#マーケティング #ブランディング #価格
値上げの案内が届くと、大抵の人は金額だけを見て、続けるかどうかを考えるでしょう。
案内に書いてある理由はだいたい同じで、原材料や配送コストが上がったからというもので、これでは読んでもあまり心は動きません。
ところが先日、食事宅配サービス 「シェフの無添つくりおき」 から届いた価格改定の案内は少し違いました。読み終えたとき、不思議と値上げそのものへの抵抗が消えていたのです。
今回は、この一通の手紙を題材に、値上げの案内がブランドへの信頼を強める機会になり得ることを考えてみます。
毎週、冷蔵で届く 「シェフの無添つくりおき」
出典: シェフの無添つくりおき
サービスの概要
「シェフの無添つくりおき」 は宅配サービスです。保存料などの添加物を使わずに調理した出来立ての惣菜を、週替わりで自宅まで冷蔵の状態で届けてくれます。
一般的には宅配の惣菜や弁当は冷凍で届くものが多いなか、「シェフの無添つくりおき」 はあえて冷蔵にこだわっています。冷凍にしない分だけ日持ちはせず、消費期限は届いてから数日以内です。作りたてのおいしさを優先しています。
中身は主菜と副菜のセットになっています。たとえば主菜には牛肉のプルコギや油淋鶏 (ユーリンチー) 、ハンバーグといった家庭で人気のおかずが並びます。
副菜にはきんぴらやツナサラダ、温野菜などが組み合わされます。週ごとにメニューが変わるので、自分ではなかなか作らない料理にも出会えます。
管理栄養士が栄養の設計を監修していて、温めるだけで食事がほぼ完成します。忙しい家庭でも手間がかかりません。
そして何より、「シェフの無添つくりおき」 が大切にしているのが無添加であることです。この点が、このあとで取り上げる値上げの案内につながっていきます。
顧客体験とブランド
ここで、今回の話の土台になる考え方に触れておきます。ブランドについてです。
ブランドとは、繰り返される顧客体験のなかで少しずつ積み上がっていく信頼の総体です。
「シェフの無添つくりおき」 の場合、普段の顧客体験は大きく 3 つに分けられます。
1 つ目は、毎週決まったタイミングで惣菜を受け取る体験です。2 つ目は、届いた惣菜を温めたり調理したりする体験です。そして 3 つ目は食卓で家族と食べる体験です。
この受け取る・作る・食べるという体験が毎週で繰り返されるなかで、無添加で安心できる、手軽なのにきちんとしている、という実感が少しずつたまっていきます。
その積み重ねが、「シェフの無添つくりおき」 への信頼、つまりブランドを形づくっているのです。
値上げの案内を信頼醸成に変えた手紙
信頼が試されるのが、値上げのタイミングです。 今回届いた 「シェフの無添つくりおき」 からの値上げの案内を見ていきましょう。
値上げの手紙の内容
案内によると、2026 年 6 月 6 日のお届け分から価格が変わりました。食卓サポートプランは 4,838 円から 5,173 円へ、食卓おまかせプランは 12,990 円から 13,607 円へ。送料の 990 円は変わりません。
値上げ幅としては数 % で、いまの物価の動きを考えれば驚くほどの上げ幅ではありません。注目したいのは金額ではなく、伝え方です。
値上げの事実そのものはメールと LINE ですでに案内済みで、そのうえで、商品の箱には手書きの手紙が一通添えられていました。差出人はサービスの責任者で、最後は個人の名前で結ばれています。
手紙にはこう書かれていました。
いつもシェフの無添つくりおきをご利用いただき、誠にありがとうございます。6 月 6 日 (土) お届け分からの価格改定について、先日メールと LINE でご案内をお送りしました。詳しい内容はご案内をご確認いただけたらと思いますが、このお手紙ではいつもご利用いただいている皆様へお礼を伝えさせてください。
価格を見直すという決断は、私たちにとっても容易なことではありませんでした。それでも添加物に頼らずに作るという、サービスを始めたときからの約束を守り続けます。
食品添加物を使うことは、コストと大量調理の効率の面でも合理的な選択であることは確かです。添加物を使用する、原材料の質を落として価格を維持する道もありました。それでもその選択をしなかったのは、「素材本来の味や栄養素を生かしたい」 「安心安全な食の選択肢を増やしたい」 という考えからです。そういった考えにご賛同いただける皆様が選んでくださるからこそ、私たちはこの姿勢を貫けています。本当にありがとうございます。
保存料に頼らない素材本来のおいしさ、温めるだけで食事が完成する手軽さ。これからも変わらず皆様の食卓をサポートする役割を担ってまいります。改めまして、これからもよろしくお願いいたします。
値上げの案内でありながら、読み終えたあとに残るのは利用者へのお礼と、サービス提供者による宣言という印象でした。
ではここからは、この手紙からマーケティングへの示唆を考えていきます。
やらない選択肢を語り、信頼を獲得する
値上げの案内で明確なのは、やらなかった選択肢をはっきり書いている点です。
