#マーケティング #戦略 #顧客価値
アシックスはスポーツシューズ業界で長い歴史を持ちながらも、一時は競争力を失いかけていました。特に、2021年の箱根駅伝で 「アシックスのシューズ着用率ゼロ」 というショッキングな事態に陥ったことは、駅伝ファンにはまだ記憶にも新しい出来事でしょう。
しかし、この経験をバネにアシックスは巻き返しました。
いまや海外売上高が全体の8割を超えるグローバル企業へと変貌を遂げています。アシックスの 「スポーツスタイル」 や高級ブランド 「オニツカタイガー」 でも海外顧客を増やし、グローバルでの売上を伸ばしています。
アシックスの復活劇には 「自社のコア領域を定めること」 「体験価値を提供すること」 「やること・やらないことを明確にすること」 という、いわば戦略の本質を突いた要素が詰まっています。
今回は、アシックスが具体的にどのような取り組みを行ってきたのか紐解き、学べることを掘り下げます。
アシックスの逆襲
まずはアシックスが陥った苦境から見ていきましょう (参考記事) 。
トップ選手から選ばれないシューズに…
アシックスは2010年代に卸売中心から D2C (直販) やデジタルを活用する流れへの転換が遅れました。また、マス市場 (プロアスリートではなく一般的な消費者向けの市場) へのアプローチを強めました。
マス層向け商品を増やせば売上は一時的に拡大するかもしれません。しかし、アシックスが本来持っていたコアな強み、例えばトップアスリートのランナーが 「これがないと走れない」 というほど信頼を寄せるハイスペックなシューズの開発力から遠ざかる道でした。
象徴的なのは、かつて薄底シューズでアシックスが強みを誇っていたランニング領域で、厚底シューズを武器にしたナイキにシェアを奪われたことです。極めつけが2021年の箱根駅伝で、アシックス着用率がゼロになった事件です。
ランニングシューズはアシックスの顔とも言える商品のはずが、若い大学生ランナーからはまったく選ばれなかったわけです。この現実は 「自分たちがどの市場で、どう価値を出すのか」 という視点がぼやけていたことの証左でした。
トップアスリート向けシューズ開発に注力
そこから、アシックスは創業当初からの強みであるトップアスリート向けシューズ開発に原点回帰します。
「C プロジェクト」 と名づけられた取り組みでは、トップランナーの声を直接聞きながら改良を繰り返し、カーボンを使用しつつ軽量化を実現した 「メタスピード」 シリーズを世に送り出しました。2024年の箱根駅伝ではアシックスの着用率が 24.8% にまで回復するなど、短期間で再びトップ層に選ばれるブランドへと立て直しました。
やるべきコア領域をきちんと定め、優先的に投資して強みを磨いた成果です。トップ選手が使うものには、マス層へ 「かっこいい」 、「自分も同じモデルを履きたい」 と伝播する自然な波及力も働きました。
テニスへの横展開
ランニング以外にも、アシックスは2024年からテニスシューズの 「T プロジェクト」 を本格始動させています。
テニス人口は世界で1億人超という大きな市場があるにもかかわらず、アシックスではこれまではランニングほどの事業の柱にはなりきれていませんでした。
それを T プロジェクトにより、トッププロであるノバク・ジョコビッチ選手をはじめ、契約選手ではない選手が自費でアシックスのシューズを購入するほどアシックスの品質が評価され、全仏オープンでは128名中31名が着用するという実力派ブランドにアシックスは変貌したのです。
ここでもトップ層の声を聞き、短期間で改良に応えるという姿勢が見られます。
ジョコビッチ選手の要望をわずか2ヶ月で反映し、同選手のプレースタイルに合った軽量性と柔軟性を備えたシューズを完成させたというエピソードは、アシックスの開発スピードと対応力の高さを示しています。
テニスのようにコート内で横と縦への動きが激しく、グリップやクッション性が重要になる競技でも、トップ選手が本当に求める機能を徹底的に追求するという姿勢をアシックスは貫きました。自分たちのコア領域を定義し、そこに資源を集中させる象徴的な事例です。
モノ売りから体験の提供へ
アシックスが成長を成し遂げているのは、単純に良いシューズを作ったからだけではありません。アシックスは 「ランナーが欲しいのはシューズだけなのか?」 という問いを突き詰め、アプリや大会登録プラットフォームの買収などを積極的に進めています。
