投稿日 2013/07/21

書評「日本の景気は賃金が決める」

「日本の景気は賃金が決める」という本がわかりやすくおもしろかったのでご紹介。

アベノミクス解説本としてだけではなく、経済がより理解できる内容になっています。とても丁寧にデータを積み上げて書かれていて、説得力もありました。何よりデータドリブンなところに好感が持てる本でした。

今回のエントリーでは本書を通じて学んだことを取り上げています。

■物価デフレよりも深刻な「賃金デフレ」

著者はモノやサービスの価格が継続的に下落する物価デフレよりも、深刻なのは「賃金デフレ」であると言います。物価デフレと賃金デフレが1998年以降で同時に起こっており、下落が大きいのは賃金デフレであると。

本書で紹介されていた総務省と厚生労働省のデータを見ると、1997年から2011年までにおいて、
  • 消費者物価指数(コア指数):年平均0.23%下落
  • 賃金指数(現金給与総額):年平均0.92%下落
と、賃金が4倍下がっています。なお、賃金指数とは基本給に残業やボーナスも含んだ全ての給与を合計したもの。1人当たりの賃金(給与)の動向を示す指数です。

物価よりも賃金の下落が大きかったことは重大な意味があります。物価下落を上回るスピードで賃金が下がったということは、両者の差だけ生活が苦しくなったということ。消費が伸びず、不況がますます深刻になり、それが賃金下落につながる。消費が伸びないという悪循環になり、賃金デフレが起こったのでした。

なぜ賃金デフレになったかには日本企業の構造的な問題があると著者は指摘します。

1998年〜2008年までは資源価格が上昇した期間でした。輸入物価は26.9%上昇しこの間の輸入依存度平均は12.1%なので、2つを掛け合わせた3.3%分、国内の物価を押し上げました。ですが、GDPデフレーターでみた国内物価は同期間でマイナス14.5%。輸入物価が上昇したのであれば、その分だけ国内物価が上がってもよさそうなのに、現実は逆だったのです。

こうした状況で起こったことは、多くの特に中小企業において、資源/材料高に伴うコスト増をモノ/サービスの値上げにつなげられず、利益を確保するために賃金を下げたのでした。賃金デフレが深刻化した構造的な問題です。

■構造的な賃金格差:「男・大・正・長」vs「女・小・非・短」

賃金デフレは皆に一様に起こったのではなくバラツキがありました。賃金格差が拡大し、著者はここに問題があると指摘します。

賃金の格差はあるパターンで見た時に顕著に現れます。それが「男・大・正・長」vs「女・小・非・短」。男性で、大企業で働き、正規雇用、長年勤務している人は高い賃金を得ています。反対の、女性で、中小企業で働き、非正規雇用、勤務年数が短い人は賃金が低い。賃金格差には4つの項目があり、①男女、②企業規模の大小(大企業or中小企業)、③正規/非正規の雇用形態、④勤続年数の長短。4つの条件のうち、1つでも多く当てはまるほど格差は大きくなります。

本書のデータで見るとよくわかります。厚生労働省の「平成24年版労働経済白書」によると、男性で正規雇用フルタイム労働者の平均年収を100とすると、
  • 女性・正規雇用・フルタイム:72
  • 男性・非正規雇用・フルタイム:58
  • 女性・非正規雇用・フルタイム:43

ちょっと話が脱線しますが、私の意見としては賃金格差が生じるのは「あり」と考えています。ただし、格差要因が仕事に生み出せる付加価値や能力によっての場合です。今後はますますのグローバル化やITによって、高付加価値の人材とそうではない人材の所得は自ずと差が大きくなると思っています。一方で、本書にあるような、男女・大企業/中小・正規/非正規・勤続年数などの、付加価値とは異なる条件で賃金格差が生じ、大きくなるのは問題と考えます。

■日銀などの中央銀行は、金融引締は得意・金融緩和は苦手

本書からの3つ目の学びは、中央銀行による金融引締と金融緩和について。まず、不況が深刻な場合に日銀などの中央銀行が行なう金融政策は基本的に2つあります。
  • 政策金利を下げる。企業や個人がローンを組む金利に影響を与えることで、企業や個人がお金を借りやすくする
  • マネタリーベース(日銀が直接コントロールできる貨幣量)を増やすペースを高め、民間銀行が企業/個人にお金を貸しやすくする
金融引締はこれとは逆のことを行ない、企業や個人がお金を借りにくくする政策です。

