投稿日 2013/07/15

書評「テレビが政治をダメにした」:参院選の前に読んでおきたい1冊

書籍「テレビが政治をダメにした」(Kindle版はこちら)の著者は、「すずかん」こと鈴木寛氏。民主党政権で文部科学副大臣を務めた政治家です。大学で教授などの歴任もあり、政治家の視点だけではなく、様々な学者の引用もあり、説得力のある内容でした。来週は参院選の投票日でもあり、本書の内容は知っておくべきことだと思いました。

驚かされたのは政治家の一部に「テレビ政治家」という存在がいること。本書ではテレビ政治家の実態が具体的に書かれています。内容は国民にはあまり知られていないものだと思います。

■本来の役割よりも番組出演を重視する「テレビ政治家」

テレビ政治家はテレビ出演を選挙活動の一つと考えており、出演番組のテーマや内容に関係なく、討論番組だけではなく「ビートたけしのTVタックル」などのバラエティ番組にも積極的に出演します。

問題だと思うのは、単に出演するだけではなく、所属する党の方針とは違った発言を持論として展開すること。本書では具体的なケースがいくつか紹介されています。
  • 民主党内の会合で消費増税の議論で、議論が積み重なり取りまとめ段階になってようやく現れるのがテレビ政治家。なぜならこの時になってはじめてテレビカメラの取材が入るため。カメラがまわっていることを確認すると突然手を挙げ立ち上がり、司会の制止を振り切り、テレビカメラに向かって演説を展開し始める。撮影が終了すると、会合はまだ続くにもかかわらず、テレビ政治家は会場からいなくなる。今度は会場の外でテレビカメラの前で取材を受けている。テレビ政治家はテレビカメラが入らない党内の政策議論にはほとんど参加しない
  • テレビ政治家は国会ではなくテレビ優先の行動を取る。国会のスケジュールは最終的には前日or当日に決まる。しかしテレビ局からすると出演が「前日か当日にならないとわからない」では困る。テレビ政治家はテレビ局側に配慮し、国会の日程が入った場合でも国会ではなくテレビに出ようとする。テレビ政治家はTV出演をしてアピールすることができるし、テレビ局に恩を売ることができる
  • 「TVタックル」などのバラエティ番組に出るには、政党を代表する必要もなければ、首尾一貫した政治姿勢が必要なわけでもない。テレビ局側の編集に任せて、テレビ政治家はテレビが喜びそうなことを喋っていればいいと考えている。視聴率を取るために、テレビ局に期待されたステレオタイプな役柄を演じる

問題は、本来の政治家の役割よりもテレビ出演を重視するだけではありません。テレビ政治家は、日頃、政党ではその問題についての政策論議に十分に関わっていないために、国会の論点とずれているとのこと。さらには事実誤認もあり、適当に番組の流れに沿って、適当に喋る。結果、視聴者にとっては政党を代表して政策を述べているかのように受け取られてしまう。

なぜテレビ政治家はテレビ出演を重要視するのか。理由は視聴率の高い番組に自分が出ることで選挙結果に有利働くから。「TVタックル」のような視聴率の高いバラエティ番組に積極的に出演をしようとします。

政治家の間では「TVタックルに出れば選挙に強くなる」と言われ、筆者によると05年の郵政選挙で、比例復活の当落の明暗を分けたのはテレビ。中でもTVタックルのようなバラエティ番組に出ているかどうかが大きいという分析結果が得られたそうです。

■視聴率至上主義の弊害:メディアの消費対象となる政治

本書のタイトルは「テレビが政治家をダメにした」です。ここまでは本来の職務ではなくテレビ出演を重視するテレビ政治家の実態でしたが、問題はテレビ局側にもあります。本書からわかったのは問題の深さで言うとこちらのほうが深刻ということです。

メディア側の問題点は視聴率至上主義の弊害です。視聴率を上げるためにはここまでやるのかという内容が書かれています。視聴率が取れるのであれば、それを面白おかしく放送する。政治家の発言も視聴率を取れるように編集するようです。
  • 著者が出演した際のケース。重要なテーマに関して政策レベルでどのように対応しているかといったことを話しているのに、カットされた。著者はそのテーマを多くの視聴者に伝えたるために、スタジオに行って多くの話をしたにもかかわらず。テレビではまったく意見をいっていないように放送されてしまう。その一方で放送されるのは、出演者に割り込まれたシーンなどテレビ的に面白いとされるところばかり
  • さらには、番組側は出演者が話している順番すら変えてしまう。収録の前半のテーマで話していたコメントが後半のテーマの中で使われ、後半のテーマで使われていたコメントが前半のテーマで話しているように使われる。Aというテーマについて「いや、それはおかしいですよね」と収録では発言したところ、実際の放送を見ると、Aの話題ではなく、別のBのテーマについて「いや、それはおかしいですよね」と言ったように使われてしまう

政治家の発言も視聴率を取れるように編集するのです。著者は、このようにして視聴率至上主義のもとで政治番組のバラエティ化が加速したと言います。

マスメディアの論調も視聴率や雑誌/新聞であれば発行部数をとれるかでコロコロ変わります。本書で印象深かったのが、視聴率が取れる限りにおいて、政治家や党が「消費の対象となる」という指摘。

支持率が高い間は政治家や党をもてはやして視聴率を上げようとするが、支持率が低くなる手のひらを返したように批判の対象に。バッシングの対象として叩く。バッシングすることで視聴率が稼げる。視聴率を上げるために消費し尽くしたとなれば、次にまた別の政治家を持ち上げ、人気に陰りが出ると、バッシングをする。

