2017/09/11

書評: 魔法のラーメン発明物語 - 私の履歴書 (安藤百福)


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魔法のラーメン発明物語 - 私の履歴書 という本をご紹介します。



本書の内容


以下は本書の内容紹介からの引用です。

無一文から再起し、世界初の即席めん 「チキンラーメン」 、世界初のカップめん 「カップヌードル」 を生み出した、日清食品創業者・安藤百福の不撓不屈の人生。

今回のエントリーは、チキンラーメンやカップヌードルの発明をイノベーションという視点で見ていきます。


世界初のインスタントラーメン商品 「チキンラーメン」


家庭で調理するインスタントラーメンは、現在は当たり前のようにどの家庭にもあるでしょう。しかし、チキンラーメンが世に出た1958年当時は、ラーメンが今ほど気軽に食べられる状況ではありませんでした。

世界で初めてインスタントラーメンの商品化に成功したのが、チキンラーメンであると言われています。


不屈のベンチャー起業家・安藤百福


チキンラーメンを発明したのが、日清食品創業者の故・安藤百福です。安藤はインスタントラーメンの父とも呼ばれます。

安藤百福は、今でいう典型的なベンチャー起業家でした。

チキンラーメンが発売されたのは1958年です。当時の安藤は48歳でした。それまでの半生において安藤は様々な事業を展開します。繊維会社の設立に始まり、光学機器や精密機械の製造事業、軍用部品工場、製塩事業などです。

本書を読むと、安藤の波乱万丈な人生に驚かされます。

後にチキンラーメンとなるインスタントラーメンの開発に着手した当時、安藤は無一文という状況でした。安藤が理事長をやっていた信用組合が倒産してしまったからです。自分の資産は自宅だけでした。

その状況にもかかわらず、安藤はこれまで全く手がけたことがないラーメン開発に着手したのです。


インスタントラーメンの開発へ


安藤百福には、誰でも簡単に調理できるインスタントラーメンへのニーズが見えていました。

安藤は、太平洋戦争の敗戦直後に焼け野原での闇市で、ある光景を目にしていました。屋台のラーメンに人々がつくる行列でした。1杯のラーメンを食べるために 20~30m ほどの長い行列ができていました。

並んでいる人は粗末な衣服しか身に着けておらず、寒さに震えながらラーメンを口にできるのを待っていたと安藤は述べています。安藤には、敗戦直後の人々の貧しい状況でもラーメンへのニーズが強く印象に残りました。

興味深かったのは、インスタントラーメン開発のための5つの目標でした。5つは次の通りです。

  1. おいしくて飽きがこない味にする
  2. 家庭の台所に常備されるような保存性の高いものにする
  3. 調理に手間がかからない簡便な食品にする
  4. 値段が安いこと
  5. 人に口に入るものだから安全で衛生的でなければならない

どの目標も現代でも通じるものです。


チキンラーメンの2つの強み


数々の試行錯誤を乗り越え、チキンラーメンは1958年に発売されました。

値段は、85g 入りで1袋35円でした。その当時、うどん玉1個で6円、普通の乾麺1個が25円でした。これらに比べるとチキンラーメンは高い商品でした。

チキンラーメンは人々から 「魔法のラーメン」 と呼ばれるようになりました。2つの価値を持っていたからです。利便性と高い栄養価です。

チキンラーメンは、簡単に作ることができるラーメンでした。「お湯をかけて2分でできるラーメン」 と訴求しました (当時は3分ではなかった) 。

もう1つの価値は、チキンラーメンの栄養成分でした。チキンラーメンの鶏がらスープには、トサカや骨からの様々な栄養成分が入っていました。発売当時の厚生省は、チキンラーメンを妊産婦の健康食品と推奨しました。

発売当時のチキンラーメンのパッケージには、「体力をつくる最高の栄養と美味を誇る完全食」 と書かれていました。

利便性と栄養食品としての品質、これがチキンラーメンの強みだったのです。


常識を捨て生まれたカップヌードル


その後、安藤はカップラーメンという新しい市場をつくります。安藤が発明したカップラーメンが、カップヌードルです。

カップヌードル以前は、インスタントラーメンはどんぶりに自分で麺を入れ、お湯をかけるという調理方法でした。カップヌードルはもっと簡単に調理できます。麺はカップ容器に入っているので、お湯を注ぐだけです。

