投稿日 2011/03/25

今こそ政治リーダーに求められるものとは

ここ最近の日経新聞の経済教室は、「大震災と日本経済」というテーマで連載が続いています。識者が様々な提言・主張を述べており、毎日記事を楽しみにしているくらい興味深い内容です。

その中でも特におもしろく示唆に富んでいたのが、3月23日の山内昌之東京大学教授の記事でした。記事では、日本で起こった3つの大きな震災を取り上げ、そこから政治リーダーに何が求められるかを提言しています。過去の歴史を振り返ることで得られる知見と、そこから導かれる示唆がとても印象的な記事でした。そこで今回のエントリーでは、備忘録の意味も込めて、3/23の経済教室:「官僚機構、再編し活用せよ」の内容整理を中心に書いています。

■関東大震災と阪神大震災に見るリーダーシップ

記事で取り上げられている3つの大震災は、関東大震災(1923年)、阪神・淡路大震災(1995年)、そして、日本史上最大の災害とも言われる江戸時代に発生した明暦の大火(1657年)。これらの災害を著者が取り上げた意図は、災害後の復興においてその時のリーダーがどういった姿勢・スタンスで臨んだかを見るためです。

関東大震災後の復興には、内務大臣であった後藤新平が強烈なリーダーシップを図ったようです。地震の5日後には「帝都復興の議」を提案しており、賛否両論があったものの東京が焦土と化したこの悲惨な状況を逆に絶好の機会と考えるべきだとの考えのもと、東京の復興を進めたようです(参考:東京が抱える都市問題-長期的プランを目指して-)。

阪神・淡路大震災では、当時の村山首相が官僚などの専門家を信頼し、仕事を任せることで復興に取り組みました。とはいえ、災害発生後の初動は遅かったことで、内閣支持率の急落に繋がりましたが(参考:村山富市|Wikipedia)、ただ、やがて対応の遅れの全貌が明らかになるにつれ、そもそも法制度をはじめとする当時の日本政府の危機管理体制の杜撰さが露呈したようです。

■明暦の大火に見るリーダーシップ

明暦の大火は、近代以降の東京大空襲などの被害を除けば、日本史上最大の災害と言われています。1657年1月18日に発生した大火で、その被害は江戸市街の6割を焼失し、「むさしあぶみ」などによれば死者は10万人を越えたとされています。江戸城も西の丸以外は全焼し、武家方と町方を問わず市中は焦土と化したとのこと。そのうえ、災害後のには急激な気温の低下吹雪によって被災者から凍死者が相次いだというから、悲惨な状況であったはずです。

このような大惨事においてリーダーシップを発揮したのは、4代将軍徳川家綱を補佐した保科正之(会津藩主)でした。経済教室で説明されていた保科正之の対応策は次の大きく2つです。

第一に、将軍を焼失した江戸城から移そうとする意見を退け、焼かれた本丸跡に陣屋を建てて江戸城を動くべきではないと決めたことです。これには、幕府が中央にどっしりと構え政策決定や指揮を一元化する狙いがあり、民衆が混乱している時に最高権力者がみだりに動いては、人心を乱しひいては治安悪化への影響を懸念してのことです。

第二に、被災者への食糧配布です。米や、寒さに震える人々におかゆを提供したようです。また、家を失った人々には救助金を与えました。幕府には財政不安を危惧する意見もあったようですが、保科正之はこんな言葉を残しています。「こうした時こそ官の貯蓄は武士や庶民を安心させるものだ。支出もせずに残しているだけでは貯蓄しないことと同じであり、前代未聞のこの状況では、むしろ出費できる力がある国を大いに喜ぶべきである。」

■政治リーダーに求められるのは「決断と責任」

このような保科正之の振る舞いから学ぶこととして経済教室の著者である山内教授は、最高指揮者は指揮所からみだりに動くべきではなく、たとえ善意の督励であっても現場に出かけるには時機を見計らい慎重でなければならないとしています。また、いかに重要であっても個別の事象にのめりこんで他の重要な課題を忘れてはいけない、すなわち、菅首相に問われるのは、政策的総合力と全体判断力であり、そのためにも必要なのはリーダーとしての決断と責任を取ることである、と。

■最後に

3月11日の地震発生後、喫緊の課題は被災者・避難者の救済でした。その後の福島第一原発・一号機で水素爆発が起こってからは、原発からの放射線漏れ対策も緊急かつ重要な課題になりました。

