2015/01/31

書評「原発ホワイトアウト」

小説「原発ホワイトアウト」を読みました。この小説は、霞ヶ関の現役官僚による内部告発小説として話題になり、2013年のベストセラーの1つです。



ストーリーの舞台は、2012年12月に行われた衆議院選挙後の日本。原発再稼働か脱原発かで国民が二分する中、電力業界、経済界、政界が三位一体となり、虎視眈々と再稼働に向けて暗躍する様が描かれています。

内部告発小説と言われたのは、(本名や詳細は伏せていますが)著者が現役のキャリア官僚であること、さらには内容が関係者しか知り得ないようなことで、「リアルに」見えることです。

■総括原価方式が生んだ「モンスターシステム」

電気料金などの公共料金は、日本では総括原価方式と呼ばれる仕組みが導入されています。これは、供給側(電力会社)の原価と利益を見込んで料金が決まるわけで、一見すると、民間会社としてはごく当たり前のように映ります。

ですが、この小説では、総括原価方式から生まれる「利権」が書かれています。

電力会社は地域独占という競争相手に対して少しでも安くするというインセンティブが働かないので、かかったお金(原価)を全て盛り込めることができ、さらには、割高の原価であっても、そのまま電気料金に反映させています。

ここに目をつけ、自由競争をする場合よりもあえて2割多い割高なコストで、電力会社は仕事を発注します。そして、割高部分の一部マネーを別で貯めておきます。

例えば、電力会社が下請け会社に発注する事業において、通常の競争環境であれば発注金額が1億円だとします。ところが、2割を乗せて1億2千万円で発注をします。水増し分の2千万のうちの5%をプールし、残りは下請け会社にいきます。

この5%分のお金が、政治家へのパーティー券購入や政治献金に使われる。初めは一つの電力会社だったものが、いつの間にか全ての電力会社で採用され、電力会社と政治が利権で癒着する様が描かれています。小説では「モンスターシステム」と呼ばれていました。

上記の例で言うと、電力会社は1億円の市場価格よりも2割も高い発注費用を払っても、電気料金に反映するので損はしません。下請け会社にとっても受注額が2割多いのでおいしい話。政治家にとってもお金が入る。

電力会社、その下請け会社(割高で受注できる)、政治家。全ての関係プレイヤーが得をする、なんとも巧妙な仕組みです。その分、割を食うのは電気料金という形でそれを負担する国民なのです。

■世論はいつの間にか誘導されつくられている

この小説を読んで思ったのは、世論とはとても流されやすいし、熱しやすく冷めやすいものだということです。反原発の流れも、喉元がすぎれば次第に大衆から冷めていった様子が書かれていました。

ただし、その裏で手を引いていたのが、原発再稼動を国民からは見えないところで進める人たちという小説設定です。

おおよそ、3つの種類の人たちが再稼働を触れることで、いつの間にかそれが世論として一定の大きさを持つに至っています。
  • 偉い人が言う(政治家)
  • 賢い人が言う(学者)
  • みんなが言っているように見える(マスコミ)

政治家や学者が、原発を再稼働させないと電気料金がどんどん上がる構図を示す。ワイドショーコメンテーター「原発事故も嫌だけど、月々の電気料金のアップも困りますよね」と発言する。

上記3つの方向から言われ続けることで、なんとなく大衆の空気ができているのではないでしょうか。

■送電できなくなると原発は緊急停止する

以下、ネタバレになるのでご注意ください。

本書では原発が緊急停止し、非常用電源が想定通りに働かず燃料棒の冷却ができないというシーンがあります。東日本大地震直後の福島原発で起こったことの再現です。

なぜ原発が緊急停止をしたかというと、原子力発電所から電気が送られる送電線の鉄塔が破壊してしまったからです。つまり、(原発に限らずですが)発電所からの電気が物理的に送れない状況では、原発は停止するという仕組みなのです。

この状況は、個人的には盲点でした。

原発敷地内の事故によって原発が緊急停止をしたのが福島原発でした。フクシマではその後の原発冷却に失敗したわけですが、原発敷地内の要因ではなく、送電線という原発から遠く離れた場所でのトラブルによっても、原発は緊急停止をすることがあり得るのです。

原発自体への安全性確保に比べて、送電線やそれを支える鉄塔は、あまりにも無防備に立っているのではないでしょうか。



自然災害、経年劣化、あるいはテロなどの犯罪行為によって、送電線/鉄塔が壊れてしまう想定や対策がどこまでできているのか。そういう話はこれまであまり目にしていない印象を私は持っています。

一方で、原発の緊急停止 = 原発事故、と単純に捉えないようにすることも大事です。

むしろ、事故に対して緊急停止ができるというのは、安全設計が働いています。重要なのは、原発の場合、緊急停止後に冷却措置を正しくとれるかで、安全に原発を止めきれるかです。

実際、福島原発の場合も、地震により緊急停止したまではよかったのですが、問題はその後でした。原発内の燃料棒を冷却するための電源が確保できなくなり、熱暴走を起こし水素が大量に発生し、ついには引火して爆発。放射性物質を外部に出してしまったのでした。

