今回のエントリーは明治維新についてです。明治維新の歴史的な意味、現在の私たちへの示唆についてです。
明治維新がすごかったと思うのは、当時の最高権力である幕府を倒幕しただけではなく、自分たちの手で新しい社会基盤をつくり上げたことです。
過去にも起こった倒幕
倒幕については、明治維新より前の日本の歴史では起こっていたことでした。例えば鎌倉幕府を倒した建武の中興です。
明治維新では、過去に起こった倒幕をもう一度実現するという明確な 「やるべきこと」 のイメージが維新の志士たちにはできていたのでしょう。
倒幕後に何を実現するか?という難しさ
260年続いた江戸幕府を倒すだけでも、明治維新の歴史的なインパクトは大きいです。
それ以上に注目すべきは、明治維新後に大きな社会的な混乱がなく新しい社会をつくったことです。それまでの権力から、別の全く新しい権力に移行させたのです。
この難しさは、例えば2014年現在でも 「アラブの春」 を見ればわかります。
スクラップ & ビルドにおいて、スクラップ達成までは皆のビジョンが一致しています。しかし、その後のビルド部分では混乱が生まれます。
壊したまま混乱状態が続き、何のためのスクラップなのかが見えなくなっています。
明治維新に話を戻すと、明治より過去の歴史を見た時に、幕府を倒した後にどうすればよいかの参考情報はなかったのではと思います。
当時は西洋の列強諸国が日本に迫ってきており、いかに日本の独立を守るかという海外からの安全保障が喫緊の課題でした。
海外から日本の自国の安全保障という事例は、当時は過去には二度の元寇だけでした。元寇はいかに国を守るかでしたが、明治維新は諸外国から日本を守りつつ、日本が自立する必要がありました。おそらく、元寇の歴史は明治維新にはあまり参考にならなかったはずです。
だからこそ、明治維新のすごさは、冒頭でも述べた 「自分たちの手で新しい社会基盤をつくり上げたこと」 です。
自分たちの手で新しい社会をつくった意味
「自分たちの手で」 という意味は2つあります。
1つ目は、日本人と西洋諸国が組んで倒幕をしなかったことです。
歴史の if で、もし討幕側がフランスと、幕府側がオランダと組んでの争いとなっていれば、どちらが勝とうとも、その後は日本は植民地になっていたでしょう。近隣のアジアである中国やインドでは、西洋諸国が内部分裂に加担し、その国を乗っ取っていました。
2つ目の意味は、江戸幕府後の社会を、富国強兵とそれを支えるための殖産興業という明快なビジョンを自分たちで描いたことです。社会体制を、江戸時代での士農工商のうち、工と商を中心とした社会にするという決意です。
自分たちの目で諸外国から学んだ
そう考えるに至ったプロセスも特筆すべきことです。
具体的には、自分たちが自ら先進諸国に渡り、自分の目で学び、そこから今の日本には何が足りないのか・どういう国にするのかを考えたことです。指導者たちが、日本が支配される可能性もある国に自ら飛び込んだのです。
岩倉具視を団長とする、伊藤博文・大久保利通・木戸孝允ら、明治維新の中心メンバーは2年近くの時間をかけて、米国・英国・フランス・ドイツなど12ヶ国も訪れました。
訪問国の状況と日本では大きな違いがあり、岩倉使節団メンバーの驚きの連続だったはずです。ただ、彼らがすごいと思うのは、圧倒されただけで終わっただけではないことです。これからは工と商の時代で、そのためには欧化政策しかないと覚悟を決めたことです。
世界史における明治維新の意義
世界史という視点で見ると、当時は欧米諸国がアジアやアフリカに進出し、植民地支配が続いていました。しかし、唯一日本がその潮流に逆らい、自らの手で自立したのです。
これが明治維新の意義です。日本史だけではなく、世界の歴史においてもインパクトがあった出来事でした。
明治維新からの示唆
明治維新では、先進国から国が支配されそうになる中、勝ち目のない相手と戦争をするのではなく、自ら相手の懐に入り、学んだことを自国で実行しました。
明治維新からの示唆を考えると、現在の個人にも大いに参考になります。例えば自分の実力がまわりと比べ、かなり差がある状況です。世の中には上には上がいるとつくづく感じますが、そんな時にどうすればよいかです。
それはまわりと意地になって張り合うよりも、自分の実力を正しく認め、自らが相手に飛び込み学ぶことです。力の差にあきらめるのではなく、どうすれば追いつき、どのくらいで追い越せるのかを考えます。そのために明治維新のように徹底的に相手から吸収し、その後で自分の色を出してみるのです。
明治維新は、個人にとっても示唆がある歴史的な出来事でした。