2014/03/30

書評「生命科学研究に成功するための統計法ノート」

以前、仕事の関連で統計のことをもう1度学んでおきたい、と思ったことがありました。特に、有意差検定をあらためて理解しておかなければ、と。

ネットや統計関連の本をいくつか目を通しましたが、その当時に感じた印象は「わかったようでなんとなく腑に落ちない」という歯切れの悪いものでした。仕事上は支障はない程度には頭には入ったのですが、なんとなく理解がスッキリしない感じで。

そんな時に出会った1冊がこの本でした。「生命科学研究に成功するための統計法ノート」



■生命科学が「主」、統計法が「従」

本書の特徴は、生命科学において、仮説検定という統計をどう使うかが紹介されていることです。つまり、生命科学が「主」、統計法が「従」という主従関係です。

この本を読み終わった後に、腹に落ちた感じを持ったのを今でも覚えています。というのは、それまで読んでいた統計関連の本は、統計が「主」で書かれたものだったからです。まずはじめに統計の理論が説明され、その例として「工場で作られた製品が規格外である確率を、20個の標本から推定せよ」みたいな説明が続きます。

本書では主従関係がこれとは逆なのです。はじめに、こういう仮説 / 実験結果を検証するという具体例があり、そのために統計をどう使うかの順番で書かれています。

生命科学は自分の専門ではありませんが、生命科学では、
  • 仮説を立てる
  • 仮説検証のための実験を実施
  • 実験結果を仮説検定し、仮説が正しい / 間違っているかの結論を出す

このプロセスは生命科学だけではなく、マーケティングの世界でも同様です。生命科学での実験を自分の仕事に置き換えることで「なるほど」となりました。

本書で説明されていた生命科学の実験例として、仮説を「この薬は血圧を上げる」とし、仮説検証の実験は、マウスをランダムに ①対照群 と ②テスト群 の2つのグループに分け、①対照群には生理食塩水を与える、②テスト群には薬を与えることでした。

①と②のマウスたちの血圧値を調べ、実験結果である①と②の平均値について、信頼度99%で有意差検定を行ない、有意と言えるかどうかを確かめます (2つの標本平均の差が、母集団でも言えるのかどうか)。

■生命科学以外にも応用できる

これはウェブの世界での A / B テストも同じです。例えば、ある広告によりその商品 / サービスの認知・興味関心・利用意向にどういった影響を与えるかをリサーチするプロセスと全く同じです。

具体的には、①関係のない偽広告を見せるグループ、②テストしたい広告を見せるグループ、に対象者をランダムに分け、①と②における広告接触後の認知や利用意向などの差を見ます。その差を有意差検定にかけ、ある信頼度(例: 信頼度90% / 有意水準10%)で示すことで、母集団(世の中一般)でも同じことが言えるかどうかを確かめます。

このように、本書で書かれていた生命科学の進め方と同じなので、仕事にとても役に立ちました。冒頭でも書いたように、この本が生命科学が「主」、統計が「従」という立場で書かれているからです。

統計学の専門の方には怒られるかもしれませんが、仕事などの実務で統計を使うときに問われるのは、正規分布や t 検定などの理論をどれだけ正確に知っているかよりも、実際に目の前の仕事で使えるかどうかです。

本書は、実務(生命科学)のために統計をどう使うかの視点で書かれており、かつ、統計の理論も学べるようになっています。ページ構成も、基本は見開きになっていて、左ページに文章で、右ページに図 / グラフでの説明になっているのも、わかりやすかったです。

生命科学を専門にする方だけではなく、なんとなく統計がわかりにくいと思っていたり、仕事で有意差検定をやる人にもおすすめです。実際に検定作業はしなくても、検定結果をレポートとかで読むだけの場合でも、検定とはどういうプロセスでされているかがこの本ではよくわかります。

