#マーケティング #戦略 #両利きの経営
既存事業を守りながら、新規事業も成功させる――。
多くの企業が直面するこの課題に、キリンビールは独自のアプローチを見出そうとしています。キリンビールの挑戦を 「両利きの経営」 から紐解くことで、新規事業を成功させるためのヒントが見えてきます。
ぜひ一緒に学びを深めていきましょう。
キリンビールのクラフトビール事業への取り組み
キリンビールは2023年に、社長直下の位置付けで 「クラフトビール推進プロジェクト」 を新設しました。
プロジェクトでは、クラフトビールを普及させるため、居酒屋などへの飲食店営業、スーパーなどへの量販店営業に専門部隊を配置し、消費者へのクラフトビールの認知拡大を図ってきました。
そして2024年10月、キリンビールはクラフトビールに特化した専門事業部を設立しました。
従来のやり方では対応できないビールへの多様なニーズに応えるための組織です。特に、2026年10月の酒税改正による 「酒税一本化」 に備え、クラフトビールの事業を積極的に拡大させることを目指しています。
過去の失敗を活かす
キリンビールは、ナショナルブランドのビール商品展開が、クラフトビール市場では必ずしも効果を発揮できていないと認識していました。
キリンビールのクラフトビール 「スプリングバレー」 のブランドリニューアルでは、テレビ CM でクラフトビールの多様性を強調しました。
CM で起用した俳優の山田孝之さんが、「ホントはビールって150種類以上あるんですよ。クラフトビール、始めないともったいない」 とクラフトビールの多様さを訴求し、クラフトビールを初めて飲むきっかけとしてのスプリングバレーを伝えるテレビ CM でした。
しかし、想定していたよりもスプリングバレーの売上を伸ばすことはできなかったという経緯があります (参考記事) 。クラフトビールが持つ楽しみ方の多様さと、スプリングバレーの良さを結びつけて伝えられていなかったというのがキリンビールの見立てです。
クラフトビールは好みの味はもちろんのこと、どんなシチュエーションで飲むのか、合わせる料理は何か、他にもクラフトビールの醸造家の思い、所在地なども含めた文化的な情報など、消費者にとって様々な共感ポイントが存在します。
消費者の趣味や嗜好による差が大きいという意味では、クラフトビールはビールというよりもウイスキーやワインに特性が近い存在です。テレビ CM という数十秒の限られた時間内では表現しきれなかったわけです。
こうした教訓をもとに、キリンビールはクラフトビールが提供する体験価値を重視した新しいアプローチへと転換しました。
飲用体験を向上させる提案
キリンビールはクラフトビールの専任チームが中心になり、クラフトビールの提供店舗や量販店での飲用体験が向上するような提案を行っています。
具体的には、飲食店では、ビールごとの特性を説明するメニューやフードとのペアリング提案を実施。量販店向けには、消費者がクラフトビールに興味を持てるような環境作りに努めています。クラフトビール市場において、より豊かな飲用体験をもたらすことを目指しています。
さらに、キリンビールのクラフトビール事業部では、デジタルマーケティングやイベントを活用したクラフトビールの普及にも力を入れています。
例えば、ヤッホーブルーイングと共同でクラフトビールのプロモーションを展開するなど、クラフトビール市場全体を成長させるための共創の姿勢を打ち出しました。
キリンビールのクラフトビール事業は、これらの取り組みによって、日本のビール文化の中にクラフトビールの存在感を高め、「日本のビールの新たな100年を共に作る」 というビジョンを掲げています。新しい飲用体験をつくり出し、市場全体を活性化させることでクラフトビール市場のさらなる発展に注力しています。
ここまで見てきたキリンビールの取り組みは、経営学の理論のひとつである 「両利きの経営」 を実践する一例です。
両利きの経営
両利きの経営とは、企業が持続的に成長し続けるために 「深化」 と 「探索」 というふたつの相反する活動を同時に行うことです。
深化と探索
「深化」 は既存事業を強化することであり、「探索」 は新規事業に挑戦することです。ふたつを両立することによって、安定した基盤と未来の成長機会を共に追求します。
■ 深化
深化とは、既存事業の改善と効率化を進め、既存顧客に対して安定した価値を提供する活動です。例えば、キリンビールが長年にわたって育ててきた 「一番搾り」 や 「キリンラガー」 などのブランドを維持、強化することが深化に当たります。
■ 探索
探索は、新たな事業領域に挑戦し、試行錯誤を重ねる活動です。環境の変化に適応し、未来の成長の柱を築くための活動であり、キリンビールのクラフトビール事業部の設立が探索に該当します。
怠りがちな探索活動
