2016/01/11

書評「日本史集中講義 - 点と点が線になる」(井沢元彦)




「日本史集中講義 - 点と点が線になる」という本が、興味深く読めました。以下は紹介内容からです。

結果が原因を生み、それがまた結果を生む。歴史は点と点の繋がりで見なければならない。

教科書では、本当の歴史はわからない。井沢史観のエッセンスを凝縮!聖徳太子から第2次世界大戦まで、1冊で、日本史が一気にわかる。

■ 点と点が線につながる視点で歴史を読む

本書がおもしろいのは、読み進めるうちに副題にある「点と点が線になること」が実感できることです。

時代の前後で点と点が繋がるだけではなく、時代を超えて過去の出来事が現在の日本社会にも影響を与えていることがわかります。つまり、歴史は流れているのです。

これこそが、歴史の醍醐味であり、歴史を学ぶ意義です。

本書の冒頭のまえがきには、歴史を知ることの大切さが書かれています。

歴史は役に立ちます。

なぜなら、それはわれわれの人類の、あるいは日本民族の、先祖や先輩たちの貴重な成功と失敗の経験集であり、まさに人生を生きていくための貴重なデータベースと言えるものだからです。

■ 今なお続く「十七条の憲法」の精神

過去のできごとが今なお影響している1つは、十七条の憲法です。

十七条憲法は、聖徳太子によってつくられたとされます。官僚や貴族に対する道徳的な規範が示されています。

第一条は「和を以って貴しとなし」から始まり、協調性を大事にすることが書かれています。後に続く () 内は現代語訳です。

一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

(一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。)

(十七条の憲法 (じゅうしちじょうのけんぽう) - 現代語訳付きから引用)

本書を読んで知ったのは、第一条はまだこの先に条文が続くことでした。第一条の全文は以下です。

一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。

しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

現代語訳は次の通りです。

一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。

人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。

しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。

第一条の冒頭で「協調性を大事にせよ」と言っている一方、その続きで「協調できるような人格者は少ない。争いごとも起こり得る」と書いているのです。

そこで何が大事かというと、「ものごとを決める際には話し合えをせよ。話し合いによる結論は決して間違うことはない」としているのです。

つまり、十七条憲法の第一条をまとめると、理想 - 現実 - 解決策 の3つで構成されていることがわかります。

  • 協調性が大事
  • しかし、協調していくことは実際問題として難しい
  • だから、ものごとは話し合いで決めよ。その結論は必ず正しい

十七条の憲法で有名なのは「和をもって貴し」です。ただ、これだけしか見ないと、第一条で聖徳太子が伝えたかったことを見落とします。

聖徳太子が十七条憲法で最も言いたかったことは、この第一条の「話し合いでものごとを決めるべきだ」という考え方でしょう。

十七条の憲法は、第二条は仏教を信じなさい、第三条は天皇の命令に従いなさい、と続きます。

第一条の協調性と話し合いを重視せよは、この2つよりも先に書かれているのです。聖徳太子はそれだけ優先度として高い規範と考えたのでしょう。

協調性と、そのために話し合いを重んじるのは、今なお日本人全体を支配している共通原理です。初めて文書で示したのが、十七条憲法なのです。

本書では、日本人は独裁者を敬遠する考え方があると言います。歴史の人物として織田信長も、部下での話し合いの場をあえて設定し、その結論を採用する形を取ったとのことでした。

★  ★  ★

本書は日本史において、その時々の事件が時代を超えてダイナミックにつながっていることが、わかりやすく書かれています。

今回のエントリーでは、聖徳太子の十七条の憲法をご紹介しました。他にも、興味深い「点と点が線になる歴史」が示されます。

武士社会がなぜ興ったのか。その後、なぜ朝廷 (天皇) と幕府 (武士) の2つの権力が共存できたのか (一般的には国の権力は1つに集中し、どちらかが滅ぼされるのが世界史で見られることです)。

織田信長 - 豊臣秀吉 - 徳川家康 の政策はどうつながっているのか。これは武士の興りとも因果関係としてつながります。

また、家康の江戸幕府は、なぜ260年も続いたのか。そして、開国しなぜ幕府による日本の統治権を朝廷に返したのか (大政奉還)。これらも、先ほどの朝廷と幕府の共存関係 (棲み分け) とも関わってきます。

原因が結果になり、その結果が次の原因になっていく。まさに歴史とは因果関係の束なのです。

歴史を流れで読み解いたとき、こんなにもおもしろいものだとあらためて気づくことができた本でした。




follow us in feedly このエントリーをはてなブックマークに追加

Facebook Page

最新エントリー

バックナンバー

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...