生命科学の仮説 → 実験 → 結果の検定のプロセスが、自分の仕事でやっていることと同じなんだという発見が読んでいておもしろかったです。




2014/03/22

「0歳からの母親作戦―子どもの心と能力は0歳で決まる」: ソニー創業者 井深大による幼児教育の本

ソニー創業者である井深大。幼児教育にも情熱を注いでいたことでも有名です。

今回、ご紹介する本は井深大の「0歳からの母親作戦―子どもの心と能力は0歳で決まる」。特に 0 - 2 歳くらいまでに焦点を当てた内容になっています。

著者いわく、3, 4 歳以降の育て方と、0 -2 歳ごろまでの育て方は区別したほうがいいと言います。

本書では、0 -2 歳の時期を「パターン時代」と呼びます。例えば、赤ちゃんはお母さんの顔を判断するのも、顔全体のイメージをそのままパターンとして記憶していて、こうしたパターン認識の能力が非常に優れているのだそうです。

幼児は繰り返し与えられたものはパターンとして丸ごと記憶でき、大人には到底かなわない優れた能力を持っているようです。著者が 0 - 2 歳の時期を重視しているのもこれが理由で、パターン認識能力を生かして、「この時期に他人を思いやる心、良い性格、創造性など、人としてベースになっていく能力を伸ばすことが大事」というのが本書の主題です。



パターン認識能力とセットなのが、「繰り返し」です。

今、娘は生後6ヵ月くらいですが、興味のあるおもちゃには飽きることなく遊んでいたりします。おもちゃの人形を目の前に持っていくと、つかんで手触りや形を確かめるように遊び、その後は口に入れてみたりと、毎回同じような反応を示します。好奇心は続き、飽きることなく遊んでいます。

この本を読む前は、娘がいつも同じ反応だと親としてはその反応に飽きてきてしまって、つい違うことをやってみたくなっていたのですが、考え方が少し変わりました。毎回、同じように興味を示すということは、娘にとっては楽しいことが続いているわけで、親からすると見慣れたことでも(飽きても)、繰り返してやり続けようという気持ちになりました。

本書では、パターン認識には根気強い繰り返しが必要不可欠だと言います。赤ちゃんは繰り返しに飽きないからこそ、あらゆることがパターンとして頭に入る、と。頭の構造自体がそれを受け入れられやすいようになっていて、例えば日本語を自然と話すようになるのも、この時期に繰り返し日本語を聞いているからとのことです。

2歳ころまでというのは、子どもにはまだ十分な判断能力がない頃です。一方で、繰り返し与えられた情報はパターンとして丸ごと脳に定着していく。であれば、親として何を与えるかが大切で、それによって、その子への影響は大きいはず。

子どもがどんなものに興味を示すか、何に喜ぶか、など、日々の日常のちょっとしたことですが、だからこそ大切にしたいと思っています。


関連エントリー:「幼稚園では遅すぎる」: ソニー創業者の井深大が書いた幼児教育の本




2014/03/21

「他人と違っていてよい」と受け入れてみると楽になる

今の会社に転職して変わったのが「他人と違っていてよい」と考えられるようになったことです。

以前であれば、この人のようになりたい、とか、あの人のようにならなければ、などと過剰に思っていた自分がいました。もちろん、自分以外の人から影響を受けたり、良いところを取り入れることはプラスになると思っています。

ただ、あくまで主は自分であり、自分というベースに積み上げていくのが望ましいはず。ところが、前はこの主と従のバランスが悪かったような気がしています。

「他人と違っていてよい」と思えるようになってからは、「他人のようにならなくてもよい」と自分のことを素直に受け入れられるようになりました。



自分の中でこの変化は大きくて、さらに進むと、他人にはできないこと / 自分だからこそできることに価値があると考えられるようになってきます。むしろ、他人と違うことは良いことだと思えてくる。

振り返ってみると、「他人と違っていてよい」ことを体感したことで、自分の中での縛りみたいなものから解放された感じです。

例えば、自分の考えや意見も、他の人たちと違って当然と思えば臆することなく出せるし、たとえ自分とは反対の意見があっても過敏になる必要はない。自分と他人は違うのだし、違うことが良いことなのだから。

今の会社が組織や人の Diversity (多様性) を非常に重視している雰囲気も大きかったと思います。

★  ★  ★

ちょっと視点を変えると、自分の子どもにも同じことを伝えていきたいと最近考えるようになりました。

今は生後6ヵ月を過ぎたくらいで、肉体的 / 精神的に日々成長している感じです。一方で、以前ならば雑誌とかで紹介される、この時期にこういうことができるようになる、みたいな情報とついつい比べてしまっていました。でも今は参考にはすれど、あまり気にしなくなりました。

