2011/01/06

では僕はどう生きるか

考えさせられる本でした。「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎 岩波文庫)。人としてどう生きるか、この重いテーマについて真正面から、それでいて難解でもなく、誠実に書かれている本でした。今回のエントリーでは、「君たちはどう生きるか」を読み考えさせられたことを中心に書いてみます。

■ コペル君とおじさん

この本の主人公は「コペル君」といいます。もちろんこれはあだ名で本名は本田潤一といい、15歳の中学二年生です。もう一人、この本で重要な人物がいます。それが「おじさん」。おじさんとはコペル君のお母さんの弟(つまり叔父)です。本書の構成は、コペル君が友達とのやりとりや学校での出来事から気づいたこと・学んだことについて、おじさんがコペル君へ伝えたいことをノートに書き記すというものです。

おじさんの設定は、コペル君の家の近所に住む大学を卒業してまだ間もない法学士。年齢的には20代前半くらいだと思います。ただ、このおじさんがすごいの一言。というのも、おじさんのノートへの記述内容が秀逸で、ほんとに考えさせられることばかりでした。ノートに書かれたコペル君へのメッセージは本質的です。かと言って難しすぎるわけでもなく、物理、化学、経済、歴史、哲学などの様々な教養からも引用しつつ、コペル君にもわかりやすい表現で綴られています。時には諭すように、ある時はコペル君の行動や考えを誉めたたえ、あるいは叱咤する。コペル君の成長を心から願うおじさんの愛情が、言葉の節々から伝わってきます。

本書の主題は「人として立派に生きること」です。これはおじさんだけではなく、コペル君のお母さん、そして亡くなったお父さん全員のコペル君に対する願いでもあります。だから、この本を読んでいると、読者である私たちにも問うてきます。「君たちはどう生きるか」。本書のいいところは、その「答え」は用意されていないということ。でも、立派に生きるための「示唆」はたくさん用意されていました。その中で最も印象的だったものについて、これから書いてみようと思います。

■ 心から感じたことから出発し、その意味を考えること

中学生であるコペル君のクラスメートに浦川君という少年がいます。彼はクラスメートから、油揚げの匂いがするなどとからかわれるようになります。そしてある時、中学生であるコペル君のクラスにちょっとした事件が起こります。次第にエスカレートしていく浦川君へのいじめをめぐって、コペル君の親友の一人である北見君と、いじめの中心であった生徒とでけんかになります。

コペル君からこの「事件」について聞かされたおじさんは、コペル君に伝えたいことをいつものようにノートに書きます。コペル君が北見君の肩を持ち、浦川君の味方をしたことにうれしく思ったこと。その上で、ノートには、おじさんやお母さん、そしてお父さんのコペル君に人として立派に生きてほしいという願いがあらためて記されています。

おじさんは立派に生きることに対して、学校で教えられたことや世間では立派だと思われていることを言われた通りにそのまま行動しても、それは単に「立派そうに見える人」になるだけだと諭しています。あるいは、自分を立派に見せようとする人は、自分の振舞いが他人にどう映るかを気にするようになり、結局は本当の自分やありのままの姿がどんなものかをつい忘れてしまうと言います。だからこそおじさんはこう願います、本当に「立派な人」になってほしい。

おじさんは、世の中のことや人間が生きる意味については、コペル君に説明することはできないと言います。なぜか。それは、大人になってゆく中で自分で見つけなければならないから。おじさんは言います。自分が感じたことや心が動かされたことから起点に、誤魔化さずに正直に自分の頭でその意味を考えてほしい、その感動や経験の中からその時だけにとどまらない意味があることをわかってほしい、と。

ここで思ったのは、経験の中からその時だけにとどまらない意味を見出す、すなわち事象から普遍的なことを捉えるというのは、自分が得た経験から「本質」をつかむことだということです。それも、人から教えられるのではなく、自らの体験から自分の頭で考えて得るもの。このようにして得られる本質こそが、「人間として立派に生きること」。これがとても大事なのだと、おじさんはコペル君に伝えようとしたのではないか、そんなふうにも思うのです。

■ 僕はどう生きるか

立派に生きるとはどういうことだろうと考えた時に、個人的に思うのは、立派に生きたかどうかは後からついてくるものなのではないかということです。例えば、今から自分は立派な人間になろうと思ってもすぐにそうなれるわけではありません。立派さって、自分の人生を歩む中で少しずつにじみ出てくるようなものだと思います。そう考えると、人生も同様で、自分のとった行動、あるいは自分の姿勢だったりのいろんなことの一日一日の積み重ねから、結果として築きあげられるものではないでしょうか。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、25歳の人にとっては25年という時間における自分の姿勢や考え・行動の蓄積が人生です。

正直に言うと、自分にとって「立派さ」というのが、そもそもどう定義されるのかはまだ明確になっていないとも感じます。もちろん歴史上の人物も含めて世の中には立派と言われる人物はたくさんいます。でもだからと言って、その人と同じことを実践し同様の考え方を持ったとしても、それはあくまで「立派そうに見える人」でしかない。ではどうするかと言うと、自分が感じたことや心が動かされたことから出発し、その意味を自分の頭で考え、その時だけにとどまらない何かをつかんでいくこと、それを1つ1つ積み重ねていくことではないかと思っています。これが、「君たちはどう生きるか」という本から学んだことです。

本書は以前にも読んだことがあったのですが、お正月のゆっくりした時間で読んだことで、また違った気づきが得られたように思います。ちなみにこの本が書かれたのは1937年です。当時の日本は軍国主義が日ごとに増しており、アジア諸国への進行を続けていた、現代とは全く異なる時代の作品ですが、主題は普遍的です。おそらく、この先も何度か読み返すことになるような作品です。

そして読む度に、いつも考えさせられるのだと思います。
「君たちはどう生きるか」。


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多田 翼 (書いた人)