投稿日 2025/11/22

なぜ映画 「鬼滅の刃」 は熱狂を生んだのか? "前座" と "本番" というマーケティング方程式

#マーケティング #コミュニケーション #前座と本番

今回は、劇場版 「鬼滅の刃」 無限城編の大ヒットを例に、消費者の心をつかむマーケティングの新しい方程式を紐解きます。

ヒットの裏側に隠された戦略と、私たちの心を揺さぶる感動の仕掛けについて、ぜひ一緒に探っていきましょう。

劇場版 「鬼滅の刃」 無限城編 第一章 猗窩座再来





あらすじ

物語の舞台は、鬼たちの本拠地である異次元空間 「無限城」 です。ついに鬼殺隊と鬼の最終決戦の火蓋が切って落とされます。

鬼の始祖である鬼舞辻無惨 (きぶつじむざん) を討ち果たすため、無限城へ突入した鬼殺隊。しかし、待ち受けていたのは、無惨が率いる最強の鬼たち 「上弦の鬼」 との過酷な死闘でした。

竈門炭治郎や鬼殺隊の柱、味方の隊員たちは散り散りになりながらも無惨を探し、無限城の奥へと進んでいきます。

それぞれの戦場では命をかけた戦いが始まります。蟲柱の胡蝶しのぶは姉を殺した仇である上弦の弐 (に) ・童磨 (どうま) と対峙し、激しい死闘を繰り広げます。

また、我妻善逸はかつての兄弟子で鬼となった上弦の陸 (ろく) の獪岳 (かいがく) との因縁に決着をつけようとします。

そして物語の大きな山場は、竈門炭治郎と水柱・冨岡義勇が上弦の参・猗窩座 (あかざ) と激突する場面です。かつて炎柱の煉獄杏寿郎を討った猗窩座との戦いは壮絶を極めます。

凄まじい猗窩座の強さの前に、何度も絶望的な状況に追い込まれる炭治郎と義勇。戦いの最後に猗窩座の脳裏によぎったのは、人間だった頃の記憶でした。なぜ猗窩座は強さを求め続けるのか。その謎に迫る回想シーンです。

ロケットスタートのヒット

劇場版 「鬼滅の刃」 無限城編は、公開からわずか 4 日間で興行収入73億円を記録。鬼滅の前作の 「無限列車編」 の初動 3 日間で 46 億円を上回る数字を叩き出しました (今回は 4 日の数字、前回は 3 日の数字ということに注意) 。

 「鬼滅の刃 無限城編」 がロケットスタートとなる観客動員と興行収入となったのは、生活者を取り巻くメディア環境とファン心理を的確に捉えた戦略があったからです。

劇場への熱狂を生んだ戦略


では、鬼滅の刃の戦略を具体的に見ていきましょう。

劇場へと向かわせる 「種火」 を育てる

アニメなどの作品のヒットを長期間にわたって持続させるには、ファンの中だるみを防ぐことが重要です。鬼滅の刃はこの課題に、綿密なアプローチで対処しました。

国内では、鬼滅のテレビアニメの放送が深夜帯であり、子どもやファミリー層がリアルタイムで見るにはハードルが高かったのも事実です。しかし、補ったのがアニメーション制作会社の ufotable (ユーフォーテーブル) の安定した制作能力でした。毎年、クオリティの高い鬼滅の刃の映像をコンスタントに提供し続けることで、ファンとの接点を途切れさせませんでした。

そして、国内外のコアなファンとのつながり (エンゲージメント) を強固にしたのが、二度にわたる 「ワールドツアー上映」 です。

ワールドツアー上映は、すでに放送された鬼滅のテレビシリーズの最終話と、新作の第 1 話を組み合わせるというユニークな形式でした。この施策の真価は、ファンが年に一度集う 「お祭りの場」 を提供したことにあります。

お祭りを継続的に用意することにより、鬼滅の刃への愛着を高め、熱狂の 「種火」 を絶やしませんでした。この種火が、やがて大きな炎となります。

着火点をつくったデジタルプロモーション

熱狂への種火をつくっても、燃やし続けるためには投下する燃料が必要です。

この役割の中心は、かつてはテレビ局が担ってきました。しかし、今回の鬼滅の刃のヒットには、プロモーションの主軸が変化したことが見て取れます。

総務省の 「令和6年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」 によれば、YouTube の利用率は 10 代から 40 代で 90% を超え、10 代から 30 代では 95% 以上です。YouTube はもはや人々の日常生活に不可欠な存在です。

鬼滅の刃はメディア環境の変化を捉え、プロモーションの主戦場を YouTube に移しました。

800 万人を超えるチャンネル登録者を持つアニプレックスの YouTube チャンネルで公開された無限城編の本予告は、わずか数週間で 3000 万回再生を突破しました。

強力な武器となったのが YouTube Shorts です。


ufotable が制作するショート動画は、数十秒の短い動画でも視聴者の目を釘付けにする力がありました。YouTube Shorts はうまくアルゴリズムに乗れば拡散されやすく、ファンの熱量をつなぎとめ、さらに高め、そして新たなファンを呼び込む起爆剤となりました。

もちろんテレビは、今でも幅広い層に作品の存在を知らせるメディアです。しかし、今回の鬼滅の無限城編においては、種火でつくったファンの熱量に着火する役割を中心的に担ったのは YouTube でした。劇場へと向かわせる直接的な動機を生み出したのが、YouTube を中心としたデジタルプロモーションだったのです。

 「推しの晴れ舞台」 にする映画館

YouTube で生まれた熱気が向かったのが映画館です。

劇場版の 「鬼滅の刃の無限城編」 の記録的な動員数の背景には、映画館そのものの役割が、ここ最近で変化しているという側面があります。

推し活をしているファンにとって、推しの対象が出演する映画を上映する映画館が 「推しの晴れ舞台」 になっているということです。

映画館が、映画を鑑賞する場所にとどまらず、自分が愛する作品、キャラクターなどの推しの活躍を、最高の映像と音響で体験し、応援するための特別な空間になっているわけです。