なるほどと思ったのは、中央銀行は金融引締は得意だが、金融緩和は苦手という構造問題があるということ。日銀が金融緩和で、企業や個人がお金を借りやすい状態にしたとしても、実際に借りさせることはできません。あくまで企業や個人がお金が必要という状況が必要です。

本書にあった犬の首輪と手綱の例がイメージしやすいので引用しておきます。
金融政策は、犬の首輪につけた手綱を操るようなものだといわれることがあります。早く走ろうとする犬の手綱を引っ張って、犬にブレーキをかけるのはやりやすい。金融引締がこれに当たります。

他方、犬をもっと遠くに行かせたいと思って、手綱を緩めても、犬自身が遠くに行こうとしなければ、効果はない。金融緩和はこれに近い感じの政策です。

引用:書籍「日本の景気は賃金が決める」

中央銀行が消費者物価上昇率の目標を設定する「インフレターゲット」。黒田日銀は15年までに2%の上昇率を目標に掲げています。インフレターゲット(目標)は、もともとは「高すぎるインフレ率を抑制するための金融引締の手段」であり、今の日銀はその逆のインフレ率を高めるための金融緩和の手段として設定されています。

★  ★  ★

最後にもう1つだけ。相対的貧困率という指標があります。これは、日本の全国民の年収を順に並べ、真ん中の人の年収(中央値)に対して、半分よりも少ない年収の人が「相対的貧困」です。

相対的貧困率を子育て支援の視点で見た時、政府による所得再配分の前後で見ると、なんと、再配分後のほうが相対的貧困率が上がるのです。本書には再配分前の子供の相対的貧困率は12.4%、配分後は13.7%とあります。つまり、日本政府による支援が何もないほうがまだましということ。これは日本の社会保障がいかに高齢層に偏っているかを物語っています。日本政府は子育て世帯の家計を結果的に悪化させているのです。OECD加盟先進30ヶ国の中で日本だけです。




投稿日 2013/07/21

父として子に何を語るか

「今、父は子に何を語るべきか」という本を読みました。タイトル通りに父親として子に何を語るべきかを、著者の人生観や日本社会、家族内での父親の立場/存在感の低下を指摘しながら書かれています。

9月上旬に自分の子ども(第一子)が生まれる予定で、あと1ヶ月半ほど。奥さんも先週から産休に入ったのでいよいよという感じです。そんな状況で本書を読んだので、自分だったら子どもに何を語るかを考えてみるきっかけになりました。

1.「大切なもの」を大切にしてほしい

言葉にすると当たり前に聞こえますが、自分にとって「大切なもの」をちゃんとその通りに大切にしてほしいと思っています。「大切なもの」は本人が大切と思うものなので、まずは自分にとって何が大切かを考えるところから。家族、友だち、自分が置かれた環境、食事、自分が好きなこと。

子どもは特に小さい時は好奇心の塊です。自分がおもしろいと思ったり、知りたい/疑問に思ったこと、親としては子どもの興味/関心を削がないようにしたいし、子どものやりたいことを尊重し、サポートできるような立ち位置でありたいと思っています。

自分が大切と思うことには、そう思う理由があるはず。好きだったり、楽しいと思う気持ちを大事にしてほしいです。自分の心に逆らうことなく、大切なものを大切にしてほしい。そこには感謝の気持ちも添えて。ちょっとしたことでも「ありがとう」と思え、それを言える子になってほしいなと思っています。

2.自分の頭で考え、自分で判断し決めること

小さい時に全て自分で考えて決めることは難しいかもしれませんが、なるべくは最終的には自分で決めてほしいと願っています。考えるため/決めるためのアドバイスだったり、判断材料を伝えることは親としてやるけど、決めるのは本人というスタンスです。

まずは自分の頭で考えること。時間がかかってもいいし、時にはミスジャッジをするかもしれません。それでも、最終的に自分で決めることを続けてほしい。ミスってもそこから学べばいいので。

時には親としての考えと、子どもの考えが異なるケースも出てきます。その時も、頭ごなしに子に伝えるのではなく、お互いになぜそう思うかを話せる関係でありたいです。その上で子どもの考えに理解できるのであれば、たとえ自分とは考え方が違っても尊重し、自分の考え/判断にそってあとは子に任せきることができるのが理想です。子どもにはその子の人生があるので、自分の人生は自分で決めるような子になってほしいなと思います。

3.死について(死生観)