娘に対しても「他人(他の赤ちゃん)と違っていてよい」のは当てはまります。違っていることも肯定的に受け入れて、そこも含め評価してあげたいなと思っています。


2014/03/16

リサーチは良い結果を出すことではなく、真実を知ることが目的

今の仕事での役割は「マーケティングリサーチマネージャー」です。

マーケティングリサーチというのは、マーケティングとは切っても切り離せないものです。マーケティングの目的があり、そのためのマーケティングの課題があります。例えば、
  • 目的:新商品をターゲットとなる消費者に知ってもらう
  • 課題:新商品を知ってもらうその方法は適切なのか
マーケティングリサーチでは、マーケティング課題を解決することが目的になります。つまり、マーケティング課題 = マーケティングリサーチ目的。

リサーチの際には、大抵の場合は仮説があり、それは例えば「新商品を知ってもらう A という方法は B という方法よりも費用対効果が高い」というものです。これをリサーチをして検証します。注意が必要なのは、いつしか、仮説が必ずそうなると思ってしまい、仮説通りにリサーチ結果を出すことが目的のような錯覚になってしまうことです。

つまり、(自分たちに)良い結果を出すことありきになってしまう。

そうなった時に、良い結果が出なかった場合どうなるか。マーケティングには不都合な結果を隠したり、もっとやってはいけないのは結果を勝手に変えてしまうことでしょう。データという数字は、意図的に作り変えたり、見せ方次第で黒のものが白に見えたりするものです。それを意図的にやってしまう。実際にやらないまでも、誘惑に駆られることもあるのかもしれません。

なぜそうなるかは、リサーチの目的が「良い結果を出すこと」といつの間にか置き換わってしまったから。リサーチというのは、仮説が正しいかどうか検証することが目的であり、リサーチ結果として仮説通りと言えるのであって、はじめから良い結果ありきではいけないのです。

たとえリサーチ結果がネガティブであったとしても、リサーチ依頼主(例: クライアント)には公開するのが誠実な態度だと思います。リサーチをした以上は事実として、責任を持ってその結果を出すべきという考え方です。



リサーチというのは、いつもいつも望むような結果は出ないものです。

そうした時に大切なのは、ポジティブではない結果だからこそ事実として向き合い、なぜそうなったのか、今後どう活かすかに建設的に使われるべきだと思います。結果が良いものだけ伝え、そうでないものをオープンにしないのは本末転倒な気がしますし、何よりマーケティングや依頼主にとって良いことではありません。

リサーチは良い結果を出すことではなく、真実を知ることが目的だと個人的には思っています。


2014/03/09

書評「大往生したけりゃ医療とかかわるな」

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」という本がおもしろかったです。

■生と死はセット:自分の死を考えるとは、死ぬまでの生き方を考えること

本書の内容で印象に残っているのは「生と死はセットであり、自分の死を考えるのは死に方を考えるのではなく、死ぬまでの生き方を考えること」。

生と死がセットというのは、死を頭の片隅にでも入れておくことで生きることの有限性を感じ、充実させることだと思っています。

死ぬまでの生き方とはこれからの人生そのもの。突き詰めれば「今」というこの瞬間をどう過ごすかです。



身内など自分と近い親族の葬儀に出たことが何回かありますが、最期の見送りでは棺桶の中にお花をお供えする場面があります。

故人の周りにきれいな花が供えられるのを見て思うのは、棺桶には地位も名誉も財産も何一つ入っていないということ。死んだ後ば何も持っていけないんですよね。

このあたりの人生観 / 死生観をあらためて考えることができる本でした。

■自然死をさせない医療や介護

本書の裏表紙に、内容紹介として以下のように書かれています。
3人に1人はがんで死ぬといわれているが、医者の手にかからずに死ねる人はごくわずか。中でもがんは治療をしなければ痛まないのに医者や家族に治療を勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙句、やっと息を引きとれる人が大半だ。
現役医師である著者の持論は、「死ぬのはがんに限る」。実際に最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない数百例の「自然死」を見届けてきた。
なぜ子孫を残す役目を終えたら、「がん死」がお勧めなのか。自分の死に時を自分で決めることを提案した、画期的な書。