原発を冷やすには電気が必要です。福島原発事故の場合、あらかじめ用意されていた予備電源は全て津波により機能しなくなりました。また、次のバックアップとして、電源車が現場に到着したものの、電源車の電気コンセントが特殊で合わないという、あり得ないようなことが起こりました。そして、全電源喪失という最悪の事態を招いたのでした。

これらへの私の見方としては、自然災害というよりも人為的な設計ミスである人災です。

小説では、原発緊急停止後も、様々な悪条件/想定外な事態が重なり、為す術もなく状況だけがただ悪化する様子が描かれていました。

★  ★  ★

冒頭でも触れましたが、この小説は現役キャリア官僚が「内部告発」という言われ方をされています。また、内容を見ても、実際の人物を簡単に連想させる複数の登場人物が描かれています。

原子力再稼働を進める人たちの思惑、原発というカネと票を生む仕組み、利権の作られ方、密室での政治の決まり方、などなど、全て巧妙なところが、さもありなんと思わされます。

ただし、一方で、読んでいて思わざるを得なかったのは、どこまでが本当で、何がフィクションなのかが、結局はわからないことでした。

小説という形が、ストーリーとして原発の裏側がわかりやすいです。その分、とてもリアルに感じます。しかし、作者の素性が伏せられているし、情報ソースも書かれていないので、全て作り話という可能性もゼロではありません。もしくは、相当程度に着色されているかもしれない。

自分では、書かれている内容がどこまで本当かは調べようがありません。内容を信じるも信じないも読者次第です。

ちょうど昨年末(14年12月)に、第二弾である「東京ブラックアウト」が出ました。こちらも機会があれば読んでみようと思っています。





2015/01/27

優秀なリーダーはみんな「スピードラーニング」の達人

大前研一氏は、著書『稼ぐ力 「仕事がなくなる」時代の新しい働き方』で、スピードラーニングの重要性を伝えています。


つまりラーニングからリーダシップを発揮するまでの時間である。その転換が数週間、長くても3か月以内でなければならない。
私の経験からすると、優秀なリーダーはみんな「学びの天才」であり、とくに「スピード・ラーニングの達人」である。(中略)
私が知る限り、国際的にどこに行っても通用するグローバル・リーダーには共通のパターンがある。それは、一番最初によく人の話を聞き、実態を分析して正しい方向性を見つけるまでは謙虚そのもので全く先入観や偏見を持たずに取り組む、ということだ。そして改革案が出てきたら、強いリーダーシップで周囲を説得して断行する。このフェーズの切り替えは3か月でやることが重要で、2年も3年もかけたら意味がない。

特に仕事において、全くの新しいことに取り組む状況で、インプット中心の時期 → アウトプットできるタイミングの切り替えをどの程度で見込んでおけばよいのか。その期間の目安になるのが、遅くても3か月とのことです。

3か月という時間は、私自身の肌感覚にも合っているものです。

今の会社は、人の出入りがわりと多い環境です。組織異動や転職で新しい人が入ってきた時、新しいことを学び自分の中で消化し、チームに貢献できたり、その人がリードできるようになるには、少なくとも数週間は必要に思います。そして、3か月が一区切りというラインがまさにそんな感じです。

事実、転職した人に対して、入社3か月間は試用期間と見なし、3か月であまりにも成果が出せない場合は解雇の可能性もある、という環境があることを知っています。

逆の視点に立って見てみます。私自身が持っている1つの判断基準として、新しい人が入ってきた場合に、期待したレベルのパフォーマンスが上げられているかどうかを、3か月以内にできているかどうかがあります。

大前氏の上記の指摘で示唆があるのは、「グローバル・リーダーには共通のパターン」のインプットの仕方にあります。再度引用すると、
一番最初によく人の話を聞き、実態を分析して正しい方向性を見つけるまでは謙虚そのもので全く先入観や偏見を持たずに取り組む、ということだ。そして改革案が出てきたら、強いリーダーシップで周囲を説得して断行する。

成果を出すことに焦ってしまい、インプット期間に中途半端なまま、リードしようとすると、逆効果になってしまいかねません。インプットの期間は、学ぶことに集中すること、そして、中立な立場で様々なインプットをするのです。

同僚を見ていると、学びがうまいと感じる人は、単に頭がいいだけではなく、好奇心がとても強い傾向があります。受け身でやらされている感じは全く感じさせず、もっと言えば、自分の知識欲を満たすかのごとく、すごいスピードで学んでいきます。

本書『稼ぐ力 「仕事がなくなる」時代の新しい働き方』の主題は、いかに自立したビジネスパーソンになれるかです。

その1つの要素が、今の自分に何が足りていないのかを見極め、自らの意志で学び吸収していく姿勢。現状に慢心することなく、スピードラーニングが実践できればと思っています。




2015/01/25

自分の中の「違和感」を大切にする

書籍『あなたの仕事は「誰を」幸せにするか?---社会を良くする唯一の方法は「ビジネス」である』で、著者の北原茂実氏(医療法人社団KNI理事長)は、小さな「違和感」を見過ごすな、と言っています。

