2015/02/21

昭和恐慌というデフレからの脱却の歴史がおもしろい




書籍 デフレと円高の何が 「悪」 か の第5章は 「歴史は繰り返す ーー 昭和恐慌から学べ」 です。書かれていた内容が興味深かったのでご紹介します。

本書では、昭和恐慌という歴史的なデフレ発生の経緯、デフレ不況からどのように脱却したかがわかりやすく書かれていました。

「昭和恐慌から学べ」 と章の本書のサブタイトルにあるように、経済評論家である上念司氏は、現在にも示唆に富むものであると指摘します (本書の上梓は2010年) 。


デフレとは


デフレとは、モノ (一般物価) の価格が持続的に下落していく経済現象です。日本の内閣府は 「2年以上の継続的物価下落」 をデフレと定義しています。

本書によればデフレが発生するメカニズムは、

  • モノとお金 (マネー) の関係で、相対的にマネーの量が少ない状況ではマネーに希少価値がでる
  • その分、モノの価値は下がる
  • 結果、モノの価格が下落する

お金とモノの関係から、デフレ発生の要因は、① 世の中のお金の量が少なくなる、② 世の中のモノの量が多くなる、が起こるからです。


昭和恐慌とは


昭和恐慌は、Wikipedia には次のように書かれています。

1929年 (昭和4年) 秋にアメリカ合衆国で起き、世界中を巻き込んでいった世界恐慌の影響が日本にもおよび、1930年 (昭和5年) から翌1931年 (昭和6年) にかけて日本経済を危機的な状況に陥れた、戦前の日本における最も深刻な恐慌。

第一次世界大戦による戦時バブルの崩壊によって銀行が抱えた不良債権が金融システムを招き、一時は収束するものの、その後の金本位制を目的とした緊縮的な金融政策によって、日本経済は深刻なデフレ不況に陥った。


金本位制


昭和恐慌でポイントになるのは 「金本位制」 です。

金本位制とは、金 (ゴールド) を通貨価値の基準とする制度です。中央銀行が紙幣を発行する際にその裏付けとなる金 (ゴールド) を保有しなければならない制度です。紙幣発行量の上限は、ゴールド保有量までとなります。

紙幣とゴールドの交換レートは固定され、人々は紙幣を銀行に持っていくと、一定量のゴールドと交換できます。金本位制を取っている世の中全体で、マネー量 = 金 (ゴールド) の量となります。

第一次世界大戦後、各国は一時的にやめていた金本位制を戻す流れになりました。日本でも、当時の井上準之助 (大蔵大臣) が戦争前の金本位制への復帰を主張します。

日本で金本位制に戻すためには、戦時中に増えたマネー量を減らす必要がありました。というのも、戦時中は軍隊への財政支出を増やすためにマネーを大量に発行し、武器や弾薬を調達していたからです。増えたマネー量を、戦前の規模に減らす必要があったのです。


昭和恐慌はなぜ起こったのか


日本の金本位制復帰のために、井上は世の中のお金を徹底的に減らす政策を実行しました。超緊縮財政を取ったのです。

日本は1920年代当時、戦後復興の中にありました。設備や人の生産活動が再開し、モノの量が戦前よりも増えていました。にもかかわらず、第一次大戦前の水準までお金の量を政策として強制的に減らしたのです。

モノに対するお金の量が世の中全体で不足し、お金とモノの量のバランスが崩れます。マネーの希少価値が上がり、モノの価値は下がりました。世の中全体のモノの値段が下がり、急激なデフレが発生しました。

日本が金本位制に復帰したのは1930年1月でした。そのわずか1ヶ月前、1929年ニューヨーク証券取引所で起きた株価暴落し (ブラックマンデー) 、世界的な不況が起こっている最中の金本位制の復帰、デフレ発生だったのです。

昭和恐慌の発生は、井上準之助の金本位制復帰によるマネー量減少 → デフレ → 不況、という流れです。


昭和恐慌からの脱却


ところがその後、政策変更により昭和恐慌は2年で終了します。日本はこの後、奇跡の復活と高度成長を遂げるのです。

歴史的な背景として、1931年の満州事変をめぐり、当時の第二次若槻内閣は閣内不一致が起こり、その年の12月に総辞職します。井上準之助も大蔵大臣を辞することになりました。その次に誕生したのが犬養毅内閣でした。新しい大蔵大臣には高橋是清 (たかはしこれきよ) が就任します。

高橋是清が昭和恐慌脱却のキーパーソンでした。


昭和恐慌を脱却した高橋是清の政策


高橋はどんな政策を実行したのでしょうか。大蔵大臣就任後すぐに、日本の金本位制からの離脱を宣言しました。

結果、日本円は対ドル為替レートで 40% 近く円安になりました。昭和恐慌時の急激な円高で苦しんでいた輸出企業が復活し、株価も上昇します。

高橋は金本位制離脱により通貨発行の上限を撤廃しています。さらに、日銀が日本国債を直接引き受けることによって、つまり、日銀が新たにお金を刷って国債を購入し、マネー量を増やしたのです。

政府と中央銀行である日銀が一致協力し、日銀が直接大量の国債を購入する (世の中にお金を供給する) という金融緩和でした。

昭和恐慌の原因が金本位制復帰のためのマネー量の急減であり、その結果のデフレからの不況だったので、根本のところを元に戻したわけです。


加熱した景気を引き締めるための緊縮財政


その後、日本の景気は良くなりすぎました。急激な円安シフトは各国からも抗議を受け、貿易摩擦も生じました。金本位制離脱から5年後の1936年、加熱気味の景気を引き締めるため、高橋是清は緊縮財政を実施します。

予算はカットされ、それは軍事費にも影響しました。予算を減らされた軍部は、軍備拡張したいと考えていたために不満でした。

同じ年の1936年、2.26 事件が起こります。青年将校らによるクーデーター未遂事件でした。緊縮財政で軍事費削減に取り組んでいた高橋も狙われ、事件の混乱の中、暗殺されてしまったのです。


まとめ


昭和恐慌という昭和デフレ不況の脱却過程を整理しておきます。


1. 昭和恐慌の発生 (井上準之助)

  • 金本位制復帰
  • ゴールドの保有量をお金の上限とするためマネー量を調整 (減らす)
  • デフレ発生


2. 昭和恐慌から脱却 (高橋是清)

  • 金本位制離脱 → マネー量の上限を撤廃
  • 日銀の国債直受 → 実際にお金の量を増やす
  • デフレ脱却


3. 昭和恐慌終了後の財政金融政策 (高橋是清)

  • マネー量が十分に増えてきたので調整
  • 緊縮財政 → 軍事費も削減
  • 軍部に恨まれ暗殺



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多田 翼 (書いた人)