本の構成は、前半で医療や介護には関わらないような「自然死(老衰死)」が書かれています。著者の医療に対する考え方は2つあり、①死にゆく自然の過程を邪魔しない、②死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない。

著者からすると、延命治療はこの原則に反しており、死に際の医療を「虐待」、介護を「拷問」と表現しています。例えば、
  • 食べられなくなれば鼻から管を入れて栄養を与える。鼻以外には、胃瘻というお腹に穴を開けチューブを入れ、水分や栄養を補給する方法がとられる
  • チューブなどが不快感で抜こうとすると、患者の手をベッドに縛り付ける対応もする
  • 死に際になると体力が衰え椅子にまともに座ることもできなくなる。それでも食事の際はリクライニングで起こし、時間をかけて食事を与える。本人はなされるがまま

一方の著者が推奨する「自然死」というのは、医療措置を行わなず老衰で最期を迎える自然のしくみだと言います。痛みや苦しみ、不安や恐怖や寂しさもなく、夢うつつの気持ちのいい穏やかな状態で、まどろみのうちに息を引き取るそうです。

本書によれば人は極度の「飢餓」や「脱水」になると、飢餓により脳内にモルヒネ物質が分泌されて多幸感をもたらし、脱水により血液が濃く煮詰まり意識レベルが下がり、ぼんやりとした状態になるとのこと。

「いかに生きるか/いかに死ぬかは人生の問題で、医療で解決できる問題ではない」と書かれていました。どう生きるかって、普段はあまり立ち止まって考えることはないですが、本書はきっかけを与えてくれる一冊です。




2014/03/08

赤ちゃんの服のうんち汚れは太陽が落としてくれる

娘が生後6ヵ月になりました。

少し前までのやっかいだったのが、「時々オムツからうんちが漏れ服が大変なことになる」問題。

新生時期の赤ちゃんのうんちは、水分が多くゆるゆる状態です。基本はオムツがうんちも吸収してくれるのですが、とはいえおしっこのほうが吸収が早いんですよね。なので、おしっこを先にしてると、後からするうんちは吸収されにくい / 時間がかかる。うんちが吸収される前に赤ちゃんが動いたりすると、背中や足のところからうんちが漏れてしまい、服も汚れてしまうわけです。特に背中にいった場合はえらいことになります。

で、発見後すぐにオムツは取り替えるのですが、オムツは捨てて終わりな一方、汚れた服は洗わなきゃいけません。洗剤で手洗い後に洗濯機でまわしても、まだ服に黄色いシミが残ることがよくありました。

こういう場合に、もっと良い洗剤はないかと検索してみると、意外な情報がありました。Yahoo! 知恵袋に「ウンチで汚れてしまった赤ちゃんの肌着等の黄ばみが、キレイに落ちる石鹸等があったら教えてください」への回答として、
昨日これを見ましたが、洗剤のことばかり書いてあって回答を躊躇してました。(中略)
18年前、布おむつを使ってました。
母が産後二週間手伝いに来てくれ、洗ったものを私が干していた時に「黄ばみは落ちないんだね」と言ったら「日に当てれば消える。お天道様の力だよ。」と言われたことがあります。
確かに消えていましたよ。
引用:ウンチで汚れてしまった赤ちゃんの肌着等について。 ウンチを手洗いで落としてから... - Yahoo!知恵袋

洗剤でがんばるよりも、太陽だという情報です。



実際に娘の服も試してみると、洗剤では落としきれなかった黄ばみが、本当に白くなりました。すごい。

日光に当てると、なぜ赤ちゃんのうんちの黄ばみ汚れが落ちるのか?