政権交代すらも消費の対象になります。支持率が落ちた政権では、マスメディアからことごとく叩かれるようになる。政権が一年ごとに次々に変わる要因でしょう。

テレビ局の視聴率至上主義を象徴する発言が本書にはありました。3.11の震災後のエピソードで、以下は本書から引用です。
あるテレビ局のプロデューサーからは耳を疑うような視聴率至上主義の返事が返ってきたのでした。

「水素爆発の映像を流せば視聴率(数字)が取れる。繰り返し流していても数字が取れる。数字が取れているんだし、会社のトップもそれを容認している」

(中略) 緊急時には災害対策基本法下で防災機関としての役割を担うはずのテレビメディアは、そんな状況になっても視聴率至上主義のままで、自分たちの役割を果たさなかったのです。

それどころか、救える命も救えないという事態を巻き起こしたのです。燃料や薬が届かないことで病院機能や搬送体制を維持することができず、多くの命が失われているというのも大事な事実です。しかし、そのことはテレビで大々的に報道されることはありませんでした。メディアの非を自らが認めることになりますから。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

■問われる視聴者のメディアリテラシー

テレビ政治家は知名度や得票率を上げるためにテレビ出演を重視する。時には番組に都合の良いことしか言わない。テレビ局側も視聴率を上げるためにはここまでやる。テレビ政治家もテレビ局も得票率と視聴率を上げるというインセンティブがあり、利害が一致します。

ただ、「テレビ政治家やテレビ局が悪い」だけでは状況は変わらないように思います。本書を読んであらためて思ったのは、私たち視聴者側にも問題があるのではということです。視聴率が上がるということはそれだけ多くの国民がその番組を視聴しているということです。(なお、今回のエントリーではビデオリサーチの視聴率調査は正しい前提としています)

TVタックルのようなバラエティ化した政治番組を視聴者が見る→視聴率が上がる→テレビ政治家がバラエティ番組出演を重視する→テレビ局側もさらに視聴率を上げるためにバラエティ化を加速させる。

「テレビが政治家をダメにした」のは元を正すと視聴者側にも責任がある。もし、政治を正しく伝える番組の視聴率が上がり、バラエティ番組に人気がなければ、上記の悪循環は起こらないはず。つまり、私達ひとりひとりのメディアリテラシーの問題もあると思います。

本書で紹介されていたデータです。日本は、先進民主主義国の中ではテレビへの信頼度が高いようです。国際プロジェクト「世界価値観調査2005」によると、非常に信頼する、または、やや信頼すると回答した人々の割合から、あまり信頼しない、まったく信頼しない人々の割合を引いた数字が、80カ国中、日本は、中国、香港、イラクについで4位。具体的には、日本は+37.9%、米国は-35.3%、イギリスは-34.6%、オーストラリアは-64.5%。日本においては、テレビがいかに世の中に影響を与えているのかがよくわかります。

■あるべき政治家/メディアの役割

本書の著者である鈴木寛さんの主張で同意だったのが、政治家の役割についてでした。以下はその部分の引用です。
政治家の役割とは、「複雑な世の中の課題に優先順位を付けること」です。多くの人の利害がからみ、多様で多岐にわたる選択肢がある複雑な課題の中から、この国にとって現在に必要な解決策の優先順位を提示し、進めていくことなのです。

それは白とも黒ともはっきりとしない優先順位になることだって往々にしてあります。多くの人間が関わり、この国を動かしているのですから、そう簡単にはYES、NOではくくれないことばかりなのです。

矛盾や葛藤を抱えながら苦渋の決断さえもする必要がある。それでも、「その優先順位の選択からもたらされる結果については政治責任を負う」ということで政治家の信頼が確保されるのです。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

しかし、現状のテレビが放送するのは編集で切り取られた部分です。背景や論点、政策議論の経緯だったりはカットされ、Yes or Noを一見わかりやすく伝えるだけ。視聴者も分かった気になってしまう。もう1つ賛同なのが、
本来、ジャーナリズムは、そのステレオタイプを是正するためにあるものです。こういう見方がある、ああいう見方がある。一方でこうした政策もある。とステレオタイプで切り捨てられる部分を拾い上げていく。

すると、多様な情報が議論の俎上に乗ることになり、政治家がどのような背景から優先順位を付けているのかというのが見えてくる。こうした様々な情報に基づいて熟議されることによって、民主主義というのは成立するはずなのです。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

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今回のエントリーは長くなったので、最後に問題点を整理しておきます。
  • 政治家本来の役割ではなくTV出演を重視するテレビ政治家が存在する。国会日程よりもテレビ出演を選び、さらには、党内の会合/議論には普段は参加しないため、論点がずれていたり事実誤認の発言をテレビでする
  • メディアは視聴率至上主義から、自分たちの都合の良い発言を政治家に求めたり番組編集を行なう。政治家や党は視聴率を上げるための消費の対象となり、人気に乗じて持ち上げたり、支持に陰りが見えると批判の対象に
  • テレビ政治家とテレビ局/番組の利害の一致、持ちつ持たれつの関係は、視聴者にも責任があるのでは。バラエティ化した政治番組の視聴率が取れるということは、視聴者がそれだけ見ている、楽しんでいるということ。メディアリテラシーがあらためて問われる問題
  • 政治家の本来の役割は、「複雑な世の中の課題に優先順位を付けること」。メディアはここにスポットライトを当てるべきだし、国民もテレビ番組の裏では多様な情報が議論の俎上に乗っており、政治家がどのような背景から優先順位を付けているのかまでを理解する姿勢が大切では

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書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。