私自身も、これは大切だと思ったので、以下は本書からの引用です。
思えば私は、いつもこの「違和感」を大切にしてきました。
何色にも染まっていない若者だからこそ察知する違和感。素人だからこそ抱く、率直な疑問。なぜこんな不合理がまかり通っているんだ、どうしてみんな黙っているんだ、こんなのおかしいに決まっているじゃないかーー。違和感を素通りすることなく、そこにこだわり、違和感の正体を突きとめようとする。それは結局、物事の本質を考えることにつながっていくのです。

そして、違和感の正体を突き止めるための方法は「常識」を疑うことだと言います。
違和感の正体を突き詰める方法は、ひとつしかありません。
それは「常識」を疑うこと。 (中略)
そして常識に疑いの目を向ければ、これまで見えてこなかったまったく新しい風景が目の前に現れるはずです。正しい情報を知り、自分の頭で物事を考え、自分だけの結論を導き出していく、さらにそこから一歩を踏み出し、なんらかのアクションを起こしていく。変わらない世の中を嘆くのではなく、自分の手で変えられる余地を探してください。不平不満をこぼすだけの評論家にならず、理想とプランを語る活動家になってください。自分の違和感を信じて、過去の常識に惑わされず、あたらしい常識をつくる人間になりましょう。
あらゆるイノベーションの鍵は、あなたの「違和感」の中にあるのです。

自分の経験を振り返ってみても、例えば仕事でデータを見ていた時、レポートの結果を読んでいる時、ふとした拍子に、「これは何かおかしい気がする」と感じることがあります。ただし、その時点では、具体的に何がおかしいかは自分でもわかりません。

感覚で言うと、おかしい確率は10%もないくらいなのですが、違和感を感じるわけです。そこで立ち止まり、違う確度からデータを見たり検証を進めていくと、違和感からわかったことが新しい発見につながったり、示唆が得られました。あるいは、集計ミスなどのデータが間違っていることが判明します。

自分の中に生まれた違和感を大切にする、見過ごさないということは、自分の直感を信じることだと思います。




自分の違和感や直感というのは、自分にとっては受け入れられるものであっても、他人にはなぜそうなのかを理解/納得してもらうのは、時として難しいケースがあります。特に、相手にとって当たり前であること、常識に対しての違和感であればなおさらでしょう。

違和感を大切にする。素通りせずに、その正体を1つ1つ突き詰めていく。

さっさと見過ごして通り過ぎれば、もともとの到着地にはすぐに行けてしまいます。でも、違和感に対して寄り道をする余裕、そのプロセスを大事にしたいと思っています。




2015/01/24

「海賊とよばれた男」に見るリーダーシップ

小説「永遠の0」などの著者 百田尚樹の小説「海賊とよばれた男」を読んでいます。文庫本で上下巻の2冊あり、上巻を読み終わりました。

「海賊とよばれた男」の内容を紹介文から引用すると、
1945年8月15日、敗戦で全てを失った日本で一人の男が立ち上がる。男の名は国岡鐡造。出勤簿もなく、定年もない、異端の石油会社「国岡商店」の店主だ。一代かけて築き上げた会社資産の殆どを失い、借金を負いつつも、店員の一人も馘首せず、再起を図る。石油を武器に世界との新たな戦いが始まる。

上巻では、前半は、戦後直後からどん底状態である「国岡商店」がゼロから再起する様子が描かれています。後半では、主人公の生い立ちに戻り、戦前から大東亜戦争の時代の活躍が書かれています。

ちなみに、本書の主人公である国岡鐵造は、実在の人物である出光興産創業者 出光佐三をモデルにしています。

これから下巻を読むので、本書の全体や結末はまだわかっていません。この状況で取り上げようと思ったのは、上巻を読み主人公の言動から、あらためてリーダーシップについて考えさせられたからです。




主人公である国岡鐡造のリーダーシップは、自分の信念を貫き通すスタイルです。その姿にまわりは惹きつけられていきます。

国岡の信念がなぜまわりを惹きつけるかというと、一言で言えば「利他」を優先するからだと思いました。会社の利益よりも、国や社会への還元や消費者への利益を第一に考える、社員を本当の家族のように大切にする。

目の前のことは損であっても、それが日本の将来のため、国の平和につながると思えば、同業他社の誰もが決してやらないような案件を引き受けるのです。

★  ★  ★

今の自分がいる会社のカルチャーの1つに Do the right things. というものがあります。「正しいことをやる」というそのままの意味です。

言葉にすると当たり前に聞こえる Do the right things ですが、重要なのは「正しい」とは、誰にとって正しいことなのか、だと思っています。

それが悪事ではない正しいことであることはもちろん、単に自分にとって正しいことだけでは十分ではありません。会社にとって正しいことであり、自分たちにとってのユーザーやクライアントにとって正しいことなのか。社会にとって the right things なのか。

あらためて、そんなことを考えさせられました。




2015/01/18

書評「快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか」

あなたにとって気持ちのいいことは、どんなものでしょうか?人はなぜそれに対して気持ちいいと感じるのか?




