2014/05/31

1日30分の語りかけ育児:親と子で真正面から向き合う時間

『0~4歳 わが子の発達に合わせた1日30分間「語りかけ」育児』という本で紹介されているのは、タイトルにもある「1日30分間の子どもへの語りかけ」。

お母さんが静かな環境で赤ちゃんの興味に沿って遊んだり、話しかけたりすることです。子どもの才能を最大限引き出せ、コミュニケーション能力を育むことができるとのこと。



この本は、ページ数が400を超えるボリュームです。0才〜4才までの月齢別に、子どもがどんな発育を見せ、何に興味を示し、また、それぞれの時期にどういう言葉を使うかまで、とても詳しく書かれています。それに対して、親として月齢ごとに赤ちゃんに何を語りかけるとよいか、どんな遊びがよいのかが紹介されています。

もともとはイギリスの本です。紹介コメントから引用すると、
イギリスで子供達の心と知能の発達に驚くべき効果が立証され、子供の言語能力&知能を確実に伸ばす方法としてイギリスの政府が推奨を決定しました。お母さんが自分にしっかり向き合ってくれる、という安心感を赤ちゃんに与えることで、赤ちゃんに意欲と自己肯定感を育てることができるため、親子の関係が良好になり、思春期の問題を未然に防ぐことができる、という面も指摘されています。

「1日30分の語りかけ育児」のポイントは、親と赤ちゃんとで真正面から向き合う時間をつくれるか、です。

一見すると親子の時間でも、親はスマホやテレビを見ながらだったりすることがあります。または音楽が流れていたりとか、子どもにとって親以外からの映像や音の刺激がたくさんあります。

「語りかけ育児」というのは、そういった親子以外の雑音をなるべく減らし、親子でのピュアなコミュニケーションをやってみましょう、親子水入らずの時間を1日に30分だけでもやりましょう、というメッセージです。

自分の娘(現在9ヶ月)を見ていてつくづく思うのは、親のことをよく見ているな、ということ。親が他事を考えている/やっていると、親が遊んでくれているように見えても、自分に注意が向いていないことはちゃんとわかっているようです。そういう時は決まって機嫌が悪くなります。

本当に子と親だけの時間をつくることが大切で、そのコミュニケーションを積み重ねることで子どもが成長する。親は、子どもが何に興味を示すかを観察し、しぐさ・表情・言葉でどんな感情を親に伝えようとしているのかを理解する。子どものほうも、親のそれを知ることでコミュニケーションが成立する。

親子のコミュニケーションには必ずしも必要ない外部刺激をシャットアウトすることで、お互いの注意が相手にちゃんと向きあう時間。そんな時間を1日に少しでも持てるようにしたいなと。




2014/05/25

「ITビジネスの原理」とネット広告

「ITビジネスの原理」は、タイトルどおり、ITやネットの世界に関することの根本部分がまとまっている本です。

難しいことを複雑に説明することはできても、難しいことをわかりやすい簡単に表現する(そして本質を外さない)のはなかなかできることではありません。それがこの本では、著者の尾原さんが根本のところを平易な書き方で説明されているので、「ITビジネスの原理」がよく理解できます。

■ハイコンテクストがキーワード

本書のキーワードの1つが「ハイコンテクスト」です。おそらく尾原さんが最も言いたかったことです。前職のGoogleを辞め、(Amazonではなく)楽天に転職された理由でもあります。

ハイコンテクストとは、High contextなので意味としては「文脈や背景を高いレベルで共有できていること」です。

例えば、家族や仲の良い友人、共通の趣味を持っている同士では、ハイコンテクストなコミュニケーションが成り立ちます。「これヤバくない?」「そうそう、マジやばい」みたいな会話でも、お互いは相手の言わんとすることをほぼ理解しています。

なぜなら、会話の背景やこれまでの文脈の共通理解があるからです。「これ」が何を指しているかわかっているし、「ヤバい」の使い方なども齟齬は見られない。

もし、文脈を理解していない同士であれば、もっと背景だったり感情や考えを丁寧に説明する必要があります。「この最近発売されたアイスの新しい味を食べてみたんだけど、他の味に比べて自分に合っていて、自分が予想した以上においしかったよ」「そうそう、私もちょうどこないだ同じ味のアイスを食べてみて、本当においしいと思ったよ」、みたいな感じです。

