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大切にしている考え方があります。大げさに言えば人生での価値観であり、毎日の生活の中で、自分がそのように行動できればと思っていることです。
「大切な人」 を大切にする
自分にとって 「大切な人」 とは、家族であったり、親しい友人や知人、仕事での上司や同僚などです。
その中でも家族は、自分にとっては特別な存在です。最も大切な人です。
本来、「大切な人」 は、文字通りに大切に扱わなければいけません。
文章にすると簡単なことです。しかし、自分の日常を振り返ったときに、必ずしもそうはなっていないことに気づきます。家族だから、親しい関係ゆえに、ないがしろにしてしまっている時があるのです。
家族は親しい間柄だからこそ、自分の意見や感情をストレートにぶつけることができます。時には言い争いに発展することもあります。これは家族間ならではの、それだけ親しい関係ができているとも言えます。
時には喧嘩をしつつも、頭の隅には相手のことを大切に扱う意識を持っておきたいです。
「大切な人」 を大切にすること。意識するだけではなく、実際にそういう行動が取れているようにしたいと思っています。
かっこよく生きる
人から 「かっこいい」 と言われたいというよりも、自分自身が自分のことに納得のいく生き方ができているかです。自分が自分を見て、かっこよく生きているかです。
かっこよく生きているかどうかの基準は、自分が小学生くらいの子どもだった時の視点で、今の自分がどう映るかです。小2くらいの自分から見て、今の自分のような大人になりたいと素直に思えるかどうかです。
小学2年生というのは、純粋な目 & ある程度の良し悪しの判断ができる、という2つで一番バランスがよく、イメージしやすいからです。幼稚園児では純粋さはより高いものの判断能力に欠け、中学生くらいだとピュアな視点がやや欠けるためです。
小学生の自分が 「かっこいい」 と思えるような振る舞いを、今の自分ができているかどうかです。今の自分が、あの頃の自分から見てそう映り、尊敬される生き方でありたいという考え方です。
我が身を正しくする
我が身を正すことも、大切にしたいあり方です。
「慎独 (しんどく) 」 という言葉があります。古典である 「大学」 に書かれている 「君子必慎其独也 (君子は必ず其の独りを慎むなり) 」 から来た言葉です。
慎独の意味は、自分一人のときでも、行ないを慎み、道を外れないようにすることです。
何か後ろめたいことであっても、人が見ていないところではついやってしまうことは、人は誰しも起こり得ることです。慎独は、その状況でこそ、自分を律することができるかを問います。
人が見ていなくても、見られている時と同じような行動が取れるかです。
他人が見ていないということは、その状況を誰かに言わなければ自分だけしか知らないことです。少しくらいならいいではなく、自分の行ないを慎み、人としての道を外れないようにできるかです。
自分の行ないや自分自身を律することができるかの判断基準は、誰か他の人が見ているかどうかで決めべきではありません。
あくまで自分自身の中の問題として捉えるべきです。大事なのは、人の目があるかどうかは関係なく、自分が持つ倫理観に背く行ないであればやらないことです。
慎独の積み重ねが 「我が身を正す」 ことにつながります。
より困難な道をあえて選ぶ
何かを決断をするときには、自分にとってより厳しい道を選ぶという判断基準です。
この考え方は、高校生の時にある雑誌で偶然知りました。読者が投稿し、北方謙三氏が人生相談をするという Q&A コーナーでした。進路に悩んでいるという読者の質問に対して、北方氏はこう答えていました。
「より難しい道を選択してみろよ」 。
それを読んだ時、とても興味深く記憶に残りました。なぜわざわざ苦労するほうを選ぶのかと思ったのを覚えています。
その後の大学の進路、就職、転職、その他いろいろな場面で自分が判断をする時に、この考え方が自分自身の決断を後押ししていました。困難なほうを選んだことは、決して間違っていませんでした。
より困難な道をあえて選んでみる。別の言い方をすれば、リスクを評価し適切に取ることです。この判断基準は、これからも大切にしたいことです。