プロパガンダについてあらためて考えさせられたのが、戦争プロパガンダ 10 の法則 (アンヌ・モレリ) という本でした。
本書の内容
内容紹介の一部を引用します。
第一次大戦からアフガン空爆まで、われわれは政府発表やメディアにいかに騙されたか。気鋭の歴史家が戦争当事国による世論操作・正義捏造の過程を浮き彫りにする。
第一次大戦から冷戦、湾岸戦争、ユーゴ空爆、アフガン空爆まで、あらゆる戦争において共通する法則がある。それは、自国の戦闘を正当化し、世論を操作するプロパガンダの法則だ。
「今回の報復はやむをえない」
「ビンラディンは悪魔のようなやつだ」
「われわれは自由と平和を守るために戦う」正義はこうして作られる。
これまでに戦争当事国がメディアと結託して流した 「嘘」 を分析、歴史のなかでくり返されてきた情報操作の手口、正義が捏造される過程を浮き彫りにする。ブリュッセル大学で教鞭をとる気鋭の歴史学者が読み解く、戦争プロパガンダの真実。
戦争プロパガンダの10の法則
プロパガンダとは
プロパガンダ (propaganda) の言葉の意味は次の通りです (参考:三省堂辞書サイト) 。
特定の思想によって個人や集団に影響を与え、その行動を意図した方向へ仕向けようとする宣伝活動の総称です。特に、政治的意図をもつ宣伝活動をさすことが多いですが、ある決まった考えや思想・主義あるいは宗教的教義などを、一方的に喧伝 (けんでん) するようなものや、刷り込もうとするような宣伝活動などをさします。
要するに情報による大衆操作・世論喚起と考えてよく、国際情報化社会においては必然的にあらわれるものです。
10の法則
本書で提示される戦争プロパガンダのための 「10の法則」 は、次の通りです。
- われわれは戦争をしたくはない
- しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
- 敵の指導者は悪魔のような人間だ
- われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
- われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
- 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
- われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
- 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
- われわれの大義は神聖なものである
- この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
過去の戦争と10の法則 (そのうち3つ)
本書では、10の法則ごとに章立てで構成されています。
各法則ごとに過去の戦争で、実際に起こった事例や当時の権力者の発言などが紹介されます。取り上げられる過去の戦争は、第一次大戦、冷戦、湾岸戦争、ユーゴ空爆、アフガン空爆などです。10の法則が実際にどう適用されていたかが具体的にわかります。
具体的に法則の3つだけ見てみましょう。
法則 1: われわれは戦争をしたくない
戦時国家はまず、自分たちは平和を愛していることを宣言すると説明されます。ヒトラーの演説にも 「平和への意志」 が登場します。
法則 2: しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
お互いが相手に対して主張し、それぞれが敵側を悪者とみなします。戦争を望んでいるのは自分たちではなく、相手側であると捉えます。
法則 3: 敵の指導者は悪魔のような人間だ
敵のイメージをより具体的にするため、3つ目の法則が使われます。国ではなく敵国の指導者という具体的な顔を登場させます。そして、相手の指導者を悪魔とみなします。
本書を読んでの教訓
読んでいて思ったのは、過去の戦争での個別の発言意図を探るよりも、様々な戦争に共通するプロパガンダの法則を知り、今後の自分の情報判断にどう活かすかが重要ということです。
私の本書の読み方は、10の法則について過去の戦争で1つ1つを検証することではなく、読者の情報判断能力に気づきを得ることでした。本書は、メディアリテラシーを高めてくれる1冊です。
戦争報道で使われる言葉に注意する
興味深かった1つは、戦争報道における言葉の使われ方でした。
例えば 「空爆」 です。
第二次大戦では 「空襲」 という表現が使われます。しかし、同じ行為でも現代は 「空爆」 が使われます。確かに、日々のニュースで今起こっている戦争に対して 「空襲」 という単語は聞いたことはありません。空襲は過去の歴史でしか聞きません。
これ以外にも、自国の陣営について語る場合に使われるのは、領土の解放・民族の移動・墓地・情報という言葉が使われます。
一方、相手の陣営については同じ事象でも、次のように置き換えられます。占拠・民族浄化・大量虐殺・死体置き場・プロパガンダです。
自国のことであれば、ポジティブや中立的な表現が使われ、相手国についてはネガティブな響きを持つ言葉が使われるのです。受け手への印象操作を誘導します。
最後に
本書で紹介される10の法則は、戦争をテーマに国と国でのレベルのものです。本質は、自分自身の正当化と相手に対する憎悪の醸成です。
この手法は戦争だけにとどまらず、政治論争や個人の喧嘩のレベルでも、当てはまるのではないでしょうか。