーンがまとめられており、思わず手に取って懐かしく読めました。

■90年代のスポーツハイライト

野球:90年代のハイライトの1つは野茂英雄のメジャーリーグでの活躍。野茂が果たしたパイオニアとしての存在は大きく、その後、イチロー・松井秀喜・松坂大輔・ダルビッシュと続いていった。独特のトルネード投法で大リーグの強打者相手に真っ向勝負をし、三振の山を築く。両リーグでのノーヒットノーランを成し遂げメジャー史上4人目の快挙達成も。

サッカー:1993年のJリーグ開幕。悲願のW杯出場が目の前に見えていたのに叶わなかった同年10月の「ドーハの悲劇」。その後の90年代日本サッカーのハイライトは、アトランタ五輪では28年ぶりに出場した男子サッカーでサッカー王国のブラジルを破る大金星。1998年に初のW杯出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」とフランスW杯出場。中田英寿のセリエA移籍。

バスケットボール:1990年代のNBAにはマイケル・ジョーダンがいました。90年代の10年間で、2度の3連覇を果たす。2回目の3連覇をかけた1998年のNBAファイナル第6戦、試合時間残り6秒でジョーダンが放った「The last shot」(写真)。日本ではスラムダンクの連載もあってバスケブーム。高校バスケでは秋田・能代高校の田臥勇太が活躍。




大相撲:1991年の5月場所初日。昭和の大横綱・千代の富士の取り組み相手は、貴花田。当時18才最年少幕内力士を相手に黒星、その場所で千代の富士は引退。その3年後に貴乃花は横綱昇進。兄である若乃花との若貴ブーム、小錦/曙/武蔵丸のハワイ勢、怪力力士である魁皇や武双山、小兵の舞の海など、個性豊な力士も多かった。

長野五輪:1998年の長野冬季オリンピック。吹雪の中で大ジャンプを見せてくれた「日の丸飛行隊」(岡部孝信・斉藤浩哉・原田雅彦・船木和喜)。女子モーグルの里谷多英と上村愛子の金メダルと銅メダル。スピードスケートで優勝した清水宏保。

テニス:伊達公子が当時女子世界ランク1位だった女王グラフを破る。

F1:1994年5月のサンマリノGP。アイルトン・セナがレース中の事故で帰らぬ人に。

などなど、他には、ボクシングの辰吉丈一郎vs薬師寺保栄、競馬のオグリキャップ、野球では94年の巨人vs中日の優勝決定戦(巨人のメークミラクル)、等々、懐かしいシーンばかりでした。

■1998年の日本スポーツ界は横浜 Year

これもおもしろい特集記事で、1998年は横浜の年だったと。

お正月の箱根駅伝では神奈川大学が総合優勝。高校野球では松坂大輔要する横浜高校が春夏甲子園連覇。プロ野球では、マシンガン打線の横浜ベイスターズが38年ぶりの日本一に。

サッカーは横浜フリューゲルス。スポンサーの問題からチームの消滅が決定的になり、最後の試合として臨んだ天皇杯では優勝。日本一になったチームが解散するというドラマでした。

■とにかく考え、自分の考えを持つ

Numberの90年代特集の中で、特に印象に残ったのが中田英寿の言葉でした(98年のセリエAデビューの頃)。以下、記事からの引用です。
「僕のサッカー人生は順風満帆に見えるかもしれない。でも所属チームでも各年代の代表でも、いつも最初は僕よりうまい人がいて、最後に僕がレギュラーになった。ペルージャもしかり。最初は日本人だからどうこう言われてベンチだった。けれど開幕戦に間に合って、レギュラーになった」

成功の秘訣はなにかと中田に聞いた。

「自分をしっかり持って、自分の考えを持って取り組んできたことが重要だった。考えなければ発展しない。うまくならない。人より秀でるためには、勝負に勝っていくには、考えないといけない」

とにかく考え、自分の考えをしっかり持つこと。この姿勢はスポーツに限らずだなと。






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書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。