
前作が200万部を突破し、続編が 夢をかなえるゾウ2 - ガネーシャと貧乏神 です。
貧乏神の金無幸子
サブタイトルに貧乏神とあるように、主人公には、ガネーシャだけではなく貧乏神もとりつきます。名前は金無幸子という女性の貧乏神です。ストーリーの中で大事な役割を担っており、ところどころで深いことを言ってくれます。
貧乏神である幸子さんは、「この人は貧乏になる」 と見定めた人に取り付きます。取りついている主人公は、脱サラをして売れない芸人生活を8年も続けています。貧乏になりやすい人が大好きで、考え方が貧乏性だったり、行動が貧乏な人を見分ける神様です。
貧乏になりやすい3つのパターン
幸子さんによると、貧乏になりやすい人のパターンは大きくは3つに分けられるそうです (貧乏神の世界では細かくは18,314パターンあるようですが、大きくは3つに集約されるとのことです) 。
1つ目が 「ドリーム貧乏」 です。大きな夢を持っているものの、自分の夢に囚われすぎてまわりが見えていないタイプです。売れない芸人である主人公がこのタイプです。
2つ目は 「ガネーシャ貧乏」 です。目の前にある誘惑に負け、ついついお金を使ってしまうタイプです。お金があればすぐに使ってしまう浪費家タイプでしょう。名前にある通り、ガネーシャがこのタイプに当てはまります。
3つ目が 「お駄賃貧乏」 です。幸子さんは、子どもの頃のお駄賃のもらい方が、大人になってから貧乏につながると言います。親から 「お使いに行ってくれたらお駄賃をあげる」 「宿題をしたらお小遣いをあげる」 などのケースです。
お駄賃が貧乏の始まり
幸子さんは、お駄賃が貧乏の始まりと言います。本書から該当箇所の引用です。
「そういう形でお金をもらってしまうと、『お金』=『嫌な作業をするともらえるもの』という考えを持つようになります。しかも作業をする前からもらえる金額が決まっているので『いかに楽して作業を終わらせるか』ということばかり考える人になるでしょう。
こうして子どもの頃にもらった『お駄賃』が、アルバイトの『時給』になり、会社の『給料』になります。すると給料の範囲内でしか仕事をしませんし、仕事をできるだけ減らそうと考えるので給料が増えることはありません」
お駄賃貧乏から抜け出すために
では 「お駄賃貧乏」 パターンから抜け出すためにはどうすればいいか。幸子さんは 「逆にすればいい」 と言います。
「お金は『嫌な』作業をするともらえるのじゃなくて、『楽しい』ことをするともらえるもの。もらえるお金の量はあらかじめ決まっているのではなくて、お客さんを喜ばせた分だけもらえるもの、という風に」
確かにこの考え方は一理あるように思いました。もちろん、子供の頃のお小遣いのもらい方でその後に貧乏かどうかが全て決まるわけではないでしょう。とはいえ、子ども時にお金をどういう形でもらっていたかは、大人になってからも影響が少なからずありそうです。
子どもの頃のおこづかい
自分の場合を振り返ってみると小学校の時はお小遣いは月額で、100円 × 学年でした。小学1年なら100円、6年なら600円でした。
当時考えていたことは、毎月その600円を何に使うかでした。どう配分するかの計画をあらかじめ立てておいて実行する、うまくいけば翌月に50円は残せると考えていました。
この考え方はその後も残りました。大学生になってもバイト代とかの毎月の収入はこれくらいと見越して、その範囲でどう使うか (生活するか) をよく考えてました。
一方で、発想として弱かったのは、お小遣いやバイト代等の収入をどう増やすかということでした。
月々の決まった額の中でいくら使うかの配分ではなく、そもそものパイをどう大きくするかの視点です。もとを掘り下げていくと、子どもの頃のお金との付き合い方が影響していたのかもしれません。
お金と教育
自分の子どもにお金のことをどう教え、何を伝えるかです。
貧乏神の幸子さんが言うように、お金 = 嫌なことをするともらえるものではなく、楽しいことをした結果もらえるもの、お客に喜んでもらえた分だけもらえるものと捉えられるかです。
相手にどれだけ役に立ったかです。社会に貢献できたかでもらえるものと位置づけられるかです。
例えば、小さい時のお小遣いは、毎月決まった額 (ベース) に加え、お手伝いなど自分ができることを考えて、どれだけ家族みんなのために貢献できたかでおこづかいが決まるようなルールです。
親が困っていることのニーズを見極め、それに対して自分は何が提供できるかを考えることが期待できます。自分がやった付加価値に対してお金がもらえるという仕組みができればと思います (お金以外の要素もあるのでバランスが大切ですが) 。
最後に
ガネーシャについての過去の関連エントリーはこちらです。
行動科学マネジメント:夢をかなえるガネーシャの教えを実践するために