2015/09/29

「我が身を正すこと」はリーダーシップの出発点




「荀子(じゅんし)」という古典には、次のような言葉があります。

原(みなもと)清ければ則ち流れ清く、原(みなもと)濁れば則ち流れ濁る

源が清ければ下流は清く澄んでいるし、源が濁れば下流も濁る。意味は、根本を正すことが肝要であり、上が正しくなれば、下は自ずと正しくなるということです。

■リーダーこそ「我が身を正せ」

荀子のこの言葉は、リーダーシップの教えであると解釈できます。「上に立つ者はまず我が身を正せ」ということです。

リーダーの姿勢が手本として部下に示され、全体に影響するのです。リーダーという組織の源が清ければ、チーム全体も清くなるだろうと言えます。その逆もまた然りです。

もちろん、我が身を正すことだけで、リーダーとして役割を果たせるとは言えません。リーダーとなるには他に必要な要件があるでしょう。

我が身を正すことは、リーダーシップの必要条件ではあっても、十分条件ではありません。荀子のこの教えは、リーダーのための出発点ではないでしょうか。

■「慎独」から我が身を正しくする

では、どうすれば我が身を正すことができるのでしょうか?

私はそのヒントは「慎独(しんどく)」にあると思っています。

慎独とは、古典である「大学」に書かれている「君子必慎其独也 (君子は必ず其の独りを慎むなり)」から来た言葉です。意味は、自分一人のときでも、行ないを慎み、道をはずれないようにすることです。

何か後ろめたいことであっても、人が見ていないところではついやってしまう。これは人間誰しも起こり得ることです。慎独は、その状況でこそ自分を律することができるかを問うのです。

人が見ていなくても、見られている時と同じような行動が取れるか。他人が見ていないということは、その状況を誰かに言わなければ自分だけしか知らないことです。ちょっとくらいならいいやではなく、自分の行ないを慎み、人としての道を外れないようにできるかです。

もっと言えば、自分の行ないや自分自身を律することができるかの判断基準は、誰か他の人が見ているかどうかで決めべきではないと思います。

あくまで自分自身の中の問題として捉えるべきです。人の目があるかどうかは関係なく、自分が持つ倫理観に背く行ないであればやらない。

この積み重ねが「我が身を正す」ことにつながります。


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