2016/02/14

2才の娘への躾でこれだけはやっていること




2人の娘がいて、上の子は2才4ヶ月です (2016年2月現在) 。

これまで長女の子育てで、大切にしている躾があります。今回のエントリーでは、自分の育児を振り返るとともに、娘への躾をご紹介します。


1. 自分から 「ありがとう」 が言える子に


日常のちょっとしたことでも何かをやってもらった時に、相手に 「ありがとう」 と言えるよう娘には繰り返し言っています。

これは自分の親の教育方針でもありました。

親しき仲にも礼儀ありで、親子であっても感謝すべきことは感謝の気持ちを持ってほしい。そして、そのことをありがとうと言葉にして、相手に伝えられる子になってほしいという思いです。

些細なことでも 「ありがとう」 を言うことが習慣になってほしいです。

時と場合で言ったり言わなかったりするのではなく、いつも自然と口に出る。常日頃から、まわりへの感謝の気持ちを忘れないような人になってほしい。そう願っての躾の方針です。


2. 自分から挨拶ができる子に


社会生活で、コミュニケーションのきっかけになるのが挨拶です。挨拶を自分から、いつも自然に言えるような人になってほしいです。

娘にとって家族以外の身近な人間関係は、保育園の先生やお友だちです。自分から挨拶ができる子になるために、まずは家族間で、挨拶が自然と出る雰囲気にしたいです。

朝起きた時に家族に 「おはよう」 が言える。保育園に行く時に 「いってきます」 。帰宅した際には 「ただいま」 。近所の人には 「こんにちは」 「さようなら」 と挨拶ができる。

これらを親から言われなくても自分から口にでき、自然と言えるよう習慣になってほしいです。


3. 脱いだ自分の靴をそろえる


3つ目は、玄関で自分の脱いだ靴をそろえることです。帰宅し、靴を脱ぎっぱなしで家に上がるのではなく、一度自分で靴の向きをドア側に直して、そろえるように娘には言っています。

この躾への意図は、自分の身の回りのことで、できるものは自分でやる意識を持ってほしいからです。

靴をそろえることを躾にするきっかけになったのは、哲学者で教育者でもあった 故 森信三 の 「しつけの三原則」 でした。靴をそろえるのは三原則のうちの1つです (しつけの三原則 (森信三師)|人間力.com) 。


4. 怪我につながるような危険なことはやめさせる


自分の娘に限らず、2才くらいの子どもは自分のまわりの様々なことに興味を持ちます。自分で触ったり動かしてみたりと、親である大人にとっては見逃すようなことにも関心を示します。

基本的には娘の興味は尊重したいと思っています。ただし、それが怪我につながるような危険性のあるものはやめさせます。

例えば、車がよく通る道路で走り出そうとすることや、家で高いところのものを取るために椅子のひじかけ部分に乗ること、親が使っているハサミや包丁を自分も使いたいと言うことなどです。

娘にはやってはいけない理由もその場で伝えるようにしています。怪我につながったり、危ないからと言って聞かせます。

娘にとっては、包丁は触ってはいけないのに、同じ台所にある料理に使うヘラや計量スプーンは手にとってもよいことになります。2才の娘には、ケガをするかもしれないという認識がありません。包丁 / ヘラ / 計量スプーンのいずれも 「自分が興味のあるもの」 で同じレベルなのです。

だからこそ、頭ごなしに使ってはダメと言うのではなく、なぜ使ったり遊んではいけないのかを併せて言い聞かせます。


5. 他人が嫌がることはしない


人の顔や頭をたたくなど、家族やお友だちが嫌だと思うようなことはしないよう教えます。

これも娘にとっては、「他の人が嫌かどうか」 という相手視点という意識は明確にはないので、その理由とともにやってはいけないと伝えます。


日々の小事にこそ躾の本質がある


5つのうちの最初の3つ、ありがとうを言う、あいさつをする、靴をそろえることは、親である自分自身も、普段からやっているかどうかが大事です。

子どもにとって最も身近な存在である親が、常日頃からやっていることを見せることが何よりの躾です。

朝、親は家族に 「おはよう」 と挨拶をしない時があるにもかかわらず、子どもにはしつけとして挨拶をしなさいと言い聞かせるとどうでしょうか。子どもにとっては説得力がないように見えます。

一見すると小事に見える日常のことにこそ、毎回毎回できるようにすることです。

ありがとうと言うのは相手への感謝の気持ちを表すことです。あいさつをするのはまわりの人との人間関係を豊かにします。脱いだ靴をそろえるのは、玄関を共有する他人への気配りです。

一方で、やらなかったからといって、特段に誰かに迷惑をかけるというほどのことではありません。

だからこそ、それができるかどうか、毎回ちゃんとできるかどうかが、躾としてのポイントです。そして、子どもをしつけるためには、親である自分ができているかどうかがあらためて問われます。

日々の小事にこそ、躾の本質があります。

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多田 翼 (書いた人)