2016/01/23

書評: 学校では教えてくれない日本史の授業 (井沢元彦)




学校では教えてくれない日本史の授業 という本をご紹介します。

著者である井沢元彦氏は、歴史を見る上で大切な視点は2つあると言います。

  • 歴史を大きな流れで捉える
  • 人々の行動原理として影響を与える宗教を切り口に歴史を理解/解釈する

後者について、例えば西洋の歴史は、キリスト教やユダヤ教と深く関わっています。国の成り立ちから人々の日々の行動への影響が積み重なり、歴史がつくられました。

キリスト教などの宗教の視点なくして、西洋史は理解できないのです。

一方の日本史では、確かに神道や仏教は日本の歴史において重要な役割を果たしました。本書で興味深い指摘がされているのは、仏教など以上に日本人の行動原理に関与してきた「宗教」があるということです。

本書では宗教という概念を、一般的なそれよりも広く捉えています。

具体的には、客観的には確認することができないもの、信じていない / 感じていない人にとっては存在しないが、信じる人にとっては確かにあるものです。

神の存在がまさにこれです。この世には唯一の神が存在すると信じる人にとっては神はその人の中では存在します。しかし、神の存在は客観的には証明できません。神様を信じない人にとっては存在はしないのです。

では、日本史において人々の思想や行動い深く関与した「宗教」は何か?本書では3つ紹介されています。

  • 穢れ (けがれ) を忌み嫌う
  • 怨霊信仰
  • 言霊信仰

■ 穢れ (けがれ) を忌み嫌う

穢れとは、汚れとは似て非なるものです。

例えば、他人が使った歯ブラシがあるとします。きれいに洗ってあり見た目は汚れてはいなくとも、使いたいとは思えないでしょう。

いかに消毒され、科学的に清潔であるハブラシでも、他人が使ったことでそこには清潔ではないという感情が生まれます。この感覚が穢れです。

穢れは客観的に証明できないものです。従って、穢れを信じる人にとっては穢れているものとみなすし、信じない人にはそういった感情はないのです。

本書では、日本人には古くから穢れを感情的に敬遠する「穢れ忌避思想」があると指摘します。無意識的にも意識的にも穢れたものを遠ざけてきたのです。

日本人にとって、最も穢れたものは「死」でした。

日本書紀において、死が穢れた存在であることが書かれています。

伊弉冉尊 (いざなぎのみこと) が、先立たれた最愛の妻である伊弉諾尊 (いざなみのみこと) を追って黄泉の国へ向かいます。そこでは伊弉諾尊はすでに腐敗していました。恐れをなした伊弉冉尊は、妻を取り戻すことを諦めて戻ってきます。

その時に自分が穢れてしまったことを嫌い、川の清流で身を清め、穢れを取り除きました。

穢れ、その中でも特に血や死を嫌ったことで、平和な社会が到来した平安中期以降では、現代で言うところの防衛省や警察を司る国の組織が、事実上機能しなくなります。穢れ忌避思想により、天皇の朝廷や貴族たちは手を引き、誰も担い手がいなくなったからです。

社会の治安が乱れた結果、自分たちの土地などの財産を守るため私設警備としての役割を担った人々が、やがては武士になっていきます。

現代のイメージで言えば、豪邸の家に常駐するセコムやアルソックの人たちが、自分たちの警備技術を磨き、いつしか武士と呼ばれていったようなものです。

武士は警護人であった社会的身分から、やがては日本を支配するようになります。

政治権力は天皇という朝廷支配から貴族 (藤原氏) へ、そして、源氏の棟梁であった源頼朝の鎌倉幕府から江戸末期までの武士による政権運営が続きます。

■ 怨霊信仰

怨霊信仰とは、天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の怨霊のしわざと見なして畏怖することです。

怨霊は、それをを鎮めて御霊 (ごりょう) とすることにより、祟りを免れることができると信じられていました。怨霊を祀り鎮めることで、社会の平穏と繁栄を実現しようとするわけです。

怨霊信仰は、古くは大和朝廷成立から見られることが本書では書かれています。そして、今なお日本人の心を支配し続けているのではないかという指摘です。

怨霊信仰という視点で日本史を見た時、新しい学びが得られます。

例えば、大仏が国家プロジェクトとして建立されたこと、平安時代より前に頻繁に遷都が繰り返されたこと、古今和歌集 / 源氏物語 / 平家物語がつくられたことです。

これらはいずれも怨霊信仰という切り口で見ると、今までの理解が覆されます。歴史とはこんなにもおもしろいと思わされるのです。

■ 言霊信仰

もう1つ、怨霊信仰とともに日本の歴史に大きな影響を与えたというのが言霊信仰です。

言霊とは、言葉に宿ると信じられた霊的な力のことです。

具体的には、声に出した言葉が、現実の事象に対して影響があると信じ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると悪いことが起こるとされるものです。

現在でも、例えば結婚式のスピーチでは別れるなど直接的なワードだけではなく、切れるや割れるなどの言葉を使うのは NG です。受験生に滑るや落ちるも禁句です。

本来、誰かが「別れる」などと言葉にするのと、その夫婦が離婚することには因果関係はありません。スピーチで忌み言葉が使われたことよりも、別れる原因は夫婦間の直接のもののはずです。

理論的にはそうなのですが、それでも人々の頭に無意識的にも言霊信仰があることで、こうした忌み言葉は避けられるのです。

言霊信仰により、人々は起こってほしくないことは口にできなくなります。

本書では、それにより日本人は希望的観測と論理的予測が同一のものとして、区別がつかなくなると言います。日本人が危機意識が苦手なのは言霊の弊害であり、充分な対策を講じることができないとの指摘です。

日本史においては、例えば、太平洋戦争の開戦に言霊信仰が影響したと言います。

日本海軍連合艦隊を率いた山本五十六は、戦争開始前は誰よりも反対しました。日本とアメリカの国力の違いを論理的に分析すると、結論としてはそうなったのです。山本五十六だけではなく、他にも反対意見がありました。

一方、客観的な根拠に乏しいアメリカに勝利できるという声は、言霊信仰により歓迎されます。反対意見は抹消されます。

個人的には、日本が太平洋戦争を始めた理由は言霊信仰だけではないと思います。

なんとかアメリカとの戦争をせず、平和裏にエネルギーを確保する道を模索し、アメリカなどの各国と交渉を続けた事実があります。昭和天皇も最後まで戦争には反対でした。

ところが、アメリカからハルノートを突きつけられた日本は、さすがの開戦反対派もアメリカとの戦争やむなし、という状況に追い込まれました。

こうした従来の自分の歴史認識に加え、言霊信仰というフィルターで歴史を見ることで、新しい日本史での発見がありました。

★  ★  ★

本書は以下のように紹介されています。

誰もが学生時代に日本史を習う。

しかし、「なぜ源頼朝は天皇家を滅ぼさなかったのか」「なぜ日本人は無謀な戦争に反対できなかったのか」といった本質的かつ重要な問いに、きちんと答えられる人は非常に少ない。

本書は、学校の授業や教科書にはない「長いスパンの中で歴史的出来事の本当の意味を考える」という視点で、日本史をもう一度学び直す本。

本書には、著者である井沢元彦の歴史解釈、すなわち井沢史観が書かれています。必ずしも全てが真実とは限らないでしょう。

それでも、従来の自分の歴史観を解きほぐし、新しい視座を与えてくれるところに本書の価値があります。




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