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私が大切にしている習慣の1つが、毎朝走ることです。1時間程度、毎日走っています。
スマートフォンのランニングの記録アプリを見ると、最後に走らなかった日は昨年2017年の6月14日でした。去年の6月15日からは一日も欠かすことなく走れ、2018年6月14日にちょうど連続365日を達成することができました。
今回は、自分にとっての走ることの意味を書いています。エントリーの内容です。
- 走ることの意味
- 人から見れば不可解でも、自分には大切なこと
走ることの意味
毎朝決まった時刻に、同じコースとペースで走っています。走ることの位置づけは、心技体のうち 「心」 と 「体」 をつくることです。
まずは体をつくることについてご説明します。
体をつくる
走る時間は、朝の1時間です。走ることにより、筋力と心肺機能を強化できます。発汗からの新陳代謝を促す効果もあります。
これは自分の感覚でしかありませんが、走ることによって風邪を引いたり体調不良になりにくい身体になっています。
心をつくる
走ることの意味で重視しているのは、心づくりです。心を整え、心を強くすることです。
走っている途中は、途中で息が切れたり足が重くなってきます。しかし、最後まで走り切ることにより、自分の弱い気持ちに打ち克てます。走った後には晴れやかで満ち足りた気分になり、前向きな気持ちになります。
外を走ることは、やろうと思えば誰にでもできることです。走ること自体には、特別な能力は必要ないです。
しかし、毎朝決めた時刻に、気分や体調、天候に左右されずに走り続けるとなると、誰もがやっていることではありません。1回なら誰でもやれて当たり前のことをひたすら続け、このプロセスを通じて自分の心を鍛えることできます。
やり続けることにより、自分への自信と肯定感が増します。
人から見れば不可解でも、自分には大切なこと
毎日走ることは、人から見ればなぜそこまでやるのかと思うでしょう。朝なので、朝の貴重な時間に走りに行くことは理解されにくいです。一見すると不合理なことです。
しかし、自分には大切な習慣です。体と心をつくるためには、毎朝に走ることを続けることは意味のあることだからです。
最後に
今回は、毎朝走ることの意味を書きました。
走り続けることは、多くの人には不合理に見えても (あるいは理解されなくても) 、自分には大切なことで合理があります。
自分にとって 「一見すると不合理、自分には合理なこと」 は何か、実際にやっていることで何が当てはまるかを考えてみると、自分が本当に大切にしていることが見えてきます。