将棋棋士である羽生善治氏は著書「大局観 自分と闘って負けない心」(角川oneテーマ21)の中で情報検索について、何かを調べようとする時にはGoogleなどの検索サイトを利用することが多いと言っています。その一方で、羽生さんは次のように書いています。「検索をかけながら、検索の世界からは逃げて行く」(p.121)
■羽生善治の情報検索と取捨選択への考え方
羽生さんは検索については非常に有効・有能なツールであると認めた上で、検索に依存してしまうと、自分の可能性を小さくしてしまうのではないかとしています。というのも、情報を取得するとともに不要なものを排除していかないと、ユニークなこと・変わったことを考えたり試したりする機会が減ってしまうことを危惧しているからです。検索と同時に、自分の頭で懸命に考えて情報の選択をすることも大事であり、このプロセスから得られる発見や気づきは検索では得られないような気がする、そんなことが書かれています。これが、冒頭で引用した検索をかけつつ、検索から逃げるという言葉の意味するところです。
羽生さんは情報について、選択肢が多ければ多いほど色々な可能性があるものの、しかしその分、迷いや選択後の後悔も多くなると言っています。ほぼ無限に存在する膨大な情報とどう向き合っていけばいいか、そのための1つが取捨選択です。自分にとって不要なものを捨てる一方で、必要な部分を残しておくことです。
そうは言っても、情報に当たった時点で本当にその情報が現時点で、あるいは将来的に必要なものかを判断するのは簡単ではありません。羽生さんでさえも、捨ててしまった棋譜(互いの対局者が行った手を順番に記入した将棋の記録)があとから必要になり、あらためて見直すことがよくあるそうで、それで良いのだと言っています。「捨ててしまった時点ではまだ自分に見る目がなく、後で必要になり理解が深まって、自分にとって本当に必要な知識となる。拾い上げた情報を基本にして新たに創造をし、情報の発信側に回れる」。個人的にこの本で印象に残っている考え方です。
■故梅棹忠夫の情報整理への考え方
思うに、後から必要になった情報をすぐに取り出せるようにしておくことが重要であり、また自分の課題です。情報整理についてのこの考え方は、書籍「知的生産の技術」(岩波新書)で以下のように書かれていたのを読んだのがきっかけでした。
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ものごとがよく整理されているとうは、みた目にはともかく、必要なものが必要なときにすぐとりだせるようになっている、ということだとおもう。(p.81)
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情報や知識はあくまで手段であり、例えば自分の意思決定や行動などの目的ありきです。目的によって、同じ情報でも重宝することもあれば、その逆に不要な場合もあります。ただ、いずれにしてもいかに必要な情報を入手するか、整理しておくか、必要な時に取り出せるようにしておくか、そして、自分の知識として活用するか。これらへの追及には完成形はないのだと思っています。自分の今のやり方もベストだとは思っておらず、インターネットやクラウドサービス、スマートフォンなどの情報端末の進化はこれからも続き、であるが故にその時々で対処の仕方も変わります。
最後に、前述の「知的生産の技術」で著者である故梅棹忠夫氏が述べていたことをそのまま引用しておきます。ちなみにこの本の初版は40年以上も前の1969年です。
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くりかえしていうが、今日は情報の時代である。社会としても、この情報の洪水にどう対処するかということについて、さまざまな対策がかんがえられつつある。個人としても、どのようなことが必要なのか、時代とともにくりかえし検討してみることが必要であろう。(p.15)
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■羽生善治の情報検索と取捨選択への考え方
羽生さんは検索については非常に有効・有能なツールであると認めた上で、検索に依存してしまうと、自分の可能性を小さくしてしまうのではないかとしています。というのも、情報を取得するとともに不要なものを排除していかないと、ユニークなこと・変わったことを考えたり試したりする機会が減ってしまうことを危惧しているからです。検索と同時に、自分の頭で懸命に考えて情報の選択をすることも大事であり、このプロセスから得られる発見や気づきは検索では得られないような気がする、そんなことが書かれています。これが、冒頭で引用した検索をかけつつ、検索から逃げるという言葉の意味するところです。
羽生さんは情報について、選択肢が多ければ多いほど色々な可能性があるものの、しかしその分、迷いや選択後の後悔も多くなると言っています。ほぼ無限に存在する膨大な情報とどう向き合っていけばいいか、そのための1つが取捨選択です。自分にとって不要なものを捨てる一方で、必要な部分を残しておくことです。
そうは言っても、情報に当たった時点で本当にその情報が現時点で、あるいは将来的に必要なものかを判断するのは簡単ではありません。羽生さんでさえも、捨ててしまった棋譜(互いの対局者が行った手を順番に記入した将棋の記録)があとから必要になり、あらためて見直すことがよくあるそうで、それで良いのだと言っています。「捨ててしまった時点ではまだ自分に見る目がなく、後で必要になり理解が深まって、自分にとって本当に必要な知識となる。拾い上げた情報を基本にして新たに創造をし、情報の発信側に回れる」。個人的にこの本で印象に残っている考え方です。
■故梅棹忠夫の情報整理への考え方
思うに、後から必要になった情報をすぐに取り出せるようにしておくことが重要であり、また自分の課題です。情報整理についてのこの考え方は、書籍「知的生産の技術」(岩波新書)で以下のように書かれていたのを読んだのがきっかけでした。
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ものごとがよく整理されているとうは、みた目にはともかく、必要なものが必要なときにすぐとりだせるようになっている、ということだとおもう。(p.81)
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情報や知識はあくまで手段であり、例えば自分の意思決定や行動などの目的ありきです。目的によって、同じ情報でも重宝することもあれば、その逆に不要な場合もあります。ただ、いずれにしてもいかに必要な情報を入手するか、整理しておくか、必要な時に取り出せるようにしておくか、そして、自分の知識として活用するか。これらへの追及には完成形はないのだと思っています。自分の今のやり方もベストだとは思っておらず、インターネットやクラウドサービス、スマートフォンなどの情報端末の進化はこれからも続き、であるが故にその時々で対処の仕方も変わります。
最後に、前述の「知的生産の技術」で著者である故梅棹忠夫氏が述べていたことをそのまま引用しておきます。ちなみにこの本の初版は40年以上も前の1969年です。
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くりかえしていうが、今日は情報の時代である。社会としても、この情報の洪水にどう対処するかということについて、さまざまな対策がかんがえられつつある。個人としても、どのようなことが必要なのか、時代とともにくりかえし検討してみることが必要であろう。(p.15)
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羽生 善治
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