2016/12/05

落合博満氏の 「采配論」 に学ぶ後悔をしない決断の仕方


Free Image on Pixabay


現役時代には3度の三冠王を達成し、8年間の中日ドラゴンズの監督時代には4度の優勝を成し遂げたのが落合博満氏です。落合博満氏は自らの著書 采配 で、采配についての考え方を次のように書いています。

どんな局面でも、采配というものは結果論で語られる事が多い。

(中略)

責任ある立場の人間が下す決断ーー采配の是非は、それがもたらした結果とともに、歴史が評価してくれるのではないか。ならばその場面に立ち会った者は、この瞬間に最善と思える決断をするしかない。そこがブレてはいけないのだと思う。

「こんな判断をしたら、周りから何と言われるだろう」

そうした邪念を振り払い、今、この一瞬に最善を尽くす。
監督の采配とは、ひと言で言えば、そういうものだと思う。

落合氏の采配論は示唆に富みます。采配を決断という視点で見ると個人や組織での意思決定について考えさせられます。

例えば、A か B のどちらかを決める必要があり、甲乙つけがたいケースがあるとします。仕事においてはよくある状況です。

答えのない世界なので、どちらかを選ぶ決定的な根拠があるわけでもありません。でもどちらかに決めなければいけません。

落合氏の采配にはヒントがあります。選ぶ際に 「自分の決断をまわりはどう見るだろうか」 「後からどう評価されるのか」 とは考えないことです。「その時に自分のできる最善の意思決定をする」 という心構えを持つことです。

もう1つ、落合氏の采配には、ある判断基準があります。本書から引用です。

自分の采配を 「正しかったか」 それとも 「間違っていたか」 という物差しで考えたことがない。ただあるのは、あの場面で最善と思える決断をしたということだけである。

決断に対して、正しいか、間違っていたかがわかるのは結果論でしかありません。何かを決めて、決定したことが行われ、その後になって過去のその決断に対しては正しかったかどうかがわかります。

意思決定をする前の時点で自分にできるのは、前述のとおり 「これは最善と思える決断なのか」 と考えられるかです。決断に対して自分は納得できている、責任を持てると言えるかです。

甲乙がつけがたい2つの選択肢には、決める前はどちらも正しいとも間違いとも言えません。自分が選択をし、結果として正しかったと言えるような行動ができるかです。

この本で印象的だったのは、采配とは自分の人生にも通じるという考え方でした。引用します。

人生には、仕事であれ、自分以外の人間と少なからず関わりがあり、それによっていい思いもすれば、悔しさを噛み締めることもあるだろう。

だが、自分の人生を采配できるのは、ほかならぬ自分だけであり、そこに第三者が介入する余地はない。ならば、一度きりの人生に悔いのない采配を振るべきではないか。




follow us in feedly このエントリーをはてなブックマークに追加

Facebook Page

最新エントリー

バックナンバー

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...