2013/08/10

決断とは最善を尽くすこと:落合博満の采配論から学ぶ意思決定の心構え




中日ドラゴンズの前監督である落合博満氏は自らの著書 采配 で、次のように書いています。

どんな局面でも、采配というものは結果論で語られる事が多い。

(中略)

責任ある立場の人間が下す決断ーーー采配の是非は、それがもたらした結果とともに、歴史が評価してくれるのではないか。ならばその場面に立ち会った者は、この瞬間に最善と思える決断をするしかない。そこがブレてはいけないのだと思う。

「こんな判断をしたら、周りから何と言われるだろう」

そうした邪念を振り払い、今、この一瞬に最善を尽くす。
監督の采配とは、ひと言で言えば、そういうものだと思う。

引用:書籍「采配」

落合監督の采配論は示唆に富みます。ここで言う采配とはチームに対して指示/指図をする行為ですが、「采配」を「何かを決める」と置き換えてみると個人レベルでも考えさせられます。

A か B のどちらかを決める必要があり、甲乙つけがたいケースがあるとします。特に仕事においてはよくある状況です。

答えのない世界なので、どちらかを選ぶ決定的な根拠があるわけでもありません。でもどちらかに決める必要がある状況です。

よくやってしまいがちなのは、「どちらが正解なのか」という問いを立ててしまうことです。

落合監督は采配における判断基準を、次のように言っています。

自分の采配を「正しかったか」それとも「間違っていたか」という物差しで考えたことがない。ただあるのは、あの場面で最善と思える決断をしたということだけである。

引用:書籍「采配」

落合監督の采配論からの教えは、決断に対して正しいか/間違っていたかがわかるのは結果論でしかないということです。何かを決めた結果がわかって初めて過去の決断に対しては正しいか間違いがわかるのです。

決断時点では、決断の結果が出る未来についてはわかりません。よって、決めることへの判断基準は「これは最善と思える決断なのか」なのです。

言い方を変えると、決断に対して自分は納得できている、責任を持てる状態になっているかです。

考え抜いたかどうか、根拠となる論理に自分で納得できているかです。自分の決断が後から振り返った時に間違っているかもしれません。それでも今現時点で「最善の決断」と思えるかどうかです。

仕事に限らず、日々の生活においても何かを決める場面はたくさんあります。直感的に選ぶこともあれば、メリット/デメリットを考慮して選択するケースもあります。

いずれにも共通して言えるのは、決断した時点では正解も不正解もないということです。正しいか間違いなのかは後から過去を振り返った時の結果論でしかありません。

A or B で A を選んだ結果論としての正しいか間違ったかにすぎず、もし B を選んでいた時の結果論はわかりません。厳密に A or B において、本当に A を選んで正解だったのかは誰にもわからないのです。

だからこそ、「今、この一瞬に最善を尽くす」心構えが大切です。




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