リーダーシップについてです。2つの古典から、リーダーとはどうあるべきかを書いています。
エントリー内容です。
- 根本を正すことが肝要
- リーダーこそ 「我が身を正せ」
- 「慎独」 から我が身を正しくする
根本を正すことが肝要
「荀子 (じゅんし) 」 という古典には、次のような言葉があります。
原 (みなもと) 清ければ則ち流れ清く、原 (みなもと) 濁れば則ち流れ濁る
現代語訳は、「源が清ければ下流は清く澄んでいるし、源が濁れば下流も濁る」 です。意味は、根本を正すことが肝要であり、上が正しくなれば下は自ずと正しくなるというものです。
リーダーこそ 「我が身を正せ」
荀子のこの言葉は、リーダーシップへの教訓にできます。「上に立つ者はまず我が身を正せ」 ということです。
リーダーの姿勢が手本として部下に示され、全体に影響するのです。リーダーという組織の源が清ければ、チーム全体も清くなるだろうと言えます。その逆もまた然りです。
もちろん、我が身を正すことだけで、リーダーとして役割を果たせるとは言えません。リーダーとなるには他に必要な要件があるでしょう。荀子の教えは、リーダーのための出発点です。
「慎独」 から我が身を正しくする
では、どうすれば我が身を正すことができるのでしょうか?
ヒントは 「慎独 (しんどく) 」 にあります。
慎独とは、古典である 「大学」 に書かれている 「君子必慎其独也 (君子は必ず其の独りを慎むなり) 」 から来た言葉です。意味は、「自分一人のときでも行ないを慎み、道をはずれないようにする」 です。
何か後ろめたいことであっても、人が見ていないところではついやってしまうかもしれません。人間誰しも起こり得ることです。慎独は、その状況でこそ自分を律することができるかを問います。
人が見ていなくても、見られている時と同じような行動が取れるかです。他人が見ていないということは、その状況を誰かに言わなければ自分だけしか知らないことです。少しくらいならいいではなく、自分の行ないを慎み、人としての道を外れないようにできるかです。
自分の行ないや自分自身を律することができるかの判断基準は、誰か他の人が見ているかどうかで決めべきではないでしょう。
あくまで自分自身の中の問題として捉えるべきです。人の目があるかどうかは関係なく、自分が持つ倫理観に背く行ないであればやらないことです。
この積み重ねが 「我が身を正す」 ことにつながります。