ローコンテクストな関係だと、これくらい前提や背景を伝えないとコミュニケーションが成立しないのです。

■ネット広告とハイコンテクスト

日本のインターネット広告を考えた時に、個人的に思っているのは、今後さらにネット広告市場が大きくなるかどうかのポイントの1つに、ブランディング広告が浸透するかだと思っています。

ブランディング広告というのは、その広告によってユーザーや消費者が持つ商品/サービスへのイメージアップ、興味喚起や購入意向、実際の購入に結びつけるような広告です。

これまでのネットの広告は、いかに広告をクリックしてもらうかが大事と考え、課金指標や目標達成指標もクリック数がベースになっていました。だから、例えばバナー広告はいかに目立たせるか、そしてクリックしてもらうかという方向性でつくられていました。

一方のブランディング広告は、その広告をクリックさせることよりも、広告を見てもらった人にいかに(ポジティブな)印象を残せるかにフォーカスしています。表現方法も、クリック重視のつくりとは一線を画すものです。



個人的に思っているのは、ブランディング広告というのは、ハイコンテクストな世界を目指すものなのではないかなということです。その商品/サービス、あるいはブランドが目指す世界に、消費者にも共感してもらうためには、ある程度の文脈や背景を共有していないと、難しいように思うからです。

やや極端に言えば、「この最近発売されたアイスの新しい味を食べてみたんだけど、他の味に比べて自分に合っていて、あなたが予想した以上においしいですよ」とわかりやすく訴求して、その場でクリックをしてもらうのがクリック重視の広告。

一方、(共通の文脈があるので)「これヤバくない?」と言うだけに留めるようなブランディング広告。あるいは、「これヤバくない?」と言うだけでわかってもらえるようなハイコンテクストな関係性を築くことを目指すのがブランディング広告。

先ほど、日本のネット広告においてブランディング広告が浸透するか、と書きました。別の表現をすれば、ハイコンテクストなネット広告がカギを握っているのではないかなと。

なお、ローコンテクストとハイコンテクストのどちらが優れているかの優劣はなく、どちらも存在するし(共存し)、これからもなくならないだろうと思います。だからこそ、ネット広告においては(ネット広告に限らずですが)、コンテクストがハイなのかローなのかを意識して、広告によって何を目指すのかをはっきりさせる設計が大事なのかなと思っています。




2014/05/24

それってスキルの問題?センスの問題?

「戦略読書日記 〈本質を抉りだす思考のセンス〉」という本に、おもしろいことが書かれていました。

「スキル」と「センス」はまるで異なる能力であり、区別して考えるべきである、と。




■スキルとセンスは似て非なるもの

例えば、「営業スキルがある人」と聞くのと、「営業センスがある人」とでは、受け取るニュアンスが違います。スキルというのは、セオリーであったり、習得の方法もあったりと、人から直接教えてもらえたりもできます。スキルと聞いて思い浮かぶイメージは、どちらかというとわかりやすいです。

一方のセンスはどうか。スキルに比べて、定義自体も難しい概念です。スキルのように身に付けるための方法が決まっているわけでもないのです。

スキルとセンスについては、それぞれの定義がどうだというよりも、自分の身近なものに当てはめてみるとイメージしやすいと思います。

女性であれば、化粧についてメイクのスキルとメイクセンスは、違う印象を受けるのではないでしょうか。他には、ファッションスキルとファッションセンス、お洒落なレストランを探すスキルとレストランを探す(選ぶ)センス、野球のスキルと野球センス、などなど。仕事であれば、プレゼンスキルとプレゼンのセンスとか。

スキルとセンスは、似て非なるもの。

本書ではスキルとセンスについて、こんな例えで説明されています。スキルは学校教育で言うなら「国語・算数・理科・社会」、センスは「どうやったらモテるのか」。各科目には教科書もあるし、先生からも直接習うことができる。一方で、モテるためにどうすればいいかは誰も唯一の答えは持っていない。モテる人にはその人固有の要因があり、千差万別である。センスとはそういうものである、と。