「快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか」という本では、高カロリーな食べ物、アルコール、ドラッグ/薬物、恋愛、セックス、ゲーム、ギャンブルなど、そしてさらには運動をしたり、瞑想行為、人は情報を得た時にも快感になることなど、様々な刺激による快感のメカニズムが書かれています。

人が快感を求める一方、自分や他人にもマイナスな影響を及ぼすほどに、のめり込んでいく「依存症」も考察されています。

■美徳も悪徳も快感のメカニズムは同じ

快感を得ている時、脳内では何が起こっているのか。すごく単純に言うと、ドーパミンが放出されることにより発生します。

当然、ドーパミンの放出のされ方で、快感の度合いや継続時間も変わってきます。ただ、本書での様々な刺激による快感の話を読むと、どの快感も基本的な仕組みは同じであることがわかります。

つまり、食や性行為などの、人の基本的欲求から発生する快感、違法薬物から得られる快感、運動後の爽快感など、良い行為であっても犯罪行為でも、脳内で起こっている快感のメカニズムは同じなのです。

ただ、疑問として、同じ行為や刺激でも人によっては快感と感じる度合いが違うのではと思います。それに対して納得感のあったのは、以下の言及でした。
快感が私たちにとってこれほど力を持つのは、快感回路と脳の他の部分との相互連絡によって、記憶や連想や感情や社会的意味や光景や音や匂いで飾り立てられているからだ。 (中略) 快感が持つ非日常的な感覚やその感触は、快感回路と関連する感覚や感情がつながり合って網の目の中から生じてくる。

もう1つ、興味深く読めたのは、本書ではいろいろな調査/研究の事例が紹介されていることです。

マウスを使った実験や人を被験者にした研究が、それぞれどんな方法で調査をされたのか。調査ではこんな工夫をしたという点が興味深く、個人的にはおもしろかったです。

■どんな快感も自由に得られるとしたら?

本書「快感回路」では、様々な快感を取り上げた後に、最後にある考察を試みます。「快感の未来」と題した最終章です。

ある道具を使えば、人は気軽に、どんな快感でも自由に作り出し、コントロールでき、気軽に体験できるようになったとしたら、どうなるのか?という問いかけです。

大好きな食べ物を食べている時の快感をベースに、性的快感を加え、人から褒められたり感謝された時の満足感も足す。それを目盛りで微調整して快感を楽しむ。ネット上には「快感レシピ」が公開され、人は自由に快感を楽しめる。

こんな体験を、例えば専用の帽子(本書では「野球帽」という名前がつけられます)をかぶることで誰もが簡単にできるようになる未来です。(依存症にならないように、快感体験後にその快感がなかったことにリセットする機能も補足されています)

以下、考えさせられる内容だったので、引用しておきます。
私たちが快感野球帽を手に入れたときには、快感を道徳的に考え直す必要が出てくる。あらゆる快感が依存症のリスクなしに味わえるとしたら、それでも私たちは節制を美徳と見なすのだろうか?快とは骨折りと犠牲によって得られるべきものだと考えるだろうか。 (中略)
快感の未来について考えを突き詰めていくと、最後には人間の問題に行き着く。 (中略) もし快感がどこにでもあるものになったとき、私たちは何を欲するのだろうか。




2015/01/17

「排卵時期の女性の声は普段よりも魅力的になる」という調査結果

ヒトの生殖に関して、ある調査が興味深かったのでご紹介します。
Women's Voices Are Sexiest At This Time Of the Month | Bustle

Physiology & Behaviorに発表された調査結果によれば、排卵中の女性の声は、そうではない時よりも魅力的になるとのこと。




調査概要を簡単に書くと、
  • 排卵中とそうではない時の女性の声を記録し、別の被験者男女に声を聞いてもらった
  • 被験者にはその声が魅力的かどうかを答えてもらった。同時に、心拍と皮膚の状態を測定した
  • 被験者は男女ともに、排卵時の女性の声が、そうではない時よりも魅力的と感じることがわかった。また、心拍数の増加、皮膚の反応も観察された

より詳細は、以下に発表されています。
Physiological changes in response to hearing female voices recorded at high fertility


排卵の頃、つまり、生殖が可能なタイミングにおいて、女性が普段よりも自分の魅力を高める能力を人間は持っていることになります。今回の調査では、声によってということがわかったわけです。

調査内容を見る限り、どのようなメカニズムで排卵中の女性の声が変わるかについては書かれていませんでした。おそらく、自分自身では普段と同じように話していても、声帯が排卵時の時だけ、何かしらの反応をし、声の質を変えているのだと考えられます。その声質は、男性からすると、魅力的に感じるものになるようです。

個人的におもしろいと思ったのは、女性側にも、他の女性の排卵時の声が魅力に聞こえることです。

女性が自分の排卵時に、(生殖のため)自分の声を魅力的にする、それは男性にも伝わる。ここまでは、自らの子孫を残すということに理にかなっています。

一方、女性側も男性と同じように、魅力的に感じ、心拍数の増加などの身体的な反応を示すのです。これは何を意味するのか。

可能性として考えられるのは、女性が、他の女性の声を魅力的に感じたとすると、そのタイミング(他の女性の排卵時)では、その人と男性をめぐっての競争を回避することに役立つのかもしれません。排卵時期の女性が優位に立ち、全体として子孫を残すことにより効率が良くなるのではないでしょうか。


2015/01/12

スタンフォード大学の「人は他人の購買行動に影響を受けるのか」を明らかにした調査がおもしろい

Facebookで、あなたの友人が「これを買いました!」と写真付きでタイムラインに流れているのを目にしたとします。なんとなく自分も欲しいと思った経験はないでしょうか?