一方で、これらと並行して考えなければいけないのが復興対策です。それも、単に地震以前の状態に戻す復旧ではなく、関東大震災後に後藤新平が進めた東京の復興に見るような、復興のビジョンを示すことだと思います。被災した東北地方を中心にどういった方向で復興を進めていくのかという絵は、最終的にはリーダーである菅首相が描き、そのビジョンの下で、担当大臣や官僚を組織し、さらには復興機関を整えることではないでしょうか。これこそが、リーダーに求められる「決断と責任」なのではないかなと。

短期的には被災者・避難者救済と原発対策、中長期的には復興対策、これらを同時に見ることが、今回取り上げた経済教室が主張する「政策的総合力と全体判断力」だと思います。リーダーシップと一言で言っても、その性格は色々であり、実際に経済教室で取り上げている後藤新平と保科正之、村山富市とでは大きく異なります。ただ、リスクから逃げないこと、決断をすること、責任は自分が負うことなどは共通する点なのではないでしょうか。ぜひ菅さんには国難を乗り切るためにリーダーシップを発揮してほしいところです。木を見て森を見ずというようなことなく。


※参考資料

後藤新平|Wikipedia
関東大震災を振り返る|どこへ行く、日本-日本経済と企業経営の行方
東京が抱える都市問題-長期的プランを目指して-
村山富市|Wikipedia
保科正之|Wikipedia
明暦の大火|Wikipedia
明暦の大火(丸山火事、振袖火事)
明暦の大火による江戸の大改造|シリーズ 江戸建設 開府400年


投稿日 2011/03/21

今だからこそ考えてみたい少女パレアナの「ゲーム」




昨日は以前に読んだ「少女パレアナ」という本を読んでいました。この本に出てくる「ゲーム」のことを思い出し、もう一度読みたくなったからです。

■ 少女パレアナの「ゲーム」

主人公のパレアナは愛する両親を亡くしてしまった11才の幼い少女です。

彼女は孤児になったことで、叔母に引き取られます。このパレー叔母さんは気難しい人で、パレアナの周囲には同年代の子どもも少なく、叔母以外の周りの大人たちも時としてパレアナのことを冷たく扱います。

しかし、パレアナは明るくその素直な性格で、次第に周囲の大人たちを変えていきます。

大人たちの冷たい心を変えていったのには、もう一つ大きな要因があります。それがパレアナが小さい頃からやり続けているゲームでした。パレアナは「何でも喜ぶゲーム」と表現し、どんなこと・状況からでも喜ぶことを探し出す遊びだと言います。

ゲームのやり方は次のようなものです。

パレアナがパレー叔母さんの家にやってきた時、これから使うことになる屋根裏部屋に案内されます。パレアナーは自分一人の部屋を持てることにうれしくなります。イメージは膨らみ、カーテンと絨毯、そして壁にある絵にはきれいな額がかかった、かわいらしい部屋が自分のものになると期待を抱きます。

しかし、案内された部屋はパレアナのイメージとは程遠いものでした。壁にはなんの飾りもなく、屋根裏部屋なので、部屋の向こう側は屋根がほとんど床まで下がっていました。パレアナは息苦しさすら感じます。

パレアナはそんな状況でも喜びを見出します。

鏡のない部屋だから(自分が気にしている)ソバカスを見ないで済む、壁に絵がない代わりに窓からは、教会や木々・川が流れている景色を喜びます。そして、叔母さんがこの部屋をくれたことをうれしいと言ったのです。

これ以外にも、病気で長く閉じこもりがちな夫人を元気づけたり、足を骨折した町の誰とも話さないペンデルトンという男性の性格も変えていきます。

こうして周囲の人たちから愛される存在となったパレアナですが、ある時、自動車事故に巻き込まれてしまいます。そして、それが原因で腰から下が全く動かない下半身不随になってしまうのです。

どんなことにも喜びを探し出すことが得意なパレアナですが、この状況では何一つとして喜ぶことが思いつかなくなり、ただただ泣くばかりです。

そんなパレアナを心配した多くの人たちがパレアナを元気づけようとお見舞いに来ます。今ではパレアナのゲームは町中に広まっていました。だから今度は、自分たちを前よりも幸福にしてくれたゲームのことをパレアナに思い出してもらおうとしたのです。