カップヌードルの開発ヒントは、安藤がアメリカにチキンラーメンを売り込みに行った時に見たアメリカ人の食べ方でした。アメリカ人はチキンラーメンをいくつかに割り、紙コップに入れてお湯を注ぎフォークで食べていました。食べ終わった紙コップは、そのままゴミ箱に捨てていました。

日本では考えられない食べ方でした。インスタントラーメンはどんぶりに入れて箸で食べるというのが常識でした。

安藤はこの常識をゼロから見直しました。カップに、容器・調理器具・食器という3つの役割を持たせました。それまでの常識を捨てたからこそ、後のカップヌードルにつながったのです。


安藤百福の信念


チキンラーメン同様、カップヌードルを発売開始しても、流通には受け入れられませんでした。それまでになかった全く新しい商品だったからです。

安藤はその状況をどうすれば打破できるかを考えました。カップヌードル用のお湯が出る自動販売機を作ったり、あらゆるルートに営業をかけました。百貨店、遊園地、キオスク、官公庁、警察や消防署、自衛隊、麻雀店、パチンコ店、旅館などでした。

安藤の 「いい商品は必ず世の中が気づく。それまでの辛抱だ」 という信念でした。その後、精力的な安藤の行動は実を結んでいきます。

カップヌードル発売後のキャンペーンで、銀座の歩行者天国での試食を実施しました。銀座にいた長髪・ジーンズやミニスカートの若者がカップヌードルに集まり、立ったまま食べていました。

安藤はその光景を見たとき、カップヌードル発売前の発表会を思い出しました。発表会では、「立ったまま食べるのは良風美俗に反するから売れない」 と言われました。

 
銀座の歩行者天国でカップヌードルを食べる若者 (1971年11月) 。引用:その時、偉人たちはどう動いたのか?日清食品創業者 安藤百福|DREAM GATE


イノベーションは未来の当たり前をつくること


安藤百福のチキンラーメンやカップヌードルの発明を、イノベーションという視点で見てみます。

イノベーションとは、「未来の当たり前をつくること」 です。

今はまだ当たり前になっていないこと、存在すらしていないものを生み出し、普及させ、未来にはあることが当たり前になっていることを生み出すのがイノベーションです。未来の世の中で当たり前のように受け入れられることは、それだけ人々のニーズがあったということです。

インスタントラーメンは今でこそ当たり前のように売られていますが、チキンラーメンが商品化される前は、ラーメンが家庭で簡単にできることは当たり前ではありませんでした。

カップヌードルも、容器にお湯を入れ数分待ち、そのまま食器にして食べられるというラーメンは世の中に存在しませんでした。今では当たり前のように食べられています。

安藤のイノベーション開発の動機が興味深いのは、単に 「儲かりそうだ」 といった気持ちからではなかったことです。安藤の信念は、今の社会になくても、それがあれば社会はよりよくなるという強い思いでした。社会の問題解決を自分の使命とし、市場をつくり、ビジネスにしたのです。


世界が安藤百福に送った賛辞


安藤百福は、チキンラーメンやカップヌードル、様々な派生商品を日本だけではなく世界に展開しました。安藤はラーメンを世界の食べ物にしました。

晩年は宇宙食としてのインスタントラーメン開発にも安藤は取り組みました。2005年に宇宙食ラーメンの 「スペース・ラム」 が、宇宙飛行士の野口聡一氏も搭乗したスペースシャトルであるディスカバリーに持ち込まれました。

安藤の死後、ニューヨークタイムズは社説で安藤の功績に最大級の賛辞を送りました。社説は 「Mr. Noodle」 というタイトルでした。

Ramen noodles have earned Mr. Ando an eternal place in the pantheon of human progress.
(ラーメンにより、安藤氏は人類の進歩の殿堂に不滅の地位を占めた)

Teach a man to fish, and you feed him for a lifetime. Give him ramen noodles, and you don’t have to teach him anything.
(人に魚を釣る方法を教えればその人は一生食べていける。人に即席めんを与えればもう何も教える必要はない)

参考:Mr. Noodle|New York Times



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多田 翼 (書いた人)