アニメキャラクターにとって映画館は、ミュージシャンにとっての武道館や東京ドームに近いようなハレの舞台です。ファンがそこに集うことにより、劇場はまるでライブ会場のような祝ったりお祭りのような空間に変わります。

また、映画館はファンが作品やキャラクターに直接課金できる場所でもあります。

映画のチケットだけではなく、パンフレット、関連グッズの購入は、自分の推しへの直接的な貢献として実感することができます。こうした推し活のハレ舞台としての映画館の役割が、ファンを劇場へと向かわせる強い引力となるのです。

 「前座」 と 「本番」 のマーケティング


ここまでの話は、日本の伝統芸能である落語の 「前座」 と 「本番」 の概念を当てはめることによって、マーケティングへの示唆が得られます。

落語の世界では、まず 「前座」 が登場し、場を温め、観客の熱気や期待感を高めます。そして、満を持して 「真打ち」 が登場し、噺 (はなし) のクライマックスで観客を最高潮に盛り上げるという流れです。

鬼滅の刃は、この手法をデジタル時代に再構築したと捉えることができます。今回の鬼滅の刃のヒットは、偶然ではなく、意図されたマーケティング戦略であったことが見えてきます。

順を追って詳しく見ていきましょう。

[前座] 期待感を醸成する仕掛け

鬼滅のワールドツアー上映や YouTube プロモーションは、劇場版公開という 「本番」 の前に、ファンの心の舞台を整える 「前座」 の役割を担いました。

前座は、大きく分けて 2 つの効果を生み出しました。

ひとつめが心のスクリーンに焼き付けるような先行体験です。

ワールドツアー上映は、ただの先行公開ではありませんでした。放送済みのテレビシリーズの最終話と、まだ見たことのない新作の第 1 話を組み合わせるという異例の形は、ファンに特別な体験をもたらしました。

この先行体験が、本番の映画館での体験への強い動機付けとなります。

ふたつめが期待を高める効果です。

YouTube の公式チャンネルから定期的に配信される予告などの関連動画は、人々の鬼滅の最新映画を見たいという欲求を刺激し続けました。

ufotable が生み出す美しい映像は、たとえ数十秒の短いショート動画であっても、見る者の心を揺さぶる力があります。

YouTube Shorts という、短い映像がアルゴリズムによって次から次へと拡散される仕組みを活用しました。まるで、落語の演者が観客の小さな笑いを拾い、次の笑いへとつなげていくようにです。

[本番] 期待を超える感動体験

そして、「前座」 によって高められた期待感は、いよいよ 「本番」 である映画館で最高の形で迎えられました。

映画館は、ファンにとって映画の鑑賞場所というだけではなく、ファンの愛するキャラクターが、最高の映像と音響で描かれる 「推しのハレの舞台」 です。映画館の大画面で、キャラクターたちの息遣いや、鬼との激しい戦闘シーン、悲しい過去の回想シーンを体感することは、ワールドツアーや YouTube の画面で感じた熱量を何倍にも増幅させたことでしょう。

さらに、映画のチケットやパンフレット、グッズの購入は、ファンが直接的に推しに貢献できる機会です。愛する推しの対象を応援することへの喜びとなります。

こうした 「推し活」 のハレの場が、映画館という 「本番」 の舞台を特別なものとし、感動と祝祭の空間へと進化させたのです。

なぜ、この方程式が重要なのか

劇場版 「鬼滅の刃」 無限城編の記録的なヒットは、テレビ局主導のメディア展開に多くを依存してきた日本のエンタメ業界に、新たな方向性を示すものです。

 「前座」 で種火をつくり、着火剤を仕込み期待を高め、炎の勢いを途切れさせないようにする。「本番」 への熱量を保ったまま、ハレの舞台につなげて熱狂を最高潮にもっていく。

この方程式は、作品という商品の魅力をいかに的確に注力顧客層へ届け、つながりや絆を強くしていくという、より高度な戦略が問われる時代の幕開けを告げるようなものです。

いかにして 「種火」 を育て、「着火点」 を見つけ、「前座」 で整えた舞台に 「本番」 で最高の体験へと昇華させるか。それがヒットを生み出すカギとなります。

まとめ


今回は、映画『劇場版 「鬼滅の刃」 無限城編 第一章 猗窩座再来』を取り上げ、学べることを見てきました。

最後にポイントをまとめておきます。

  • 前座で期待を醸成する。お客さんに顧客価値をすべて見せるのをとどめ、限定的な体験や興味を引く要素を先行して提供し、期待感を高める

  • 本番で期待を超える。前座で膨らませた期待を超える価値を用意し、感動や満足を最大化する

  • 段階的な盛り上げ構造をつくる。前座から本番の流れを設計することで、顧客体験を一時的なもので終わらせず、持続的な熱狂につなげる

  • 感情のピークを意図的に演出する。体験と期待を組み合わせることにより、お客さんの記憶に残る強いインパクトを生み出し、ブランドへの絆を強化する


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多田 翼 (運営者)

書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。マーケティングおよびマーケティングリサーチのプロフェッショナル。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

前職の Google ではシニアマネージャーとしてユーザーインサイトや広告効果測定、リサーチ開発に注力し、複数のグローバルのプロジェクトに参画。Google 以前はマーケティングリサーチ会社にて、クライアントのマーケティング支援に取り組むとともに、新規事業の立ち上げや消費者パネルの刷新をリードした。独立後も培った経験と洞察力で、クライアントにソリューションを提供している。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。