親しい友人であれば、そのまま自分も買ってしまうケースもあるかもしれません。




一方、これがもし知人/友人ではなく全くの無関係な人であっても、他人の購買行動から人は影響を受けるのでしょうか?

このリサーチクエスチョンを明らかにするスタンフォード大学の調査が、ワシントンポストの記事に掲載されていました(2014年12月)。
People around you control your mind: The latest evidence - The Washington Post

全くの赤の他人であっても、人はまわりの人の行動に影響を受けるのか。

26万人近くの飛行機乗客データを使って調査した結果が紹介されています。隣の人が機内販売で何かを買った場合、その横の人が買うかどうかを、実際の乗客のデータを使って調査をしたようです。スタンフォード大の発表論文はこちら(PDF)

具体的な調査手法はこうです。下図のように、
  • ある乗客が機内販売で何かを買う(右上のIndicator(赤色))
  • 何かを買ったIndicatorの隣の人を"Treated"、比較対象として隣の人が買わなかった人を"Control"とする
  • TreatedとControlの人の購買有無を比較する。仮説は「隣の人が買ったTreatedのほうがControlよりも購買する確率は高くなる」


調査結果によると、乗客が機内販売で何かを買う確率は15-16%であり、この平均値に比べTreatedとなった人は、+4ポイント高かったようです。つまり、確率は約20%ほどになったとのこと。

結果から示唆されることは、知らない人であっても人は他人の購買に影響を受けるのです。

ちなみに、調査では家族や知人同士で隣に座っていた乗客は、対象者から外すなど、Treated vs Controlの違いはあくまで、隣の他人が購買したかどうかしかないような調査設計としています。

ここにしか差異はないので、Controlに比べてTreatedの購買確率が有意に高ければ、隣の人が買ったことでその人も買うことには、因果関係があると言える設計になっています(ここが調査設計のポイント)。

個人的に興味深いのは、あらかじめ機内販売を買うように支持した人を座らせ、その隣の人が同じように買うかどうかという調査設計ではないことです。すなわち、完全な自然状態において乗客の座席と機内購買データから集計した結果であるということ。

もし、あらかじめ機内で買うことを支持された実験協力者を座らせ、その隣の人が買うかどうかを調べるような調査設計の場合。その隣の人(Treated)は実験のことを事前に知らされず承諾なしで勝手に実験に協力させられたとして、後から物議を呼ぶ調査になることも考えられます。

以前、フェイスブックがネガティブな投稿内容についての実験調査を行ない、議論を読んだ論点の1つでした。
Experimental evidence of massive-scale emotional contagion through social networks

話を調査結果に戻すと、他人の購買行動に人は影響を受けるのであれば、例えばサクラを入れることは(倫理的な議論は別にして)理にかなったことになります。

スタンフォード大学の調査では、他人同士の購買行動への影響を調べたものです。これがもし家族や知人など親しい人同士では、人は購買にどんな影響を及ぼすのか。感覚としては、他人のそれよりもより影響を受けそうな気がしますが、どうなんでしょうか。


2015/01/11

自分が「ぱっと見て欲しい!」と思ったのはなぜ?

楡周平の小説「象の墓場」に、まさにということが書かれていました。
果たして、早苗は痛いところを突いてくる。「消費者が欲しいって思う商品って、説明なんかいらないものなんじゃないかしら。ぱっと見て欲しい!って思うものは黙っていても売れて行くものなんじゃないの (中略) 」

(中略)

これができる。あれもできる。この部分が優れている――。製品を開発し、販売する側に立つ者は、長所、利点を消費者に訴える。だが、それが真に消費者が待ち望んでいたものならば、本来そんな説明は無用であるはずなのだ。面白そうだ、美味しそうだ、便利かも――。見ただけで、ちょっと触っただけで、興味を惹かれる。本来売れる商品とはそういうものであるに違いないのだ。
物を売る側の熱意、思惑と、市場の反応は別物だ。そして多くの場合、作り手側は裏切られる。それが市場だ。

提供側、それも自分が開発したサービスやプロダクトであれば、何がすごいかはユーザー以上にわかっているものです。サービス/プロダクトの裏側になるアイデアや着眼点、技術的に何がすごいのか、これまでと何が違うのか。

しかし、本当にそれがユーザーが求めているものなのか。そこに温度差はないか。あらためて考えさせられたのが上記の引用部分でした。

ここを読んだ時に思い出したのが、ライフネット生命の代表取締役会長兼CEOである出口治明氏へのインタービュー記事でした。

氏は「仕事以外のところから、仕事に役立つことを学ぶしかない」と言っています。
20世紀は、仕事に役立つことは仕事の中でだけで学べば、通用する時代でした。会社で出世もできました。それは戦後日本がゼロから高度成長期の波に乗り、右肩上がりでどんどん伸びていったからです。会社でマジメに働いてさえいればハッピーでいられたからです。

