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投稿日 2013/02/10
最終更新日
究極の身体 という本をご紹介します。
本書の内容紹介からの引用です。
身体構造や運動のメカニズムについて独自理論が展開され、わかりやすく書かれていました。
書籍 「究極の身体」 がおもしろい
究極の身体 という本をご紹介します。
本書の内容
本書の内容紹介からの引用です。
「ゆる体操」 の創始者であり、武道と現代スポーツの双方に通じ、日本古来の身体の動かし方の神秘を実践と体験を通じて研究してきた著者の身体論、待望の文庫化。
豊富な図解で、真の人体のすばらしさ、可能性がわかる。上下左右に動く魚類の脊椎、獲物を狙う猛獣の四肢を取り戻す。読むそばから身体の動きが変わってくる。自分の身体への希望が湧いてくる本。
身体構造や運動のメカニズムについて独自理論が展開され、わかりやすく書かれていました。
投稿日 2013/02/09
最終更新日
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前回のエントリーで 「翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすためにどんな障害も乗り越えなさい」 という言葉 (もとはココ・シャネルの言葉) をご紹介しました。
前回エントリー:TEDxTokyo yz 3.0 ~de-mosaic-ing~:自分にとって忘れられない翼の話
この言葉の意味は、「たとえ今は持っていなくても、それを望む強い気持ちがあればどんなハードルも越えていくことができる」 です。
大事なのは翼を生やして何をしたいのかです。翼はあくまで大空を羽ばたくための手段だからです。翼を手に入れ、どこへ飛ぶのか、どんなふうに飛びたいのか、自分は何をしたいのかが大切です。
今回のエントリーは、自分のやりたいことを考えるための2つの逆転の発想をご紹介します。
最近の自分が思っていることは、自分のやりたいことは変わってもいい、というものです。むしろ、やりたいことは必ず変わります。
今まで持っていた考え方は、やりたいこととは何か一生をかけて実現したいというものでした。自分の進む道としてこれがベストだというやりたいことが見つかり、その道を生涯歩いていくという考え方です。
しかし、何才になっても模索し続けるものと考え方が変わりました。常にベストの選択をしようとするが、様々な経験をすると他の道も見えてくるという考え方です。
もちろん、やりたいことが変わると言っても、1つのことにすぐに飽きてしまって次々に変えるのではありません。1つのことをやり遂げて、次の新しい世界が開けるというのが望ましいでしょう。
試行錯誤を続けて歩いているとようやくゴールが見えだしてきたと思ったら、目の前には違う別の扉が現れるようにです。扉を開けて新しい世界に入りしばらく進むとまた次への扉があります。
人は変わり続けるものです。これは生きている限りは常に起こることです。肉体的な変化もあり、価値観や考え方も変わります。
目の前の2つ選択肢があるとして、2つから1つを決断することは、自分のこれまでを考えると悩ましいことも少なからずありました。
3つ以上の選択肢があると最も違うものを消去法的に外していけますが、最後の2つが残った時にどっちを選ぶかです。
選ぶ基準の1つが、どちらがより困難かという考え方です。自分にとってより厳しい道を選ぶというものです。
この考え方は高校生の時に、ある雑誌で偶然知りました。
読者が投稿して北方謙三氏に人生相談をするというコーナーでした。進路に悩んでいるという読者の質問に、北方氏はこう答えていました。「より難しい道を選択してみろよ」 。
それを読んだ時は興味深く思ったことを覚えています。なぜわざわざ苦労するほうを選ぶのかと思いました。
その後の大学の進路、就職、その他いろいろな場面で判断が迫られた時に、不思議とその考え方が自分自身の決断に入っていました。困難なほうを選んだことは、決して間違っていませんでした。
その時悩んだことは何年後かに思い返してみると、実はそんなに大したことはなかったということです。ポジティブに捉えればそれだけ自分が成長したことなのかもしれません。
より困難な道をあえて選んでみる。逆境とか試練の中で人は磨かれ、高いハードルを選んでも苦労しつつも進んではいけるものだと思っています。ケセラセラ、人生なんとかなるのです。
