初版が2005年で、羽生善治氏は当時34歳でした。将棋のことが中心に書かれているものの、専門知識がなくても読み進めてしまいました。それだけ書かれている内容が将棋以外にも広く当てはまります。
今回のエントリーでは、書籍「決断力」を読んで考えたことを中心に書いています。
本書の目次です。
第1章 勝機は誰にでもある
第2章 直感の七割は正しい
第3章 勝負に生かす「集中力」
第4章 「選ぶ」情報、「捨てる」情報
第5章 才能とは、継続できる情熱である
■ 決断とはリスクを取ること
「将棋を指すうえで、一番の決め手になるのは何か?」
これに対する羽生さんの答えが「決断力」だそうです(p.56)。決断力はまさに本書のタイトルでもありますが、決断について最も印象に残っているのは、「決断とリスクはワンセットである」という考え方でした(p.71)。
羽生さん曰く、リスクを前にすると正直怖気づくこともあるそうです。それでも勝負をするからには、そのような場面に向き合い、決断を下すと言います。なぜか。これについては以下のように記述しています。
リスクを避けていては、その対戦に勝ったとしてもいい将棋は残すことはできない。次のステップにもならない。それこそ、私にとっては大いなるリスクである。いい結果は生まれない。私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている。(p.72)
これは本書の第2章で言及されていますが、個人的にはこの本での一番のハイライトでした。
特に、(現在の)リスクを積極的に取ることは未来のリスクを最小化する、という指摘です。これは、リスクを取らないことがリスクであるという考え方に近いです。
もちろん、自分にとって許容できないような大きなリスクを負うことは無謀なことですが、リスクを正しく評価し、その上でリスクを取る、そのために羽生さんは自らに上記引用部分を言い聞かせることで、リスクと正対しているのだと感じました。
決断とリスクについては将棋に限ったことではなく、だからこそ考えさせられる指摘でした。
■「選ぶ」情報と「捨てる」情報
決断することについて、もう一つ印象的だったのはこれです。
私はロジカルに考えて判断を積み上げる力も必要であると思うが、見切りをつけ、捨てることを決断する力も大事だと思っている。(p.169)
捨てるということに対しては、羽生さんは、情報は「選ぶ」より「いかに捨てるか」が重要とも言っています。
個人的な解釈として、「選ぶ」というのは、A と B のうち A を選んだとしても B はそのまま残しておくイメージです。一方で「捨てる」とは A だけ残し、文字通り B は捨ててしまうイメージです。
なぜ捨てるかと言うと、全部を収集し分析していては時間がかかり過ぎるからです。
例えば羽生さんの場合、将棋の局面を想定する場合も、八十通りある指し手の可能性の中から大部分を捨ててしまうそうです。八十手のうち二~三手以外はこれまでの経験から考える必要がないと判断し、候補を絞ると言います。
情報をいくら分類、整理しても、どこが問題かをしっかりとらいないと正しく分析できない。(p.129)
これが羽生さんの情報についての考え方なのです。
■ 物事を簡単に考えること、ベストを尽くせる環境、勉強法、モチベーション
上記では、決断する上でのリスクについての考え方や、時には捨てることの大切さに触れました。これ以外にも、興味深い言及があったので、最後にいくつか引用しておきます。
一般社会で、ごちゃごちゃ考えないということは、固定観念に縛られたり、昔からのやり方やいきさつにとらわれずに、物事を簡単に考えるということだ。(中略) 簡単に、単純に考えるということは、複雑な局面に立ち向かったり、物事を推し進めるときの合い言葉になると思う。そう考えることから可能性が広がるのは、どの世界も同じであろう。(p.24-25)
私は、年齢にかかわらず、常に、その時、その時でベストを尽くせる、そういう環境に身を置いている――それが自分の人生を豊かにする最大のポイントだと思っている。(p.123)
報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。(p.171-172)
これをすれば絶対に強くなるという方法はわからない。将棋は進化している。技術や社会もそうだろう。取り残されないためには油断は禁物だ。今はこれがいいという勉強法でも、時間とともに通じなくなる。変えていかなければならない。私は、年齢とともに勉強法を変えることは、自分を前に進めるための必須条件だと考えている。(p.190)
どの世界においても、大切なのは実力を持続することである。そのためにモチベーションを持ち続けられる。地位や肩書は、その結果としてあとについてくるものだ。逆に考えてしまうと、どこかで行き詰ったり、いつか迷路にはまり込んでしまうのではないだろうか。(p.195)