ストーリーの最後ではパレアナはこの状況でも喜びを見つけ、うれしい気持ちを綴った手紙を書きます。ネタばれになってしまうので詳細は「少女パレアナ」に譲ります。

■ パレアナのゲームから考えたこと

この何でも喜ぶゲームは、もともとは亡くなったパレアナのお父さんが思いついたものでした。ある時、パレアナはお人形を欲しがったものの、手に入ったのは松葉杖というのが本書の設定でした。

しかし、悲しむパレアナにお父さんはこのように諭します。自分が松葉杖を使わなくていい状況がうれしいことだ、と。

このゲームは見方によればプラス思考にすぎないかもしれません。ただ、今回この物語を読んで感じたのは、単純にプラス思考とは言えないのではないかと思っています。

以下、2つほど、パレアナのゲームから思ったことを書いておきます。

1つ目が、このゲームは自分にとって不都合なことや悲しいことを受け入れた上で、喜びを見出していると感じた点です。例えば、パレアナの次のような言葉が出てきます。

なにかしら喜ぶことを自分のまわりから見つけるようにするのよ。だれでも本気になってさがせばきっと自分のまわりには、喜べることがあるものよ。(p.60)

これは目の前に起こったことをまずは受け入れて、その上で自分のまわりから喜べることを見出しているように思えます。

つまり、自分にとって幸せではないことから目をそらすのではなく、不都合なことに正対することをちゃんとしている。やや私の拡大解釈かもしれませんが、これがパレアナのゲームの大切な点だと思いました。

2つ目が、喜びを探す時の比較対象が他人ではないという点です。

このことを象徴していると思ったパレアナの言葉がこれです。

どうも、あたしはそういう考えかたが好きではないの。ほかの人たちが病気で自分が病気でないのを喜ぶっていうのはほんとうじゃないわ。(p.138)

このセリフは、パレアナの住む家のメイド・ナンシーがお医者さんをうれしい仕事だと思う理由を「自分は健康で、診察する病人のようでないことを喜べる」と言ったことに対するパレアナの言葉です。すなわち、病人・けが人の人たちと比べて喜ぶことに対して、パレアナは「ほんとうではない」と言ったのです。

パレアナのこの考え方は、なかなかに示唆に富むものだと思います。

というのも、私たちはどうしても、(自分よりも幸せではないように見える)他人と比較して、自分のほうが幸せであると考えてしまうのではないでしょうか。

しかし、そもそも、自分のほうその人よりも幸福だと思っても、実はそう見えるだけでその人は自分が認識したよりもずっと幸せかもしれません。また、こうした比較からの幸福感は相対的なものであり、比較対象が自分より幸せそうに見える人になれば、たちまち劣等感に変わってしまいます。

であれば、こうした他人比較から喜び・幸せを見出すことは果たして良いことなのか、それを言っているのがパレアナの上記の言葉なのではないでしょうか。

■ 最後に

少女パレアナ由来の言葉に「ポリアンナ症候群」というものがあります。現実逃避の一種で、楽天主義の負の側面を表す心的疾患のようです。Wikipedia には特徴として、「直面した問題の中に含まれる(微細な)良い部分だけを見て自己満足し、問題の解決にいたらないこと」と書かれています。

確かに、パレアナあるいはこのゲームについて、うがった見方をすれば単なる楽天主義とも言えるかもしれません。ただ、東北関東大震災の影響が依然としてある今、パレアナの姿勢は何か大事なことを考えさせてくれるように思います。


※参考情報

ポリアンナ症候群|Wikipedia


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投稿日 2011/03/12

「津波」と「波」は似て非なるもの

2011年3月11日、東北沿岸でM8.8を記録する東北地方太平洋沖地震が発生しました(追記:その後M9.0に修正されている)。この規模のマグニチュードは国内観測史上最大の大きさであり、その後もM7を超える地震が複数回発生し、地震による家屋倒壊などの被害だけではなく、津波、火災、土砂崩れなど、大きな災害となっています。被災されたみなさまには心よりお見舞い申し上げます。また、不幸にして亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

私は幸いにも同日深夜になんとか帰宅できましたが、あらためて東北地方の被害状況を見ると、信じられないような映像が次々に報道されていました。中でも、気仙沼市街地の広範囲に渡る火災、そして津波の被害が惨劇としか言えないような悲惨な状況でした。今回のエントリーでは、あらためて危険性を感じた後者の津波について、「普通の波」とは違うという視点から整理しておきます。