Que sera sera は、英語では Whatever Will Be, Will Be. と表現します。
「自分のやりたいこと」 を考えるための2つの逆転の発想
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前回のエントリーで 「翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすためにどんな障害も乗り越えなさい」 という言葉 (もとはココ・シャネルの言葉) をご紹介しました。
前回エントリー:TEDxTokyo yz 3.0 ~de-mosaic-ing~:自分にとって忘れられない翼の話
この言葉の意味は、「たとえ今は持っていなくても、それを望む強い気持ちがあればどんなハードルも越えていくことができる」 です。
大事なのは翼を生やして何をしたいのかです。翼はあくまで大空を羽ばたくための手段だからです。翼を手に入れ、どこへ飛ぶのか、どんなふうに飛びたいのか、自分は何をしたいのかが大切です。
今回のエントリーは、自分のやりたいことを考えるための2つの逆転の発想をご紹介します。
「やりたいことは変わるもの」 と考える
最近の自分が思っていることは、自分のやりたいことは変わってもいい、というものです。むしろ、やりたいことは必ず変わります。
今まで持っていた考え方は、やりたいこととは何か一生をかけて実現したいというものでした。自分の進む道としてこれがベストだというやりたいことが見つかり、その道を生涯歩いていくという考え方です。
しかし、何才になっても模索し続けるものと考え方が変わりました。常にベストの選択をしようとするが、様々な経験をすると他の道も見えてくるという考え方です。
もちろん、やりたいことが変わると言っても、1つのことにすぐに飽きてしまって次々に変えるのではありません。1つのことをやり遂げて、次の新しい世界が開けるというのが望ましいでしょう。
試行錯誤を続けて歩いているとようやくゴールが見えだしてきたと思ったら、目の前には違う別の扉が現れるようにです。扉を開けて新しい世界に入りしばらく進むとまた次への扉があります。
人は変わり続けるものです。これは生きている限りは常に起こることです。肉体的な変化もあり、価値観や考え方も変わります。
「より困難な道をあえて選ぶ」 という考え方
目の前の2つ選択肢があるとして、2つから1つを決断することは、自分のこれまでを考えると悩ましいことも少なからずありました。
3つ以上の選択肢があると最も違うものを消去法的に外していけますが、最後の2つが残った時にどっちを選ぶかです。
選ぶ基準の1つが、どちらがより困難かという考え方です。自分にとってより厳しい道を選ぶというものです。
この考え方は高校生の時に、ある雑誌で偶然知りました。
読者が投稿して北方謙三氏に人生相談をするというコーナーでした。進路に悩んでいるという読者の質問に、北方氏はこう答えていました。「より難しい道を選択してみろよ」 。
それを読んだ時は興味深く思ったことを覚えています。なぜわざわざ苦労するほうを選ぶのかと思いました。
その後の大学の進路、就職、その他いろいろな場面で判断が迫られた時に、不思議とその考え方が自分自身の決断に入っていました。困難なほうを選んだことは、決して間違っていませんでした。
その時悩んだことは何年後かに思い返してみると、実はそんなに大したことはなかったということです。ポジティブに捉えればそれだけ自分が成長したことなのかもしれません。
より困難な道をあえて選んでみる。逆境とか試練の中で人は磨かれ、高いハードルを選んでも苦労しつつも進んではいけるものだと思っています。ケセラセラ、人生なんとかなるのです。
Que sera sera は、英語では Whatever Will Be, Will Be. と表現します。
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書いている人 (多田 翼)
Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。
ブログ以外にマーケティングレターを毎週1万字で配信しています。音声配信は Podcast, Spotify, Amazon music, stand.fm からどうぞ。
名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。
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