調べてみると、うんち汚れの主な原因物質はビリルビンという色素とのこと。日光に当てるとビリルビンがなくなるのだと思いますが、なぜ太陽光がビリルビンを分解(?)するのかの直接の言及がなかったので科学的なメカニズムはよくわかりませんでした。日光の紫外線が分解するのではとの情報もありましたが、信ぴょう性はわからず。

いずれにしても、我が家ではそれ以来、服のウンチ汚れは時々発生するものの、日干しのおかげで汚れは残らなくなりました。

★  ★  ★

今回の話と関連する TED 動画です。太陽の紫外線というと最近ではマイナス面の印象が大きいですが、プラスの側面もあるのでは、という話です。


Richard Weller: Could the sun be good for your heart? - YouTube

以下のTED のサイトでは日本語の字幕付きで見られます。
Richard Weller: Could the sun be good for your heart? | TED


2014/03/02

「幼稚園では遅すぎる」: ソニー創業者の井深大が書いた幼児教育の本

ソニー創業者の 1 人である故 井深大(いぶかまさる)。

著者がその井深大なのと、タイトルにインパクトがあり読み始めたのが「幼稚園では遅すぎる」という本でした。幼児教育について書かれた本で、サブタイトルは「人生は三歳までにつくられる!」。タイトルとともに刺激的な表現になっています。

読む前は、0 歳 - 3 歳くらいまでにいかに英才教育をするか、みたいな内容かと思ったのですが、そうではなくもう少し奥が深く、読み応えのある本でした。

■幼児教育に「答え」はない

書かれていたことで「そうだよね」と思うのは、幼児教育にこうしなければいけないという定型(答え)はない、ということ。

本書では具体的な教育方法が色々と示されています。よく登場する話としてバイオリンを習う話が出てきます。でもこれはあくまで例の1つであり、実際に親子でするかどうかの判断材料とすればいいのです。本書ではこう書かれています。
私が、幼児期にはよい音楽を聞かせなさい、ホンモノの絵を見せなさいというと、必ず、よい音楽、ホンモノの絵とは何かをぜひ教えてほしいと母親から相談されます。ベートーベンがいいかモーツァルトがいいか、ゴッホがいいかピカソがいいかといったぐあいです。

(中略)

何ごとによらず日本人は、とかく一つの決まった型を求めすぎるように思われます。こういう形で、こういうふうにやるべきといわれないと安心できないようです。しかし、教育とくに幼児に対する教育に定型はありません。母親は、自分がよいと思ったことは、どしどし子どもに与えればいいのです。

■「赤ちゃん」から「子ども」に

本書の内容でなるほどと思ったのは、0 歳児の赤ちゃんでも周囲の環境や親が話す言葉、さらには夫婦げんかなどの雰囲気も敏感に感じ取っているという指摘でした。

だからこそ、本にあった「仲の良い夫婦、明るくなごやかな家庭以上の幼児教育はない」は印象に残っています。

この本を読んでから考え方が変わったのは、これまでは自分の娘を「赤ちゃん」と捉えていたのが、「子ども」という赤ちゃんよりもっと人間として意識するようになりました。

赤ちゃんと見なしていた時は、話しかけてもどうせ中身はまだわからないだろうと思っていました。どこかでまだ一人前の人間とは見ていない感じ。でも「子ども」と捉え直すことで、自分の感情や言葉、動きなども、思っている以上に伝わるものと考えるようになりました。



この意識変化は自分の中で大きくて、娘に話しかける量や内容が変わりました。

これまでは平日の帰宅後に娘と過ごす時間は、ただ抱っこしていることも多かったのですが、より積極的に遊んだり、娘の顔を見ながらその日の出来事を(妻に言うように普通に)話したりとかしています。

親子の時間が前よりも楽しくなりました。同じことはどこかで娘も感じているのかもしれません。帰宅後に見せる笑顔だったり、遊んでいる時の娘の表情もうれしそうです。

★  ★  ★

この本では、0 歳 - 3 歳までと、3 歳以降では特に脳での成長に違いがあると書かれています。本書のポイントの 1 つで、技術者の井深ならではの説明がされています。

0 歳 - 3 歳まではコンピュータでいうハードウェアがつくられ、3 歳以降はソフトウェアがつくられる、というもの。3 歳までは「機械の本体」、3 歳以後は「機械の使い方」。ここから本書のタイトルである「幼稚園では遅すぎる」になったのだと思います。

もっと現代風に解釈すれば、3 歳までは Android とか iOS という OS がつくられ、3 歳からは各種アプリができる、なんて例えがしっくりくるかもしれないですね。

本書のサブタイトルである「人生は三歳までにつくられる!」は、私の考え方とは違いますが、この本は自分の子どもとの時間を変えてくれた一冊です。





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