2017/07/03

「不適切なネット広告」 から考える広告の本質


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今回のエントリーでは、不適切なネット広告から、広告の存在意義を考えます。


不適切なネット広告とは


ネット広告で不適切とされるケースには、次の3つの要素があります。3つのうち1つでも該当すれば、広告を見る人にはユーザー体験は悪くなります。

  • 広告そのものが不適切 (広告自体):暴力的、差別的、過剰な性表現を含むなど倫理的に許容されない内容。医薬品の場合は薬事法に違反するもの
  • 広告が出るコンテンツが不適切 (広告が出る場所):
    • 広告自体は適切だが、出てはいけないところに広告がでてしまうケース
    • 例: テロ組織がアップロードした動画に有名企業の広告が出る。「ブランドセーフティ」 の問題はここに含まれる
  • 広告のフォーマットが不適切 (広告の出方):
    • 広告を見る人にとって著しく邪魔だと感じる場合
    • 例: ポップアップして画面全体を専有する、動画広告が音声付きで自動再生される、スマホ画面の下部に常に表示されスクロール時に誤タップを起こす、過剰な点滅で注意を引く (チカチカさせる)

3つのうち、1つ目は広告主の問題、2つ目と3つ目はパブリッシャー (媒体) 側の問題です。

広告とブランドセーフティが論点として取り上げられるようになっていますが、ブランドセーフティとしての論点は、2つ目の 「広告が出るところにあるコンテンツが、ブランドにとって適切かどうか」 です。


広告主が要求する 「透明性」


広告主の視点で言えば、ブランドセーフティの問題が表面化し、あらためて求めているのはパブリッシャーの透明性です。透明性とは実態と効果の2つです。

  • 実態:
    • 自分たちの広告はどのように出たのか
    • 具体的には、どこに・何のコンテンツと一緒に・どういうフォーマットで・誰に対して・いつ・何回出たのか
  • 効果:
    • 広告によって、自分たちの商品 / サービスを知ってもらうことができたか、興味喚起ができたか、使いたい / 買いたいと思ってもらえたかの 「ブランディング効果」
    • 広告がどれだけクリックされコンバージョン (成約) されたかの 「ダイレクトレスポンスとしての効果」
    • 広告が投下予算に対して、どのくらいの販売増に寄与したかの 「売上への効果」

つまり、自分たちが広告費として使ったお金は具体的にどのような価値があったかを、パブリッシャーに開示してほしいと求めているのが広告主です。

広告に多くの予算を使っている企業の中からは、透明性が担保されないパブリッシャーやメディアには広告は出さないという姿勢を貫くところも出るでしょう。


従来のパブリッシャーの取り組み


パブリッシャーの立場で考えると、これまで優先されてきたのは広告在庫の量を増やし、広告を出すに値する質を上げる取り組みでしょう。メディアとしてコンテンツを充実させ、広告が出る場所や枠を増やしてきました。

一方で、メディアとしての透明性 (実態の開示・広告効果の証明) は優先度が低かった、あるいはやりたくても技術的・コスト的に難しかったのが現状でしょう。これまでは、広告主からも強く求められなかった、透明性が十分でなくても広告出稿がされたという背景もあります。

しかし、パブリッシャーにとっては死活問題になるほどにイシューとして顕在化しました。例えば、2017年前半に主にアメリカやイギリスで起こった、大手広告主が YouTube への出稿を次々に取りやめる出来事です。


広告とは何か (広告の本質)


そもそも広告の役割は何でしょうか。広告は、三者それぞれにとって以下のような役割を担っています。

  • 広告主:生活者に自社のこと・商品・サービスを知ってもらう、買ってもらうためのコミュニケーション手段。広告費というお金を払って生活者にメッセージを届ける手段を買っている
  • パブリッシャー:
    • 広告を自分たちのメディア内やコンテンツと一緒に表示することによって、広告主からお金をもらっている。メディア運営やコンテンツ作成の資金を得るマネタイズの手段
    • パブリッシャーはお金を広告主から得ているので、メディア訪問者や利用者からお金を取らなくても運営ができる
  • 生活者 (広告を見る人):
    • 自分が見たいメディアやコンテンツに広告が表示されメディアはマネタイズできているので、生活者は無料でアクセスが可能。広告がなければ、そのメディアやコンテンツを楽しむための対価として、本来はユーザーが使用料を払う必要がある
    • 広告内容が役に立つ

広告とは、三者において持ちつ持たれつの関係で成り立っているものです。

なお、上記3つ目の生活者が無料でアクセスできると書いたことへの補足です。より大きな視点で見れば、生活者は企業が提供する商品やサービスを買い、そのお金の一部が広告費としてパブリッシャーに流れています。このレベルで俯瞰すればお金の流れは、生活者 → 広告主 → パブリッシャーです。間接的には生活者はパブリッシャーにお金を払っていると言えます。


広告は必要。ただし広告が適切であることが前提


不適切な広告がなぜ問題なのかは、広告主・パブリッシャー・生活者の三者での良循環が機能しなくなる危険性があるからです。

  • 広告主:生活者に自分たちのメッセージを届ける手段として機能しなければ、広告にお金を投じる意味がなくなる
  • パブリッシャー:広告費という収益源がなくなれば、自分たちの運営を続けていくことができなくなる
  • 生活者:無料でメディアやコンテンツアクセスができなくなる。自分たちに必要なメディアがなくなる

広告に対する私の考え方は、広告は世の中に必要というものです。先ほどの広告の役割に書いたように、広告があるからこそ、広告主・パブリッシャー・生活者のそれぞれがメリットを享受できます。

ただし、広告が世の中に必要と言えるのは前提があります。広告が適切であることです。冒頭で3つの不適切な広告の要素を上げました。不適切な3つを逆にして、適切な広告にすることです。

  • 広告内容が適切である
  • 適切なコンテンツに広告が出る
  • 広告のフォーマットはユーザー体験を邪魔しない

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多田 翼 (書いた人)