
戦略読書日記 - 本質を抉りだす思考のセンス という本に、「スキル」と「センス」は異なる能力であり、区別して考えるべきであると書かれていました。
スキルとセンスは似て非なるもの
例えば、「営業スキルがある人」と聞くのと、「営業センスがある人」とでは、受け取るニュアンスが違います。
スキルは、セオリーであったり、習得の方法もあったりと、人から直接教えてもらえたりもできます。スキルと聞いて思い浮かぶイメージは、どちらかというとわかりやすいです。
一方のセンスはどうか。スキルに比べて、定義自体も難しい概念です。スキルのように身に付けるための方法が決まっているわけでもないのです。
スキルとセンスについては、それぞれの定義がどうだというよりも、自分の身近なものに当てはめてみるとイメージしやすいと思います。
女性であれば、化粧についてメイクのスキルとメイクセンスは、違う印象を受けるのではないでしょうか。他には、ファッションスキルとファッションセンス、お洒落なレストランを探すスキルとレストランを探す(選ぶ)センス、野球のスキルと野球センス、などなど。仕事であれば、プレゼンスキルとプレゼンのセンスとか。
スキルとセンスは、似て非なるもの。
本書ではスキルとセンスについて、こんな例えで説明されています。スキルは学校教育で言うなら「国語・算数・理科・社会」、センスは「どうやったらモテるのか」。各科目には教科書もあるし、先生からも直接習うことができる。一方で、モテるためにどうすればいいかは誰も唯一の答えは持っていない。モテる人にはその人固有の要因があり、千差万別である。センスとはそういうものである、と。
もう1つおもしろい指摘が、本来センスであるものをスキルと勘違いしてしまい、センスの問題なのにスキルを身につけて解決しようとしていないか、でした。デート必勝法みたいな、モテるためのテクニックに走っていないか。
分析センスの事例
スキルとセンスを「分析」について当てはめてみた時に、わかりやすい例がありました。
レオス・キャピタルワークスの藤野英人氏 (ファンドマネージャー) が考えるダメな会社の法則の1つが、「自社のウェブサイトに社長の写真が載っていない会社は要注意」だそうです。
(2017年9月追記:リンク先のページが削除されていたため、こちらも削除しました)
分析をスキルとセンスについて分けた時に、「自社サイトに社長の顔が載っているか否かは、株価に傾向があるのではないか」という視点は、分析のセンスです。
この分析自体は高度な分析モデルや、集計システム構築は必要ないでしょう。必ずしも高い分析スキルが要求されるのではなく、どんな切り口で分析するかという発想 (センス) です。
この分析センスの背景には、藤野氏が長年ファンドマネージャーとして様々な企業を見てきた中での経験があります。そこから生まれた仮説があったからこその分析視点 (センス) です。
言われてみれば確かにそうだというのも、それに気づくまでは盲点だったりします。
私自身の仕事でもよくあることが、例えば Excel でさっとつくったグラフを同僚が見て、何気ない一言から思いがけない発見があり、そこから次々に示唆が得られたという経験があります。これも、分析結果を解釈するセンス、もしくはインサイトを出すセンスです。
センスを磨くには
では、センスは磨けるのでしょうか。
戦略読書日記 - 本質を抉りだす思考のセンス には、センスとは「引き出しの多さ」と書かれていました。
本書で推奨されていた方法は、自分から見てセンスの高い人をよく観察し見破ることでした。
「見破る」というのは本書での独特の表現です。具体的には、その人の考え・判断・意見・行動を捉え、自分だったらどう考えるか、どう振る舞うかを比べてみることです。比較相手と自分を相対化して初めて、自分の中でセンスが鍛えられるという考え方です。
分析センスを例に考えると、まずは自分ならどうするかがあり、それに対してその人が考える分析視点とで比較します。相手と自分の視点は何が同じで、何が違うのかです。異なるのであれば、なぜ違うのかです。こうした地道な積み重ねが、センスを鍛える方法です。