もう1つおもしろい指摘が、本来センスであるものをスキルと勘違いしてしまい、センスの問題なのにスキルを身につけて解決しようとしていないか、でした。デート必勝法みたいな、モテるためのテクニックに走っていないか。

■分析センスのこんな事例

スキルとセンスを「分析」について当てはめてみた時に、わかりやすい例がありました。

レオス・キャピタルワークスの藤野英人さん(ファンドマネージャー)が考える「ダメな会社の法則」というものがあり、その1つが「自社のウェブサイトに社長の写真が載っていない会社は要注意」だそう。

この視点で実際にデータ分析がされていて、社長と役員の顔写真の有無と株価の傾向を示したグラフは以下。



詳細は以下のリンク先にありますが、さらに社長の挨拶文において、主語がないパターン、「弊社」「当社」と表現するパターン、「私」「私たち」と言うパターンでも違いがあり、株価上昇が高かったのは、「私」と言っている会社だったとのこと。
社員の顔が見える会社と見えない会社、どちらに投資をしたいですか? - ネタりか

分析をスキルとセンスについて分けて考えた時に、「自社サイトに社長の顔が載っているか否かは、株価に傾向があるのではないか」という視点で分析できるのは、まさに分析センスだと思います。

おそらくこの分析自体は高度な分析モデルであったり、集計システム構築は必要ではないはずです。必ずしも高い分析スキルが要求されるのではなく、どんな切り口で分析するかという発想が優れていたのだと思います。

この分析センスの背景には、藤野さんが長年ファンドマネージャーとして様々な企業を見てきた中での経験があり、そこから生まれた仮説があったからこその分析視点(センス)だったのでしょう。

こういう、言われてみれば確かにそうだよね、というのもそれに気づくまでは盲点だったりします。

自分の仕事でもよくありますが、例えばExcelでさっとつくったグラフを同僚が見て、何気ない一言から思いがけない発見があり、そこから次々に示唆が得られたという経験があります。これも、分析結果を解釈するセンス、もしくはインサイトを出すセンスです。

■センスを磨くには

「戦略読書日記 〈本質を抉りだす思考のセンス〉」には、センスとは平たくいえば「引き出しの多さ」と書かれていました。

スキルを上げていくとともに、センスをどう磨くか。本書で推奨されていた方法は、自分から見てセンスの高い人をよく観察し見破ることでした。

「見破る」というのは本書での独特の表現だと思いましたが、具体的には、自分ならどうするかを常に考えながら、その人の考え・判断・意見・行動を捉え、自分だったらどうするかを比べてみること。比較という相手と自分を相対化することで初めて、自分の中でセンスが鍛えられるのだそうです。

分析センスを例に考えると、まずは自分ならどうするかがあり、それに対してその人が考える分析視点を知る。相手と自分の視点は何が同じで、何が違うのか。異なるのは、なぜ違うのか。こうした地道な積み重ねがセンスを鍛える方法なのかなと理解しています。




2014/05/18

書評「ツカむ!話術」

お笑いコンビのパックンマックンのパックンによる、コミュニケーション術について書かれた「ツカむ!話術」

お笑いタレントの書いた本ということで、もっと軽い本かと思っていましたが、どうしてどうして。すごく論理的で、かつわかりやすい本でした。

コミュニケーションや人と話す上で説得力のある伝え方をするにはどうするか。普段の会話、会議、プレゼン、スピーチなどなど、様々なコミュニケーションについて書かれています。



この本は「なるほど」と思わせてくれる話が多かったです。コミュニケーションって奥が深い。

日常で色々な話を聞いたりしたりしていますが、そのほとんどは「話術」を意識することなく、コミュニケーションは成立しています。そんなコミュニケーションにも、奥にはいろんな理論があることが本書を読むとわかります。

自分の経験や体験を振り返って見た時に、わかりやすい話とそうではないもの、伝わる/伝わらないの違いは、何が要因だったのかが、この本の説明を読むことで「そういうことだったのか」と。