日本が国際連合に加盟した1956年からバブルの90年までの間の、日本の経済成長率は、平均で約7%です。つまり、10年で経済規模は倍になる数字です。こんなスピードでの成長を34年間続けていたのです。ある意味で、マジメに働く、というのが最大の戦略で、仕事のことは仕事で学べばいい時代だったのです。

ただし、こんな夢のような時代は、先進国で老人大国で少子化の進む今、そしてこれからの日本には2度とやってきません。少なくても私たちの生きている間はたぶんない。

何も考えずに、同質の人だけが集まる会社で仕事をしてさえいればハッピーになれた34年間は、もう終わっているのです。

じゃあ、どうすればいいのでしょうか?それは、仕事以外のところから、仕事に役立つことを学ぶしかない。言い換えれば、これまでの常識を捨てる。

仕事以外で学ぶとは、ものごとを消費者や商品/サービスのユーザーとして見ることです。

仕事の視点だと、どうしても提供者側の視点で世の中を見てしまいますが、全く逆の視点で消費者目線で身の回りを観察してみる。




自分が「ぱっと見て欲しい!」という感覚。その感覚は自分の何から生まれたのか。そこから、(消費者としての)自分との対話が実は大事なんじゃないかなと。




2015/01/10

P&Gのマーケティング意思決定から学んだこと

2013年の記事ですが、Harvard Business ReviewにP&Gが意思決定にデータをどのように使っているかを紹介されています。
How P&G Presents Data to Decision-Makers - Harvard Business Review

(2015年の今と比べて更に進化しているかもしれませんが)ダッシュボード、会議室の様子、チャート例(ヒートマップ)の事例も興味深いですが、この記事で最も印象に残ったのは、以下でした。
The real goal is to help them understand quickly what’s going on in the business, and to decide what to do about it. P&G’s CIO Filippo Passerini calls it “getting beyond the what to the why and the how.” If decision-makers have to spend too much time with the data figuring out what has happened in an important area of operations, they may never get to why it happened, or how to address the issue.

グラフなどのデータ結果から「何が起こったのか」のファクトを知ることだけにとどまらず、その先にある「それに対してどうアクションをするのか」にいかにたどり着けるか。“getting beyond the what to the why and the how.”とあるように、「なぜ」「どうするか」が問われているのです。

上記にある問題意識は、データから「何が起こったか」を見るのに注力するあまり(時間をかけすぎて)、なぜそれが起こったかの背景/理由、さらにはそれに対してどう解決するかの打ち手に時間を使えないことです。本当に大切なことに時間を使えているかという投げかけです。



例えば自社ブランド/サービスの売上のデータを集計するとします。

自分で一から集計プロセスをつくる場合、大量のローデータから最終的なアウトプットまで、どう設計するか。いかにシンプルに、かつ、後から誰か他の人が見てもプロセスがわかりやすいようにつくるか。データテーブルの設計を頭に描き、時にはプロセスをノートに書き出して、本当に狙い通りの集計が走るかを試行錯誤する。こういうのを考えるのはわりと好きだったりします。

ただ、ここで注意したいのは、以上のプロセスはあくまで「何が起こったか」を出すための業務だということ。山登りで言えば五合目くらいまでです。

大事なのは、その先。最終アウトプットを作った後なのです。結果から、その状況の理由や、結果に対してどんなインサイトを出すか。インサイトも机上のことではなく、実際のアクションにつながることが重要です。

“getting beyond the what to the why and the how.”


2015/01/04

書評『「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる!』

『「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる!』という本に書かれていた、「医療崩壊の正体は”医療費崩壊”である」という指摘が目から鱗でした。
結論から先にいいましょう。医療の現場が荒廃し、医療崩壊が叫ばれている原因は、一にも二にも財源不足です。
患者が増えて医療が高度化・複雑化するほど人手が必要になるのに、支払われる医療費はとても採算ベースに乗るものではなく、働けば働くほど赤字になることさえ珍しくありません。そして病院は人を雇うお金がないまま、医師や看護師に限界を遥かに超えた超過勤務を強要し、それが彼らの離職や医療事故へとつながっていく。結果として、国民全体の命が危険にさらされる。
いわゆる医療崩壊の本質は、ここにあります。医療崩壊とは、なによりもまず「医療費崩壊」なのです。

■日本の医療費は抑制されている

そもそもとして、日本の医療費は高いのでしょうか?低いのでしょうか?

