
2011年の今から15年前の1996年当時、女子高生を中心に大ブームを巻き起こしていたのが、ポケベルことポケットベル (無線呼び出し) でした。
今回のエントリーでは、ポケベルを取り上げます。ポケベルブームの背景、当時の状況、ポケベルの功績は何だったのかを書いています。
当初のユーザーは営業マン
ポケベルでできることはいたってシンプルです。ポケベル自体が固有の電話番号を持っており、今でいう携帯電話のメールの機能のうち、メッセージ受信と表示のみでした。送信機能はありませんでした。
ポケベルは、1968年からサービスが始まっています。
サービス開始当時のユーザーは官公庁や医療関係者でした。緊急時の連絡用だったようです。その後、ユーザーは外出の多い一般企業の営業担当者に拡がりました。使われ方はポケベルに呼び出しが入ると、外出先の公衆電話から事務所へ折り返しの電話をするというものだったようです。
現在の携帯電話の元となった自動車電話は高額で普及しておらず、外出している営業マンとの連絡手段として活用されていました。
若者で流行ったベル文字
ところが、思わぬユーザーが現れます。冒頭でも挙げた女子高生などを中心とした若者です。
ポケベルについてまとめられた NTT ドコモレポートには次のように書かれています。
語呂合わせで意味をつけた数字を文字制限いっぱいに工夫してメッセージを送るという一種の 「言葉遊び」 が大流行し、新しいコミュニケーション文化が始まりました。
数字の語呂合わせは、例えば以下のようなものです。
0840 (おはよう)
0833 (おやすみ)
3476 (さよなら)
724106 (7 (何してるかな)
14106 (愛してる)
語呂合わせは多様な表現を生み出しました。Yahoo! 知恵袋には 「当時のベル文字が読めないのでわかりますか?」 という質問トピックに次のような数字が並んでいました。
084- 101052160[7 ]03106 864107
0[86- 1051210100[7
210 1442 14-7
一見すると数字と記号がランダムに並んでいるだけのように見えます。Yahoo! 知恵袋の回答に書かれていた読み方は以下です。
084- 101052160[7 ]03106 864107
おはよー いまどこにいるのかな? これみたら ベルしてね
0[86- 1051210100[7
おかえりー どこに行ってたのかな
210 1442 14-7
ずっと いっしょに いよーね
10 と表記しても読み方がいろいろあるようです。1 と 0 で 「いま」 、10 で 「と」 または 「ど」 、英語として読む (Ten なので 「て」 ) など、多様な表音を持っていたことがうかがえます。
後に、ポケベル画面の表示は数字以外にもひらがなや漢字も可能になっています。
若者がポケベルメインユーザーに
以下は、1996年当時のドコモのポケベル新規契約者の年代別のグラフです。

ドコモのポケベル新規契約者の性別・年代別構成比 (1996年) 。出所:NTT ドコモレポート
1996年の新規契約者数が書かれておらず母数は不明ですが、女性の新規契約者のうち10代が 64%、20代も含めると女性の 85% です。男性では、10~20代で 80% です。当時のポケベルがいかに若者の支持を集めていたのかがわかります。
これは新規契約者のみでしたが、1996年当時のドコモのポケベル契約者全体の内訳は以下の通りです。男性は法人利用だったのでどの年代でも使用されていますが、女性では圧倒的に若者です (80% 弱が10~20代) 。

ドコモのボケベル契約者の性別・年代別構成比 (1996年) 。出所:NTT ドコモレポート
ポケベルは、当初はビジネスでの利用が想定されていました。しかし、ポケベルが高校生や大学生などの若者がメインユーザーになったのは興味深い現象です。
ポケベルを発売していた2つのキャリアであるドコモやテレメッセージ、ポケベル製造メーカーにとっては、全く意図していなかったユーザーだったのではないでしょうか。
ターゲットユーザーを拡大させるための若者向けのマーケティングなども行われずに、若者に浸透していったのでしょう。なお、その後はドコモは広末涼子や加藤あいなどをポケベルのイメージキャラクターに起用しました。
ポケベルを 4P で考えてみる
マーケティングの 4P (Price・Promotion・Place・Product) のフレームワークで見てみます。
Price (価格)
契約は月額3,000円程度だったようです。高校生であっても気軽に持てる価格設定です。
ただし、ポケベルはメッセージ送信機能はなく、屋外でメッセージを送るために公衆電話を使っていました。その費用が別途必要です。
Promotion (販促・プロモーション)
ドコモではイメージキャラクターに広末涼子を起用していたこともあります。ここからも、ポケベルのターゲットユーザーは、高校生などの若者を設定していたことがわかります。

