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娘 (1才半) の子育て方針についてです。
エントリー内容です。
- 保育園での個人面談
- 子どもにやってほしいこと
- 親としての振る舞い
保育園での個人面談
下の子は保育園に通っています。2017年度の今年は1歳児クラスです。
先日、担任の保育士と親での個人面談がありました。面談で担任から聞かれた質問の1つが、子育ての方針についてでした。
「子育ての方針で、何か大切にしているものはありますか」
質問で、日々の子どもとの向き合いを振り返ることができました。自分の1才半の娘の子育ての方針は、大きくは2つあります。子どもにやってほしいこと、親としての振る舞いです。
子どもにやってほしい3つのこと
自分の子どもにできてほしいことは、3つあります。
- ありがとうが言える
- 挨拶を自分から言える
- 自分でできることは自分でやれる
1つめの 「ありがとうが言える」への親の思いは、何かを自分にやってくれた相手に対して感謝の気持ちを持ってほしい、その気持ちを自分で言葉にし、相手に伝えてほしいというものです。
2つめの 「挨拶を自分から言える」 は、朝起きた時に家族におはようが言えたり、近所の人にこんにちはと挨拶ができる、保育園の先生や友だちにさようならが、相手に言われなくても自分から言えるようになってほしいです。
3つめの 「自分でできることは自分でやれる」 は、1歳半なのでできることは限られているものの、できることは失敗しながらでも時間がかかってもやれる子になってほしいです。例えば、自分で服を着る・靴を脱いで玄関に揃えて置く・スプーンを使って自分で食べる、などです。
親としての振る舞い
親としての振る舞いの方針も3つあります。
- 子どもの好奇心を大人がジャマしない
- 怒るのではなく叱る
- 自分の子であるが、自分とは異なる 「他人である」 という認識を持つ
以下、3つそれぞれについてご紹介します。
1. 子どもの好奇心を大人がジャマしない
1つめは、子どもが本来持っている好奇心の邪魔を大人がしないことです。
子どもの様子を見ていると、気に入ったことや遊びは、自分の気が済むまで繰り返しています。親からすると 「そろそろ他の遊びをやったら」 と思え、「 (他の) これで遊ぼうか」と勧めてしまいそうになります。
同じ遊びを何度も繰り返しているのは、子どもにとっては好奇心が続いている証拠です。そこには、親や大人にはうかがい知れない、子どもならではの世界があるのでしょう。
それを親の判断や常識でジャマをしてしまうのは、子どもの好奇心を潰してしまいます。親としてはできるかぎり見守ってあげたいです。
2. 怒るのではなく叱る
親としての2つめは、「怒る」 と 「叱る」 を区別することです。2つの違いは、次のように考えています。
- 怒る:感情的。自分の都合で怒る。怒った後は気持ちやストレスを発散することもできる
- 叱る:理性的。やってはいけない行動に対してや子どもにとって悪いことを正すために、相手のことを考えて叱る
子どもが自分の言うことを聞かない、思い通りにやってくれずについ感情的になって当たってしまうのが 「怒る」 です。子どもにとって悪気がないと、自分がなぜ怒られているのかも理解できないでしょう。
子どもには 「怒る」 のではなく 「叱る」 ようにしたいです。
子どもがやってはいけないこと、子どもにとってはまだ危ないことをやらないように教えるときなど、あくまで子どものためを思って叱ります。
ついつい感情的に当たってしまいそうなとき、怒ってしまいそうなとき、一呼吸を置くように心がけます。「自分だけの都合で怒ろうとしていないか?本当に赤ちゃんのために叱ろうとしているか?」 と自分に問いかけるようにします。
子どもを怒るのか叱るのかという視点で見ると、親である自分が子どもに 「叱る」 必要がある状況はまだ多くないことに気づきます。
3. 自分の子であるが、自分とは異なる 「他人である」 という認識を持つ
親としての3つめは、自分の考えや親の意向を押しつけすぎないようにするために持っているものです。
子どもは自分と血のつながった存在であるため、親が言っていることが強要しすぎていることがあります。自分の子なので当然やってほしい、やってくれるという意識があります。
しかし、血がつながっているとはいえ、子どもは自分とは異なる人間という意味で他人でもあります。
他人と思えば、子どもへの過剰な押しつけを防ぐことができます。子どもに言ったことは、子どもがやれて当たり前という期待値を下げられます。子どもがやりたくないという反応を示しても、感情的にならずに、冷静に次の対応ができるようになります。