その中でも特におもしろかったのは、コミュニケーションにおける説得の要素は3つあるというもの。エトス、パトス、ロゴスと言われるもので、
  • エトス:人格による説得要素。話している人を信用しようという気にさせるような表現を指す。人格が優れている、品格がある、人柄がよい、センスが良い、面白そう、価値観が自分と一緒などの、その人自身の信頼性
  • パトス:感情に働きかける説得要素。共感、怒り、喜び、所属愛/愛国心など、聞いている人に特定の感情を抱かせるような表現
  • ロゴス:知性に働きかける説得要素。その人の言うことが頭で考えて理解し、納得できること。話に論理性がある、理論的である表現

この3つをもう少し噛み砕いて書くと、説得力があるのは、①信頼のできる人物が話し、②話の内容に共感できたり感情移入でき、③話の論理や言葉がわかりやすい。

さらに、この3つは同等の力を持っているわけではないとのこと。エトス > パトス > ロゴスの順。

つまり、いくら言葉巧みに話されても、話に共感できなかったり、その人自体が信用できない人であれば、人は動かないということです。逆に言うと、信頼している人の話は、多少の論理性がなくても、信用してしまいがちということ。

話す人によって相手が動くかどうか(説得されるかどうか)が変わるのは、例えば、クライアントを説得するために、ここぞという時は自分の上司である部長に同行してもらう、なんてことが当てはまります。

話す内容自体は部長も自分も変わらなくても、むしろ技術的な詳細とかは自分のほうが知っているとしても、説得力があるのは部長なわけです(くやしいけど)。これは、部長と自分のステータス/社会的地位の差から生まれるもので、本書で言うところのエトス度が違うのです。

同じ例で言うと、エトス度の高い部長が、さらに、クライアントが抱える課題や悩みに寄り添うような、相手の感情も汲み取った話し方(パトス)をすればさらに効果があるでしょう。エトス+パトス度の高い説得方法です。

コミュニケーションをして相手を動かすために、自分は今、エトス(人格)、パトス(感情)、ロゴス(論理)のうち、何を使っているのか。これだけでも意識するのと、漠然とコミュニケーションをするのでは、話し方のセンスは違ってくるのではないでしょうか。

ちなみにこの本の帯には、「東京工業大学で大人気の白熱講義、ついに書籍化!」「名門大卒芸人パックンが教えるハーバード流トーク術!!」とあります。ここでもうまくエトスが使われていますね。




2014/05/11

アメリカ版ドラえもんは何が変わるのかな?

ドラえもん(アニメ)が全米デビューをするようです。2014年の夏からアメリカで放送されるとのこと。
「ドラえもん」全米デビュー!ディズニーとタッグでアメリカンテイストに|スポーツ報知




このニュースを見て思ったのは、
  • 全米放送にあたり、日本のドラえもん設定がどのくらい変わるのか
  • ドラえもんというアニメは、アメリカで受け入れられるのか

報道によればキャラクターなどいくつか設定が変わるようです。以下、上記スポーツ報知からの引用です。
ドラえもんを除く主要キャラクターは名前を新調。のび太は「ノビー」、ジャイアンは「ビッグ・ジー」、スネ夫は「スニーチ」、しずかちゃんは「スー」に。さらに、事前のマーケティングで米国内の子どもたちに日本版を見せたところ「しずかちゃんの性格を変えた方がいい」との意見が多数寄せられたため、本来は入浴を趣味とするなどおしとやかなヒロインが、ボーイッシュなキャラに“チェンジ”。人形を持つシーンは、日記帳に変更された。

ひみつ道具の名称を全て英訳しただけでなく、登場する箸をフォークに、オムライスをパンケーキに、千円札を米ドル札に変えるこだわりぶり。米国の風習に合わせ、パパが畳に寝転ぶシーンはカット。過食表現を禁止する放送基準もあり、ドラえもんがドラ焼きを大量に食べる場面は短縮された。一方、ディズニーと言えばミッキーマウスだが、ドラえもんがネズミを怖がる設定を変えることはなかったようだ。