生と死は難しいテーマですが、ここもすぐにではなくても自分なりの考えを持ってほしいと思っています。

私自身の場合で言うと、幼稚園くらいの時に人は死ぬとどうなる、みたいな話を聞きました。親から聞いたかどうかまでは記憶にないのですが、自分にとってショックだったのは、死ぬともう二度と生き返ることはないとわかったことでした。それまでは死んでも生き返るとなぜか思っていて、希望的な解釈が間違いとわかったことと、死ぬと永遠に生き返らずに死んだままということに強いショックを受けました。

初めは永遠という言葉の意味がまだうまく理解できなかったのですが、100年たっても、1000年、1万年たっても、どれだけ時間が過ぎても生き返ることはない、そうイメージできた時、永久に/永遠にという意味が実感できた記憶があります。

死ぬと二度と生き返ることはないとわかった後に思ったのは、親や家族が死んでいなくなってほしくない、友だちも死んでほしくない、そして自分はまだ死にたくない。夜になると死が不安で眠れなかったのをよく覚えています。

そのうち、いつかは自分も含めてみんな死ぬこともなんとなくわかってきました。いつか死ぬことがわかると、自分の時間や人生も有限なんだなということが、今言葉にするとこう言えるのですが、当時の自分もなんとなく実感できました。それ以来、自分の頭の隅っこに死がありました。何かのタイミングでふと考えるというか。時間を大切にするようになったし、人生もいつかは終わると考えられるようになりました。

死生観については、あまり子どもが小さい時にはテーマとしては難しいかもしれません。ちょっとずつ、例えばセミが1週間で死んでしまうことだったりの、身近なところから子どもと一緒に考えてみるといいかもしれません。

★  ★  ★

先日、妊婦検診に付き添って、エコーによる胎内の様子を見せてもらいました。お医者さんに子どもが男の子or女の子を聞いてみたところ、女の子なのではとのこと。個人的には男の子が欲しかったのですが。奥さん曰く、一日中かなり動いているようなので、元気な子が生まれてくることを祈っています。


投稿日 2013/07/20

ネットの本質から考える「ネット選挙活動解禁」に期待したいこと

インターネットの本質は以下の3つだと思っています。
  • 個の情報発信
  • 双方向性
  • 履歴が残る
簡単に言うと、個人やモノなどの個のレベルでネット上に情報発信ができ、情報は個々の間で双方向に流れる。また、アクセスや表示、ウェブページ自体もアーカイブされることで履歴がデータとして残る。

今回の参院選からネット選挙が解禁されました。現時点でのネット選挙解禁について考えてみます。

ちなみに、ネット選挙解禁と言っても、できるようになったのはネットによる選挙活動であり、ネットからの投票はできません。ネット選挙運動解禁で期待される効果の1つに投票率アップがありますが、ネット選挙投票もできるようになると投票率は上がるでしょう。ただ、アメリカでもまだネット投票は実現されておらず、現状では難しい印象です。個人的にはせめて投票券を往復はがきにして、はがき投函で投票できるといいなと思っています。

■個の情報発信

さて、本題。ネットの本質で書いた1つ目の「個の情報発信」。これをネット選挙解禁に当てはめてみます。

ネット選挙解禁により、各政治家が自分のホームページ、ブログ、Facebookやツイッターなどから、選挙公示後も情報発信ができるようになりました(更新できるのは投票日前日まで)。

従来であれば、公示後の立候補者の主な選挙活動は、ポスターの掲載、ビラ配布、街頭演説、選挙カーによる連呼。いつも思っていたのが、これらの活動は多くの有権者にとっては深い情報があまりわからないということ。特に接触する機会が多いボスターや選挙カーからわかるのは、立候補者の名前、所属政党、抽象的な主張くらい(街頭演説はずっと聞いていれば、その政治家は何をしたいのかはわからなくはないですが)。

つまり、政治家を選ぶための情報が選挙活動量やかけたコストの割に足りない。結局、投票する政治家を選んだ理由が雰囲気、みたいな状況になります。ポスターの感じや選挙カーの名前・よろしくお願いします連呼だけの印象から選ばれるという。

「個の情報発信」ということで期待したいのは、政党よりも政治家個人について、この政治家の主張/活動は共感できるので「この人を応援したい」という政党依存からの脱却です。支持政党とは別に応援したい政治家ができやすい環境ができるようになってほしい。そうなると、政治が身近な存在になります。政治家が主張することは社会の問題と解決なので、自分事して考えられるようになることで政治参加意識の高まり、ひいては投票率アップまで。

