2016/07/07

羨ましいと思ったことをやってみる




こころの処方箋という本に、「羨ましかったら何かやってみる」というテーマで興味深いことが書かれています。

羨ましいというのは、物にしろ能力にしろ、ともかく自分の持っていないものを他人が持っている、というところに生じてくる感情である。しかし、自分の持っていないものを他人が持っているときに必ず生じるとは限らないところに、その不思議さがある。

(中略)

羨ましいというのは、他人が何か自分の持っていないものを持っているという事実にプラスされる X がないと生じない、ということがわかる。それでは、その X は何なのだろうか。

確かに、何かに羨ましいと思うこともあれば、そうではないこともあります。

例えば、あるスポーツ選手が世界記録を出したとしても、それを羨ましいと感じることはありません。しかし、自分が営業担当だとして、同僚が1ヶ月の売上新記録を出せば羨ましいと思ったり、時には嫉妬を感じます。

この違いは何なのでしょうか?

羨ましいと思うことは、「自分がなりたいこと」「欲しいもの」とつながっていると本書では指摘します。引用を続けます。

特に何かが「羨ましい」という感情に伴って意識されてくるのは、その部分が特に開発すべきところ、あるいは、開発を待っているところとして、うずいていることを意味しているのである。

ある個人にとって、やらねばならぬことややれることは山ほどあるはずである。そのなかで「羨ましい」という感情は、どの「方向」に自分にとっての可能性が向かっているかという一種の方向指示盤としての役割をもって出現してきているのである。

(中略)

「羨ましい」感情が強いとき、自分のなかに何かが未だ注目されずに棄てられているはずだと思って、探してみたり、いろいろ試みてみたりするのは、それほど悪くはない。そのためにエネルギーを消費する方が、他人に愚痴をまき散らしたり、他人の足を引張るためにエネルギーを使うよりは少しはましだと思われる。

先ほどの記録の例で言えば、スポーツ選手の世界記録に羨ましいと思わないのは、その分野で自分が「こうありたい」というイメージや理想像を持っていないからです。

一方で、仕事の同僚の売上記録に羨ましいと思うのは、売上記録を達成したい、成果を上げてまわりから自分を認めて欲しい、No.1 になりたい、などの気持ちがどこかにあるからです。

羨ましいと思う度合いが大きいほど、そのことに対して自分が望む気持ちが強いと言えます。

羨ましいという感情を無理に抑えこんだり、見てみないふりをするのではなく、なぜ自分はそのことやその人のことを羨ましいと思うのか。それを理解しポジティブに捉えれば、自分がやるべきことが整理できます。

羨むことや嫉妬のことをあらためて考えさせられました。




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