Place (販売場所)
現在の携帯ショップのように、ポケベルショップがあったようです。
どれくらいの規模でショップが存在していたかはわかりませんが、それなりに身近な場所に出店していたとすれば、消費者も訪れやすい環境だったのでしょう。
Product (製品)
実物がないので、あくまで少し調べた印象ですが、だいたい現在の折りたたみ携帯くらいの大きさです。カバンやポケットにも十分入るサイズです。
つまり、モバイル性に優れていたのがポケベルでした。
機能面では、友達や恋人、面識がなくポケベルだけでつながっている 「ベル友」 とコミュニケーションができる点が、当時の若者に受けた点です。
なぜポケベルは若者で流行ったのか
今でこそ、携帯電話は当たり前のように持っていますが、ポケベル全盛の1996年当時は、携帯電話は普及していませんでした。
ポケベルを持つ以前の友達との連絡手段は、家の固定電話に電話するか手紙を出すかくらいしかない時代です。
ポケベルが全く新しいコミュニケーション方法をもたらしました。前述のように、ひらがな等が画面に表示される前は数字だけの受信でしたが、それだけでもとても新鮮なコミュニケーションだったのです。
一言で表現すれば、いつでもどこでもリアルタイムにメッセージが受信できることです (ただし、メッセージ受信は全国ではなくエリアが限定されていました) 。
今では当たり前のコミュニケーションのリアルタイムかつモバイル性を、初めて享受できる手段がポケベルでした。
ふとした時に自分のポケベルが鳴り、そこには友達からのメッセージが表示されました。寝ようと思った頃に彼女からくる 「0833」 というメッセージなどです。
携帯電話がなかった時代には他愛のないことでも、今までにはない 「つながり」 を体感させてくれました。固定されたものではなく、いつでもどこでも持ち歩けたことが、ポケベルの価値でした。ソーシャルとモバイルという価値をもたらしたのがポケベルの功績です。
ポケベルブームの終焉
ポケベルはその後、あっけなくブームの終わりが訪れます。下図はドコモの契約者数の時系列推移を表したグラフです。赤がポケベル、黄色が携帯電話、青が PHS です。

ドコモのポケットベルの契約数の推移
出所:NTT ドコモレポート
赤い線のポケベルは、1996年までは順調に契約数を増やしています。しかし1996年6月をピークに、その後はユーザーが急減しました。
その一方で、黄色の携帯電話が一気に普及しました。携帯ほどではないものの、青色の PHS もポケベルの減少と同じタイミングで増加しています。
携帯電話でメッセージを交換できるようになり、ポケベルは取って代わられたのです。その後の携帯電話普及状況はもはや語るまでもないでしょう。

携帯電話の世帯普及率。出所:社会実情データ図録
ポケベルの不便さは、メッセージが受信できても送信ができない点にありました。
当時、ポケベルにメッセージを送るために公衆電話を使うのが一般的で、高校では休み時間には校内の公衆電話に行列ができたそうです。
携帯電話は、メールを受けることも送ることもできます。ポケベルの比較優位性が失われために、その後の状況は先ほどの通りです。
今では携帯でのメール以外には、フェイスブックやツイッターなどの SNS もスマホから使えます。コミュニケーションの手段は多様化しました。
「つながり」 を持ち歩けることが当たり前になった状況です。今から振り返れば、ポケベルは、リアルタイムでいつでもどこでもつながれるという価値をもたらしたのです。