■衝撃的だった津波の様子

まずは実際の津波の映像。1つ目は、自衛隊が宮城県名取市沿岸部の上空から撮影したものです。複数の津波が押し寄せており、専門家はこの津波の特徴として、「陸に上がった時は速く、強い力で家屋や人を押し流す危険性がある」と指摘しています。

YouTubeより

実際に津波に襲われた港では多数の車が飲み込まれており、そのまま津波とともに流されています(岩手・宮古情報カメラから)。

YouTubeより

そして衝撃だったのは次の映像。津波が河川を遡上しているだけではなく、大量の瓦礫・自動車・家屋などとともに、田畑や道路・家などのあらゆるものを破壊しながら流れています。

YouTubeより

■普通の波と津波は似て非なるもの

津波の「津」には、「船着き場」「船の泊まるところ」「港」などの意味があり、港を襲う波ということで「津波」となったのが語源のようです。(引用:津波|語源由来辞典

しかし、津波は普通の波とは異なるものだと認識しておいたほうがいいと思います。特に、今回のような地震発生後などの遭遇すると生死にかかわるような状況ではなおさら。以下、津波と波の違いについて書いておきます。

津波の特徴は波長の長さにあります。ちなみに波長というのは、波の山から山への長さを指します(図1)。

出所:ISASニュース 2002.2 No.251から引用

普通の波と津波では、次の図のように波長の長さが異なります(図2:下が津波)。これは、津波が海底の地盤の上下により海水全体が押し上げられ、長い波長で発生するためです。

出所:津波の波|岡村土研から引用

この違いは、堤防や家屋へ津波が衝突した時のインパクトにまともに効いてきます。波長が長いことで、津波は普通の波と比べ、長時間にわたり家屋等を押し続けることになります(図3)。

出所:津波の波|岡村土研から引用

なので津波は、波の高さが異常に高くなる急激な潮の満ち引きのようなもので、海水が塊として襲ってくるようなものなのです。津波は普通の波が大きくなったものとは違います。

■津波の破壊力

それでは、津波のインパクトはどれくらいなのでしょうか。一般的に波による圧力はP=ρghで表されます。

P :圧力(N/m2)
ρ :流体の密度(kg/m3)
g :重力加速度(9.8m/s2)
h :波高(m)

津波の威力は、海水の密度(ρ)と津波の高さ(m)によることがわかります。上記の3つ目の動画は海水に瓦礫などの漂流物が大量に含まれており、海水のみの場合よりももっと大きな破壊力を持っています。

津波の高さが高いほど津波の破壊力が大きくなるわけですが、ここで注意しておかなければいけないのが、普通の波の高さの感覚で津波の威力を予想してしまうと、それこそ命とりになりかねない点です。ここは百聞は一見にしかずで、参考になるのは以下の動画です。ここでは室内実験として津波の高さを50㎝に設定していますが、それでも大人が簡単に流されてしまうことがわかります(2分14秒~)。
≪注意≫ 「高さ50㎝の津波なら流されない」部分が表示されていますが、実際は流されます

YouTubeより

高さが50㎝と言えば、大人の男性であれば自分の身長の1/3以下の高さですが、立っていられないくらいの威力を持っています。今回の地震により発生した津波は、高さが10mを超えるものもあったと報道されており、もはやその破壊力は想像を絶します。

最後に、四日市市防災情報のサイトにあった津波の高さと被害程度の関係性を引用しておきます(図4)。図の10mを超える津波の被害と、今回の被害状況は近いように思います。

出所:津波|四日市市防災情報から引用


※参考情報

津波|語源由来辞典
ISASニュース 2002.2 No.251
津波の波|岡村土研
津波|四日市市防災情報


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多田 翼 (運営者)

書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。マーケティングおよびマーケティングリサーチのプロフェッショナル。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

前職の Google ではシニアマネージャーとしてユーザーインサイトや広告効果測定、リサーチ開発に注力し、複数のグローバルのプロジェクトに参画。Google 以前はマーケティングリサーチ会社にて、クライアントのマーケティング支援に取り組むとともに、新規事業の立ち上げや消費者パネルの刷新をリードした。独立後も培った経験と洞察力で、クライアントにソリューションを提供している。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。