引用:「ドラえもん」全米デビュー!ディズニーとタッグでアメリカンテイストに|スポーツ報知

前半の引用部分では、しずかちゃんの性格が変わる以外は、変更点はキャラクターの名前くらいのようです。

ドラえもんのストーリーというのは基本的に
  • のび太がドジッたり、ジャイアン/スネ夫にイジメられてドラえもんに泣きつく
  • ドラえもんがひみつ道具を出してくれる
  • のび太がひみつ道具を使って活躍。…したかと思いきや最後にオチがある

このストーリー構成がアメリカでもそのままなのかは気になるところです。

ドラえもんって、アニメの名称は「ドラえもん」ですが、描かれ方はのび太が中心になっていると思っています。のび太が主語になっているというか。

のび太のような中心人物が弱かったり頼りない設定は、日本ならではな気がします。アメリカで受けそうなアニメ設定は、主人公は強くたくましいイメージなので、設定としてはドラえもん中心になり、ドラえもんが日本よりもしっかりした設定になるのかもしれません。

ちょっと話が脱線しますが、日本ではよく自虐ネタで笑いを取ることがありますが、アメリカや英語圏の人が自虐ネタでジョークを言うのはあまり聞いたことがない気がします。

こうした文化背景の違いもあるとすると、のび太のキャラクターは日本のよりも変わるのかなと思ったわけです。

のび太のキャラクターはそのままで、アメリカ版は頼りになるドラえもんが中心に描かれるのかもしれません。日本ではのび太が助けられるという設定なのが、アメリカではドラえもんが助ける、という。

日本のドラえもんとアメリカのドラえもんは何が変わるのか、そして、アメリカ版ドラえもんはアメリカで受け入れられるのか(どんな評価をされるのか)。楽しみです。


2014/05/10

ファイナルファンタジー6と情報社会

ちょっと前までハマっていたのは、FINAL FANTASY 6 (FF6)でした。

子どもの頃にスーファミ版ではやったことがあったのですが、スマホ版でも発売されているのを知り、懐かしさもあってやり込んでいました。FFのアプリをダウンロードし、スマホで手軽に遊べるというのが、当時のスーファミ時代と比べると、色々と時代の変化を感じておもしろかったです。

実感としてあらためて思ったのは、インターネットがない時代とある時代の違いでした。

ゲームの攻略や各種アイテムの説明、マニアックな情報など、検索することですぐに出てきます。ゲームを進める中でわからなくなったことは、その場で検索すれば情報が得られました。

実は途中までは攻略情報などに頼らずに進めていましたが、すぐに方針を変えました。自力だけだと無駄に時間がかかるわけです。自力というのは、ストーリーを進める手がかりはゲーム内の「街の人」に話を聞くことが中心になるのですが、あまりに効率が悪いと思ってしまったわけです。

もう1つは、攻略情報を参考にすることで、レベル上げの作業もほとんどする必要はなくなりました。

思えば、ネットがない子どもの頃は、参考情報が限られていました。ゲームでどう進めてよいかわからない時は、まわりの友だちに聞いたり、それでもわからない時はゲーム内でなんとか情報を集めるとかくらい

本屋さんに行けば攻略本があったりしましたが、「おこづかいは1ヶ月1000円ね」みたいな財布事情だったので、安易に手を出せなかった記憶があります。

そんな牧歌的な時代とあらためて比べると、その場ですぐにネット上で検索し、必要な情報が手に入る時代なんだなと。ネットで検索する、それも手元のスマホで一瞬にして情報が得られるのが当たり前になっていますが、その「当たり前」がFF6をもう1度遊ぶことであらためて実感できました。

今回のFF6の遊び方は、レベル上げなどはせずにネットの情報を最大限に活用し、いかにサクッと遊びきるか、みたいな感じでした。FF6の検索を繰り返すことで、ゲーム内のことも少し詳しくなった気はします(クリアした途端に忘却されていますが)。

当時、攻略するに苦戦したダンジョンやボスも、必要な情報を集めればレベルが十分でなくても、倒せるんだなとか。昔遊んだ記憶がよみがえってきて、懐かしかったです。

1800円とアプリにしては高額でしたが、十分満足できるゲームでした。


ダウンロードはこちらから:
FINAL FANTASY VI | iTunes
FINAL FANTASY VI | Google Play





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