一般的には、深化 (既存の強化) と探索 (新規の開発) では前者の深化に偏りがちになります。今までやってきたことの延長なので続けやすいからです。一方、新しい取り組みである探索は、うまくいくかわからず、成果が出にくいので、後回しになりがちです。
しかし、企業は深化だけでは生き残っていけません。外部環境の変化に適応し変わっていくためには、深化だけではなく探索が大事なのです。
両利きの経営は、深化と探索のどちらか一方だけでなく、あえて二兎を追う経営です。
新規事業を成功させる秘訣
両利きの経営を成功させるポイントは、結論から言うと次の5つです。
- 深化と探索に明確な目的と戦略がある
- 経営層からの特に探索事業 (新規) への理解と支援
- 探索には既存事業の資産を活かす
- 深化と探索は距離を置き、無用な対立を避ける (例: 物理的に勤務地やオフィスを離す, 評価指標を分ける)
- 共通のアイデンティティを持たせる (ビジョンや価値基準などの企業文化)
キリンビールにおける両利きの経営の実践
ここでキリンビールの話につなげます。キリンビールのクラフトビール事業への取り組みは、深化と探索のバランスを取った両利きの経営を体現する事例です。
先ほどの両利きの経営を成功させる5つのポイントに、順番に当てはめて見ていきましょう。
明確な目的と戦略
クラフトビール市場において、キリンビールは2030年までにビール市場全体でのクラフトビールのシェアを 5% 以上に引き上げるという目標を掲げています。
現在は 2 ~ 3% 程度にとどまっており、目標を達成するためには、マーケティングと営業の改革が必要だというのがキリンビールの認識です。
明確な目的と、組織改編も伴うような事業戦略をつくることによって、キリンビールは探索活動の方向性を明確にしています。
経営層の探索への理解と支援
キリンビールはクラフトビール事業部を新たに設立し、従来のビール事業とは別に独立した組織として運営する体制をとりました。既存事業とは異なる手法と評価指標で事業を進められる環境を整えています。
組織を新設するということは、全社的にクラフトビール事業を重視しているからであり、新たな市場での探索活動を経営層が積極的に支援していることがわかります。
探索に既存資産を活用
キリンビールはクラフトビール事業において、既存のビール事業で築いたネットワークやリソースを活用しています。
クラフトビール用の飲食店向けサーバーの 「Tap Marché (タップ・マルシェ) 」 の導入、導入店舗というパートナー (既存資産) への提案、スプリングバレーなどの既存ブランドを有効活用することで、クラフトビール市場での認知向上と活性化を図っています。
深化と探索の分離
クラフトビール事業部は、従来のナショナルブランドとは異なるアプローチを採用しています。
クラフトビールの体験価値を強調するプロモーションや注力顧客に合わせた新しいコミュニケーションを取り入れています。例えば、クラフトビールの特徴を伝えるメニュー表の導入やフードとのペアリング訴求、ビールの香りを楽しめるチューリップグラスでの提案などです。
クラフトビール事業では、既存の大量販売モデルからの脱却を図ろうとするキリンビールの姿勢を見てとれます。
アイデンティティの共通化
キリンビールの 「日本のビールの新たな100年を共に作る」 という長期的なビジョンは、キリンビール全体の成長と共に、クラフトビール市場全体の発展を目指すものです。
ビールという大きな傘の下で、従来のビールブランドと新規のクラフトビールで共通のアイデンティティを持つことにより、深化と探索の活動が互いに対立したり足を引っ張り合うことがなく、相乗効果からのシナジーを生み出す環境をつくり出そうとしています。
以上のように、キリンビールのクラフトビール事業は、両利きの経営での 「深化 (既存事業の強化) 」 と 「探索 (新規事業の開発) 」 の両方を追求した取り組みで示唆に富みます。
まとめ
今回は、キリンビールのクラフトビール事業の事例を取り上げ、学べることを見てきました。
最後にポイントをまとめておきます。
- 深化と探索の二兎を追う経営
- 深化: 既存事業の強化。改善を重ねる
- 探索: 新規事業の開発。領域を広げ新しく取り組む
- 一般的には深化 (既存の強化) に偏る。外部環境の変化に適応し生き残るためには、深化だけでは十分ではなく探索が大事
✓ 両利きの経営を成功させるポイント
- 深化と探索に明確な目的と戦略がある
- 経営層の探索への理解と支援
- 探索には既存事業の資産を活かす
- 深化と探索は距離を置き、無用な対立を避ける (例: 物理的に勤務地やオフィスを離す, 評価指標を分ける)
- 共通のアイデンティティ (ビジョンや価値基準などの企業文化)
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