一般的な人々の認識としては、増え続ける医療費・抑制/削減をしないといけない、だと思います。

厚生労働省によると、2013年度(平成25年度)の日本の医療費は約39兆円です(厚生労働省の発表)。OECD加盟国と比べると、日本の医療費は多くもなく少なくもないという状況でした。2011年のデータで総医療費のGDP比率は9.6%。OECD平均の9.3%をやや上回る程度です(厚生労働省の発表)。

単純に数値だけを横比較すると、日本だけが突出しているわけではなく、むしろ医療費の抑制はできているようにも見えます。

■医療費を抑制する国民皆保険は今の日本に合わない制度

日本の医療費は本来はもっと高くてもよいのではないか、という視点に立つと、違ったものが見えてきます。詳しくはぜひ本書をご覧いただきたいですが、簡単に書くと、
  • 医療費が抑制されているのは「国民皆保険」という制度による
  • 国民皆保険の前提として、診療にかかる費用は全国どこでも同じ金額。この全国一律の料金は、国の諮問機関が定める「診療報酬」に基づく。1点 = 10円の点数制
  • 過去数十年で日本の医療水準は大幅に向上したが、診療報酬点数はほとんど伸びていない(抑制されている)
  • 民間から価格決定権を奪い、国が価格を決定して全国一律サービスを目指そうとする国民皆保険は、そもそもが社会主義的な発想である

本書を読んで思ったのは、国民皆保険とは万能の制度ではないということでした。その国の社会構造によって、とてもよくできた仕組みにもなるし、社会に合わない仕組みにもなります。

国民皆保険と相性の良い社会とは、①右肩上がりの経済成長、②病気になる人が少なく(≒ 高齢者が少ないピラミッド型人口構成)、病気の人を支える人が多い。つまり、戦後から高度経済成長までの日本にはよくできた制度でしたが、現在の日本にはそぐわない仕組みです。これは、日本の年金制度にも共通する課題です。

■医療を「産業」とみなす発想転換を

医療崩壊の根っこの原因が低すぎる医療費だとすると、医療崩壊の解決のために、単に人手を増やすだけでは、問題解決にはなりません。

本書での大きな提言はシンプルで、解決策は総医療費を増やすことだとします。

医療費増 → 社会保障費増 → 保険/税の財源をどうするのか、という議論になってしまいます。これに対してなるほどと思ったのは、考え方の発想転換が必要という本書での指摘。
どうして彼ら(引用者注: 国)は「総医療費の高騰が国を滅ぼす」と考え、ひたすら医療費抑制に努めるのでしょうか?
答えは簡単で、医療を「産業」として見ていないからです。
医療をなんの儲けも生み出さない、税金を食いつぶすだけの「施(ほどこ)し」と考えているから低く抑えようとする。総医療費を減らすほど経済がよくなると考える。
しかし、医療を「35兆円規模(引用者注: 2009年度)の巨大産業」だと考えたら、少子高齢化の時代に向けてこれほど有望な成長分野もないことがわかるはずです。
別に、税金や保険料を上げる必要はありません。まずは株式会社の医療参入を認めること。医療法人という縛りをなくすこと。医療を「施し」から「産業」に変えること。これだけで劇的に変化します。




■実践者の提言だからこそ価値がある

本書では、そのための具体的な提言や、すでに自分たちで実践している内容が詳しく書かれています。

価値があると思うのは、著者は日本では八王子で、そして海外ではカンボジアで、自分が描く理想を実現するために行動を起こしているということ。

八王子での一例としてワンコインドックという診察は画期的だと思いました。



これだけ見ると、医療費の削減とも見えますが、診察プロセスをシンプルにし、従事者も採血であれば看護師/検査技師でも可能なので、医者は本来の自分にしかできない仕事に注力できます。著者はこのワンコインドックにより開業医の8割は不要になってしまうのではと言います。

カンボジアで医療展開をするのも、単にカンボジアで儲かるという理由ではなく、カンボジアの人々のため、さらにカンボジアでの成功事例を日本に逆輸入することで、既得権益で固まった日本を変えようとしています。




2015/01/03

全ての調査は正しいし、全ての調査は見誤る可能性があるという話

2014年12月、第47回衆議院議員選挙(衆院選)が行われました。

選挙結果もさることながら、個人的にいつも興味があるのは、事前予想であったり投票締め切り直後から発表される速報結果です。選挙特番が始まった20時の段階ですぐに出始める「当選確実」のあれです。

特に事前予想では、昔は有権者への電話調査や該当でのインタビューが中心でしたが、ここ最近ではネットからの予想調査もよく目にするようになっています。

興味があるのは、単に各予想内容がどれだけ当たるかではなく、それぞれが何のデータを使ってどういう方法で予測されているかという点です。

定番であるアンケートや電話調査に加え、新しい試みとして、例えばYahoo! Japanは検索データに基づいた選挙予測を展開しています。
ビッグデータが導き出した第47回衆院選の議席数予測 (ビッグデータレポート)|ヤフー株式会社




こうした「調査」を見る際に、いつも頭に入れておきたいと思っていることがあります。

全ての調査は正しい一方で、全ての調査は間違って見誤る可能性がある、ということです。
  • 正しい:どんな調査であってもその前提条件(調査対象者 / 調査手法など)のを理解した上で解釈をするなら正しい
  • 見誤る:その前提条件を見ないと結果を間違って理解してしまうというミスリードの可能性がある

どんな調査も、(全数調査でない限りは)真実との乖離は必ずあります。この乖離の大小は前提条件に依存します。

アンケートであれば、誰にどういう方法で聞いたものなのか(電話なのかネットアンケートなのか)。

電話であれば、日本ではRDD方式(Random Digit Dialing: 乱数番号法)と呼ばれ、予め決めたエリアに対して該当する電話番号をかけます(例えば東京なら 03 で始まる番号)。各エリアに対して目標とする年代と性別の回答者を集めるため、電話をかけまくる方法です。お気づきかもしれませんが、電話調査に使われる電話は日本では固定電話で、携帯電話は含まれていません。