マスメディアに出る政治家は各党の代表、もしくはそれに近い限られた政治家だけです。ネットも選挙活動に使えることで、これまでは2割の政治家がマスメディアで8割の情報発信をしていたのが(この数字はイメージです)、多くの政治家がネット上で主張できることで、多様な意見/議論が生まれることを期待です。

■双方向性

ネット選挙解禁によりもう1つ期待したいのが、政治家と有権者の双方向のやりとりです。従来であれば、政治家→有権者への一方向でのやりとりが中心でした。有権者の声や意見がなかなか政治家サイドに届かない。政治家とのタウンミーティング(対話集会)も存在しますが、参加できる人、そもそも存在を知ることも難しかったりします。

ネットという政治家とコミュニケーションできる仕組みが増えたので、ここでも政治家を身近に感じるようになったり、政治との距離感が縮まる。結果的にネットでの双方向性から有権者の声が政治により反映されることを期待したいです。

■履歴が残る

オンラインでの活動はオフラインに比べて履歴が残りやすい特徴があります。

ネット選挙の視点で考えると、政治家のネット選挙活動にログが残ることになります。街頭演説であれば、情報としてはフローですが、演説動画をネット上のYouTube等にアップすればストック情報として蓄積されます。

政治家にとっては自分の発言や情報発信の履歴が残るので、それだけへたなことは言えない。対抗候補者の批判も根拠が求められたりなど、こうした積み重ねにより選挙活動の質の向上を期待したい。

もう1つ期待したいのは、選挙活動におけるデータ活用やマーケティング視点の取り入れです。履歴が残るということは、データとして蓄積されます。データを使って、政治家にとっては自分の選挙活動の効果を可視化できたり、分析結果から次の施策を立てる。データを使った選挙活動の仮説検証ができるようになれば、もう少し科学的な選挙活動になってほしいなと。

選挙活動におけるデータ活用は今後の課題になるし、できる政治家と取り組みをしない政治家では、支持だったり影響力の差が出てくるはずです。

■その他の期待

ネット選挙解禁について、①個の情報発信、②双方向性、③履歴が残る、の視点で考えてみました。あらためて思うのは今回からのネット選挙解禁により期待したいのは、
  • 政治家/党が身近な存在になり、より知ることで選びやすくなる
  • 有権者の政治参加の促進
  • 投票率アップ(特に若年層)

3点目の投票率については、今回はもしかすると下がるように思っていますが、これはネット選挙解禁のプラスの効果よりも、自民圧勝の各種報道や、選挙の焦点が曖昧(自民以外の等の存在感が低いように思う)などの構造的な理由で、有権者の特に浮動票層の投票率が減ると予想しています。

ネット選挙による投票率アップの効果は、明確な支持政党/政治家がいない浮動票だったり、支持政党はあるけど投票に行くのが面倒と思っている人たちに対して、投票所に行ってもらう点にあると思っています。

アメリカ大統領選では、オバマの奥さんであるミシェル夫人がツイッターのダイレクトメッセージで「投票に行きましょう」というメッセージが有権者に送られたとのことで、ファーストレディから直接そう言われれば効果も大きいと思いました。オバマに入れてください、ではなく投票に行こうという呼びかけ方もうまい。

ネットでの選挙活動が一般的になると、ネットとマスメディアの役割もこれまでとは違うものになるはず。マスメディアの報道がネットでの政治家の活動の後追いになるのではなく、マスメディアならではの、各種争点の整理だったり分析が報道されれば、ネットvsマスメディアではなく、ネット&マスメディアとお互いが補う構図です。

今回の参院選で日本でもようやくネット選挙解禁がされました(公示後〜投票日前日)。初のネット選挙ということで、ネットでできること、課題も見えてきます。投票が終わり選挙結果が出れば、ネット選挙活動が終わりではありません。政治家にとっては、むしろスタートであり、今後もどれだけ自分の主張や活動をネットも使って、有権者に知ってもらうか。有権者と政治家の双方向のコミュニケーションを続けられるか。ネット選挙解禁をきっかけに日本の政治の質が上がり、長い目で見て日本の社会をより良いものに変えていってほしいです。

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書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

ブログ以外にマーケティングレターを毎週1万字で配信しています。音声配信は Podcast, Spotify, Amazon music, stand.fm からどうぞ。

名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。