東京マラソンなどの大きなイベントのスポンサーにお金をかけるだけでは、レースの前後数日しかランナーと接点が生まれません。しかし、大会のエントリー段階から自社アプリを使ってもらうことで、走る予定の半年前からランナーと関係を築くことができます。
このように、ユーザーがレースに向けてトレーニングを積むプロセスの中にアシックスが入り込むことによって、「この期間にこんなトレーニングをすると効果的」 や 「こういうシューズを使うとパフォーマンスが安定する」 といった形で、より具体的なサポートや提案ができます。
インバウンド需要に向けては、富士山マラソンで VIP 向けに100万円もの参加プランを販売しました。リムジン送迎や高級ホテルステイがセットになったエグゼクティブコースで、エグゼクティブ顧客を呼び込みました。こうした体験を切り口とした新たな収益モデルは、シューズ販売を超えた価値を生み出しているのです。
また、アプリやオンラインプラットフォームで得られたデータからは、どの国のランナーがいつ、どの大会に出て、どんなシューズを履いているのか、マラソン以外のスポーツとの掛け合わせなど、多彩な情報が得られます。収集データをサービスに還元していくことにより、ユーザーはより自分に合った商品やトレーニング方法を得られるようになります。
アシックスとしてもユーザーからのロイヤルティを高める好循環が期待できます。
戦略への学び
ではアシックスの事例から戦略への汎用的な学びを見ていきましょう。
トップアスリートへの集中
アシックスがトップシェアを取り戻すための道のりは、決して平坦ではありませんでした。代表的なのがシューズの設計コンセプトにおける厚底への対応です。アシックスは伝統的に薄底シューズのイメージが強く、厚底で走るという発想の転換を受け入れるのに時間がかかったといいます。
しかし、世の中の流れを見誤れば、ライバル企業にシェアを奪われるだけです。アシックスはマス向け商品に注力するあまり、時代の潮流でもあった厚底シューズへの対応が遅れてしまいました。これが箱根駅伝でシューズ着用率がゼロになった事件を招いた要因でした。
厚底を選ぶか、薄底を貫くかといった意思決定を先送りにしてしまうと、一気にブランド力が低下しかねない状況でした。アシックスは 「やること」 と 「やらないこと」 を明確にして、トップアスリートへのアプローチ強化と新商品の本格開発を打ち出し、短期間で成果を挙げました。
戦略の要諦
アシックスの事例を振り返ると、アシックスは 「コア領域の定義」 、「顧客体験の提供」 、「やること・やらないことの明確化」 を打ち出しながら、経営を大きく転換してきたことがわかります。
トップアスリートからの支持が最終的にはマス市場にも波及する構造を意識し、自社が強い競技領域に集中したわけです。さらに走ること自体の楽しみや、大会に参加する体験を最大限に盛り上げることによって、新しい顧客価値をつくり出しました。
戦略の決め手は、「トップアスリート向け開発は絶対に譲らない」 、「イベントやデジタルでの接点づくりにリソースを割く」 などの明確な取捨選択にもとづくものでした。
アシックスの復活劇からは、自分たちが最も価値を提供できる領域を見極め、そこにこそ最大限のリソースを配分することの大切さを再認識させられます。特に、「なんとなく手を広げる」 とか 「なんとなく流行に合わせる」 ではなく、企業として 「やらないこと」 に決める意思決定にこそ、強い意思と捨てる勇気を持つことが重要です。
また、商品を売って終わりではなく、その先にある体験やコミュニティ、ランナーやアスリートがワクワクできる舞台までトータルにプロデュースすることにより、新たな収益源とブランド力の向上を同時に達成していることも注目に値します。
何に注力して、何を捨てるか。企業が抱える資源は限られている以上、そこを見誤らずに明確化することが勝ちにいく戦略の真髄なのです。
まとめ
今回は、アシックスの事例を取り上げ、学べることを見てきました。
最後にポイントをまとめておきます。
- コア領域への集中投資。自社の強みを最も発揮できる領域を明確にし、そこに優先的にリソースを注ぎ込む
- 「なんとなく手を広げる」 ではなく、「やらないこと」 を明確にし、必要な領域にリソースを集中投下する。限られた経営資源を効果的に活用できる
- 商品を売って終わりにせず、顧客との接点を商品購入前後まで広げる。顧客が商品を使って得られる体験価値を総合的に設計し、支援することで、付加価値を提供できる
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