手紙は、添加物を使う道もあった、原材料の質を落として価格を保つ道もあったと認めています。そのうえで、自分たちはその道を選ばなかったと言い切っています。何かを守るために、あえて別の選択肢を捨てた。その捨てた中身まで具体的に見せているのです。
守るために何を手放したのかが見えると、こだわりが口先だけのものではなくなります。コストを背負ってでも貫いている約束なのだと伝わるからです。
さらに、賛同してくださる皆様が選んでくださるからこそこの姿勢を貫けています、という一文が続きます。値上げを会社の都合の話から、お客さんと一緒に守ってきた価値の話へと置き換えているわけです。
価格改定の案内で信頼を生む顧客体験にした
価格改定を知らせる今回の手紙は、本来なら事務連絡でしかない価格改定の案内を、1 つの顧客体験につくり変えています。
先ほど、このサービスの顧客体験は受け取る・作る・食べるの 3 つだと整理しました。今回の手紙は、そこに価格改定の案内を読むという 4 つ目の顧客体験を足したと見ることができます。
ブランディングの観点で秀逸だと思うのは、その体験をこれまでの 3 つと同じ方向、つまり無添加への信頼へと向けてそろえていることです。
だからこの値上げの案内は、信頼を削るどころか逆に働きます。読んだ人のなかに、やっぱりこのサービスを選んでいてよかった、という納得が生まれ、それまで積み上がってきた信頼をもう一段高めるわけです。
本当に大切な顧客を明確にした
興味深いのは、この手紙が誰に向けて書かれているかです。
手紙が響くのは、無添加に価値を置いている人たちです。逆に、価格の安さで選んでいた人にはあまり響かず、値上げをきっかけに離れていくかもしれません。一見すると、それは損のように思えます。
けれども 「シェフの無添つくりおき」 にとっては、これは正しい絞り込みです。自分たちが本当に大切にすべきお客さんは誰なのかを、値上げの場面ではっきりさせているからです。
信念を軸に置くということは、その軸を共有しない人がいずれ離れることを受け入れる覚悟とセットになっています。誰に選ばれたいのかを定めることは、誰には選ばれなくてもよいと決めることでもあるのです。
離反リスクが高い時こそ、ブランドの信念が問われる
では最後のパートでは、今回の事例から広く使える学びを取り出してみます。
値上げの案内を、信念を伝える機会にする
値上げの案内は、信頼を失う危うい場面だと思われます。でも見方を変えれば、お客さんがブランドと改めて向き合ってくれる機会でもあります。
「シェフの無添つくりおき」 の場合、普段の受け取る・作る・食べるという体験は、商品を通して伝わるものです。言葉で直接、自分たちの考えを語る場面はそう多くありません。
その点、価格改定の案内は、なぜこのこだわりを貫くのかを言葉で正面から伝えられる機会です。商品だけでは伝えきれない思いを、ここでなら語れます。だからこそ、この場面で何を語るかによって、ブランドの輪郭がくっきりとしてくるのです。
離反リスクが高い時こそ、信念が問われる
価格改定は、お客さんにとっては今後も続けるかどうか、お金を払い続けるかを一度立ち止まって考える場面です。サービス提供者にとっては、お客さんが離れていくリスクが高まるタイミングであることは間違いありません。
そのときに差が出ます。信念がはっきりしているブランドは、自分たちが何を守るために値上げするのかを語れます。だからリスクの高い場面を、かえって信頼を得る機会に変えられます。
一方で信念があいまいなブランドは、語る言葉を持たず、ただ高くなったという事実だけが残ります。離れていくリスクが高い時こそ、日ごろ積み上げてきたブランドの信念と信頼が問われるのです。
避けられない値上げを、顧客に大切なことを伝える機会に変える
今の物価高のなかで、値上げをせざるを得ない場面は多くの会社に共通する避けられない現実です。ここで問いたいのは、値上げをするかどうかではありません。どう伝えるかです。
同じ値上げでも、案内を金額の通知だけで終わらせるのか、自分たちが大切にしてきたことをお客さんに伝える機会に変えるのか。この違いで、読んだ人のなかに残るものは変わります。
避けられない値上げだからこそ、ブランドの信念や大切にしていることを、もう一度言葉にして伝える機会にできないか。今回の手紙は、そのことを教えてくれます。
まとめ
今回は、「シェフの無添つくりおき」 の価格改定の手紙の事例を取り上げ、学べることを見てきました。
学びのポイントをまとめておきます。
- ブランドとは、受け取る・作る・食べるなどの顧客体験のなかで積み上がる信頼の総体
- 事務連絡になりがちな値上げの案内も、自分たちの信念を語れば、信頼を強める一つの顧客体験になる
- やらなかった選択肢まで具体的に語ると、こだわりが口先でなく本気の約束として伝わる
- 誰に向けて語るかを定めることは、誰には選ばれなくてよいと決める覚悟が伴う
- 顧客離反のリスクがある値上げの場面でこそ、信念と日ごろ積み上げてきたブランドへの信頼が問われる