ネットアンケートも、それがどういう方法で誰に聞いたかを前提として知っておくことが大事。例えば、ニコニコではアンケートによる独自の選挙予測調査を発表しています。
【全475議席中、452議席の当確予測が的中】 ニコニコアンケートもとに衆院選の「当確予測」を発表 (12月15日12時更新)|ニコニコニュース

ニコニコアンケートで注意が必要なのは、1つはアンケート回答対象者はニコニコユーザーであるということと、2つ目はニコニコが言う「独自」の手法がブラックボックスな点です。

もちろん、予測手法そのものは各社のノウハウですが、一方で結果を見るにあたってどういう前提なのかが受け手にとってわからなければ、私たちはその結果を判断しようがないのです。

繰り返しになりますが、全ての調査は正しい一方で、全ての調査は間違って見誤る可能性があるのです。それは前提条件が何かで、かつ理解して見るかどうかです。

新聞社やTV局が行なう電話調査であれば、固定電話から答えた人の結果。Yahoo! の検索データからの予測であればY!検索を利用した検索(興味関心)を使った結果。ニコニコアンケートであれば、ニコニコユーザーにアンケートをした結果。

全ての前提条件が明らかにはなってはいませんが、各前提を通して見る限りは正しいし(ただし「真実」との乖離は発生する)、前提条件を無視すればミスリードするかもしれないわけです。


2015/01/02

娘の緊急入院で感じた「利用者」と「医療側」の乖離

昨年2014年のクリスマス前に、1才3ヶ月の娘が入院をしました。幸い、1泊の入院で済んだものの、救急車を呼んでの緊急入院でした。




入院先は近くの大学付属病院で、小児病棟です。入院した当日の夜は、妻がそのまま娘と一緒に泊まりました。私自身は、その日の面会時間が終わるまでと翌日の午後までの退院まで付き添いました。

短期間ではあったものの、娘の入院に付き添ってあらためて感じたことは、病院はなんとも居心地の良くない場所だということでした。

もちろん、病気や怪我の方がいる場所なので、外との雰囲気は違っていて当然です。ただ、それを差し置いても病院という空間には、患者やその家族などの利用者側にとって、最適な設計になっているかというと、自分にはそうではないように感じます。

一言で表現してしまうと、医者 / 看護師などの提供側から見てつくられています。病室やベッド、廊下、トイレ、などの設備、案内カウンター、会計所、などなど、あらゆるものにそう感じてしまいました。

そこにいる案内の係の方、事務の方、医者 / 看護師の方を一人ひとりを見ると、患者などの利用者側をないがしろにしている様子はありません。しかし、病院という仕組み全体に目を移した時に、否応なしに感じられる、提供者側の論理がそこにはあるのです。

背景には、様々なことが絡み合っているのだと思います。病院という設備の設計思想、業務のされ方、患者に対して人が足りていないために一人ひとりに十分な時間が取れない、病院側にお金が足りていないように見える、などなど。

娘の入院のタイミングで読んでいた本が、『「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる!』でした。この本は、ここ最近読んだものの中では特におもしろかった1冊です。

本書の冒頭には次のように書かれています。

どうして、病院は患者さんのニーズに応えられないのでしょうか?
どうして病院は、そこにいるだけで気の滅入るような、辛気くさい空間になってしまったのでしょうか?
ほかの業界では当たり前のことができていない理由は、どこにあるのでしょうか?
答えは簡単です。医療の現場ほど「買う側」のニーズが無視され、「売る側」の論理のみが横行している場所はないからです。
たとえば病院設計ひとつをとっても、患者さんがなにを望み、どこで困っているかなんていっさい考慮されることはなく、すべて医療者(医療従事者)の論理でものごとが決められています。

(中略)

しかし、どれほど不信感が強くても、病気になった患者は病院を利用せざるをえない。そのせいで病院には自浄作用が働かず、ますます慢心していくことになります。
日本の医療が抱える問題は山のようにありますが、その根底に横たわっているのは「売る側=病院」と「買う側=患者」の乖離にほかならないのです。

(中略)

食品の消費期限にしろ、マンションの耐震強度にしろ、さまざまな偽装が起こる背景にはいつも「売る側」と「買う側」の乖離があります。自分が住まないマンションだから、耐震強度を偽装する。自分が食べない菓子だから、利益を優先して安全を疎かにする。売る側のどこにも「消費者として自分」がいないせいで、さまざまな偽装が起こるのです。

この部分を読んであらためて思ったのは、「相手の視点になることの大切さ」でした。

矛盾することですが、人は全てのことを自分という視点から見ているため、完全に相手の視点に立つことはそもそも不可能です。しかし、だからと言って、自分の視点だけではなく相手視点も忘れてはいけないと思います。

(物理的に)相手の視点に立つことができないからこそ、擬似的な相手視点に立ち物事を見たり考えたりできているか。我が家では年末の一騒動でしたが、そこからのあらためての気づきでした。



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