2015/05/03

子どもの「芽」を摘まないために親ができること

「危うし!小学校英語」という本の最後のあとがきで、著者のあるエピソードが書かれていました。ノーベル賞を受賞した方との、子育てに関する話のやりとりです。

私自身、1才8ヶ月になる子どもがいるので(2015年5月現在)、考えさせられる指摘でした。

子どもの「芽」を摘まないで

ノーベル賞受賞者の子育てアドバイス

ノーベル賞受賞者の会合の司会をした時のことです。ノーベル物理学者章を受賞した物理学者と雑談する機会がありました。たまたま自分に初めての子どもが生まれたばかりだったので、「子どもをあなたのような科学者に育てるには、どうしたらいいのでしょうか」と問いかけました。

すると、「何もしてはいけません」という、意外な答えが返ってきました。

「すべての子どもは、生まれながらにして科学者です。周囲の大人が、寄ってたかって子どもをイジって、その子にしかない芽を摘んでしまってダメになるのです」。その言葉はいまだに心に残っています。

もし、さきほどのノーベル章学者に、「子どもに英語を教えることをどう思うか」と聞いたら、なんと答えるでしょうか。「よけいなことをするな」と言うような気がします。

幼い子が英語塾に通ったりするのは、もったいないことです。そんな時間があれば、友だちと泥んこ遊びに夢中になったり、空や雲を見上げ、道ばたの草や花に見とれ、小さな虫を見つめ、犬と遊ぶ。そんな些細な、しかし、かけがえのないひとときがどれだけ貴重なことかと思います。

「子どもの『芽』を摘まないで」からの示唆は、子どもが本来持っている好奇心の邪魔を大人がしないことの大切さです。

子どもが持つ自由な好奇心を、ノーベル賞受賞者は「子どもは生まれながらにして科学者」という表現をしています。親や周囲の大人がその好奇心に気づかず、あるいは、大人の都合のよいようにもっていくことで、「芽を摘んでしまっている」。

だから、アドバイスは「何もしてはいけない」。子どもが自由に、自分の好奇心に従って感じ行動し、遊ぶことを推奨しています。



今の自分の子は1才です。子どもの様子を見ていると、大人の自分とは全く違った好奇心を持っていることに気づきます。

例えば、気に入ったことや遊びは、自分の気が済むまで繰り返しています。

同じ階段を何度も登り降りをしたり、少し前の4月前半には道ばたに落ちている桜の花びらを拾っては捨てを繰り返していました。積木を縦に積み上げては倒れる遊びを、ずっとやっていたりします。

ひたすら繰り返す様子を見ていると、自分からすると「そろそろ他の遊びをやったら」と思えてきてしまいます。ついつい「(他の)これで遊ぼうか」と勧めてしまいそうになります。

しかし、これがまさに「子どもの芽を摘んでしまう」ことに他なりません。

同じ動作の遊びを何度も繰り返しているのは、子どもにとっては好奇心が続いている状況です。そこには、親や大人にはうかがい知れない、子どもならではの世界があるのでしょう。

本当に子どもを思うのであれば、親としてできることは何もしないこと。

親がするべきことは、子どもがやることに対して、もしそれが危険であったり、他の子に迷惑がかかるような最低限の範囲でコントロールしてあげることだと思っています。それ以外は子どもが持つ好奇心を最大限に尊重してあげる。

やってはいけないこととしては、親の自分の都合で子どもの好奇心を邪魔すること。

例えば、子どもが家への帰り道でアリの行列などに興味を示し、しばらく動かずに眺めていても、早く家に帰りたい親の都合を押し付けないこと。公園で、服や靴が汚れるからといって、泥んこ遊びや砂場遊びを止めないこと。(後で泥だらけの服を手洗いするのは大変ですが)

「すべての子どもは、生まれながらにして科学者です。周囲の大人が、寄ってたかって子どもをイジって、その子にしかない芽を摘んでしまってダメになるのです」という言葉は、考えさせられるものでした。




Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...