2016/10/20

書評: 少女パレアナ (エレナ・ポーター / 村岡花子 (訳))


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少女パレアナ という小説をご紹介します。



以下は本書の内容紹介からの引用です。

愛する両親を亡くし、孤児になってしまった幼いパレアナ。

気難しく頑なな叔母に引き取られ、冷たくされるが、その明るさと素直さはやがて周囲の人の冷たい心を溶かし、どんなにつらい境遇でも、そこから何か喜びをみつけるというゲームは村中に広がり、人々の心を結びつけていく。

そんなある日、自動車事故に遭ったパレアナのもとにやってきたのは……!

涙なしには読めない、愛と感動に満ちた不朽の名作。

■ 村中を変えたゲーム

パレアナの周囲の人たちは、パレアナに対して冷たく扱います。しかし、次第にパレアナは村中の人たちを変えていきます。彼女の明るい性格と、彼女が幼い頃からやっているどんなことからでも喜ぶことを見つけ出すゲームによってでした。

喜ぶゲームとはどのようなゲームかと言うと、小説では次のようなシーンで描かれています。

パレアナがパレー叔母さんの家にやってきた時、これから使うことになる屋根裏部屋に案内されます。

パレアナーは自分一人の部屋を持てることにうれしくなります。イメージは膨らみ、カーテンと絨毯、壁にある絵にはきれいな額がかかった、かわいらしい部屋が自分のものになると期待を抱きます。

しかし、部屋に案内されるとパレアナの期待は裏切られます。壁には飾りもなく、屋根裏部屋なので、部屋の向こう側は屋根がほとんど床まで下がっていました。パレアナは息苦しさすら感じます。

パレアナはそんな状況でも喜びを見出します。

鏡のない部屋だから (自分が気にしている) ソバカスを見ないで済む、壁に絵がない代わりに窓からは、教会や木々、川が流れている景色が見えることを喜びます。叔母さんがこの部屋をくれたことをうれしいと言ったのです。

これ以外にも、病気で長く閉じこもりがちな夫人を元気づけたり、足を骨折した町の誰とも話さないペンデルトンという男性の性格もパレアナはゲームを使って変えていきます。

■ 「何にでも喜びを見つけるゲーム」 からの2つの示唆

パレアナの 「何にでも喜びを見つけるゲーム」 から考えされられたことは、2つあります。

1つ目は、このゲームで大切なのは、自分にとって不都合なことや悲しいことを一度は受け入れ、それから、喜びを見つけることです。

自分にとって幸せではないことから目をそらすのではなく、不都合なことに正面から向き合うプロセスを経ています。現実から目を背けてプラスの面だけを見るのではなく、マイナスもプラスも知った上で、喜べる要素を見つけることが大事です。

2つ目は、喜びを探す時に、比べる相手が他人ではないという点です。象徴しているパレアナの言葉があります。

どうも、あたしはそういう考えかたが好きではないの。ほかの人たちが病気で自分が病気でないのを喜ぶっていうのはほんとうじゃないわ。

このセリフは、パレアナが住む家のメイドのナンシーが、お医者さんの仕事がうれしいと思う理由を 「自分は健康で、診察する病人のようでないことを喜べる」 と言ったことに対するパレアナの言葉です。病人やけが人の人たちと比べて喜ぶことについて、パレアナは 「ほんとうではない」 と言ったのです。

人は (自分よりも幸せではないように見える) 他人と比較して、自分のほうが幸せであると考えてしまいます。

しかし、自分のほうが他人よりも幸福だと思っても実はそう見えるだけで、その人は自分が認識したよりもずっと幸せかもしれません。比較する人が自分より幸せそうに見えれば、劣等感に変わってしまいます。

比較するのは他人ではなく、自分の中で喜びや幸せを見つけることをパレアナのゲームは教えてくれます。




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