2010/07/11

イースター島に見る文明崩壊


イースター島 Anakena にて撮影 (2009年11月)


文明崩壊を招く5つの要因


書籍 文明崩壊 - 滅亡と存続の命運を分けるもの によると、文明の崩壊を招く要因は5つあるとされています。

  • 環境被害
  • 気候変動
  • 近隣の敵対集団
  • 友好的な取引相手 (近隣諸国からの支援減少など)
  • 環境問題への社会の対応

本書の主題は、文明繁栄による環境負荷がやがては崩壊につながることです。



多数の事例の1つに、イースター島を扱っています。イースター島は上記の5つの要因のうち、 「環境被害」 と 「環境問題への社会の対応」 が当てはまる事例で取り上げられています。

今回のエントリーは、イースター島での文明崩壊について書いています。なお、記事内の画像は昨年2009年にイースター島に訪れた時の現地の写真です。


イースター島とモアイ像


イースター島での文明崩壊に触れる前に、簡単にイースター島について説明します。

  • 日本ではイースター島の名称が一般的ですが、現地語では 「ラパ・ヌイ」 と呼ばれる
  • チリ領に属し公用語はスペイン語
  • 島の面積はおよそ 160km² 、人口は4000人ほど

イースター島と言えば、最も有名なものはモアイ像です。実際に去年現地を訪れた印象もまさにその通りでした。

島の至る所に大小様々なモアイ像がありました。高さは 3~5m 程度で、モアイ像の前に立つと圧倒されました。最大もので高さが 20m あるそうです。

ちなみにこの 20m モアイは、ラノ・ララクというモアイ像の製造場所だったところに現在もあります。当時の製造途中のまま残っており、横になった状態で保存されています。







イースター島にて撮影 (2009年11月)


2010年現在、イースター島の主な産業は観光産業です。具体的にはホテル経営、民芸品の製造や販売、モアイに関するツアーガイドなどです。現地には数日間滞在しただけですが、短い時間で見た限りでは、島の暮らしもそれほど悪いという印象はありませんでした。

しかし、過去にはイースター島にあるモアイが内乱により全て倒され、大量の島民の集団死という状況に陥ったこともあったのです。


イースター島の文明崩壊の経緯


前述の書籍 文明崩壊 で、イースター島について記述は興味深いものでした。この本を読んだことが、イースター島に行ったきっかけの1つでもありました。

この本では、イースター島の文明崩壊のプロセスは次のように説明されています。

  • 森林破壊
  • 資源原料・野生食糧の欠乏、および作物生産量の減少
  • 飢餓や氏族同士の内乱による人口激減

以下、それぞれについて詳しく見ていきます。


1. 森林破壊


イースター島のかつての姿は、亜熱帯性雨林の島だったようです。しかし、人間の定住後に森林破壊が始まりました。15世紀初頭から17世紀には、森林が丸ごと姿を消し、全種の樹木が絶滅したとも言われています。

絶滅した植物の多くは、島民にとって貴重な資源でした。住居への建築材料、薪やカヌーへの利用、そして一説にはモアイの製造や運搬にも大量の材木が必要であったとされています。

ではなぜ森林が消滅するほど破壊されてしまったのでしょうか。無計画な開発を続けた結果には違いないのですが、本書では、次のように指摘しています (p.188-189) 。

  • イースター島は太平洋において、最も脆弱な環境であり、最も高い森林破壊のリスクを抱えていた (特異な地理的要因)
  • イースター島は、孤島という条件のせいで避難という形の移住が不可能だった
  • 島民の関心が石造の建設に集中していたことや氏族及び首長同士の競争によって、より大型の石造が建造されるようになった。より多くの木材、縄、食糧が必要とされた


2. 資源原料・野生食糧の欠乏および作物生産量の減少


森林破壊により、様々な影響が起こります。

第一に、資源原料の欠乏です。樹木から得られる木・縄・樹皮 (布を作るため) 、鳥類から得られる羽などです。大型の木材や縄の不足により、モアイ像の運搬と設置だけではなく、航海用のカヌーの製造も終焉を迎えることになります。

第二には、野生食糧の欠乏および作物生産量の減少です。食糧となった魚類の数は減少していき、ヤシの実など野生の果実も島民の口に入らなくなったようです。野生の食糧源のうち、従来通りに手に入るのはネズミだけになります。また、森林破壊による土壌侵食により、作物の生産高が減少の一途をたどりました。


3. 飢餓や氏族同士の内乱による人口激減


飢餓や頻発する内乱によって、ついにはイースター島の文明が崩壊するに至ります。

もともと、氏族同士の争いは、お互いがより大きなモアイ像を建てることを意味していました。しかし、争いの中身が前述のような背景から、敵方のモアイ像を引きずり落とし、破壊することへ変わってしまったのです。

イースター島に訪れたヨーロッパ人が書き記したところによれば、立っているモアイ像の最後の記録は1838年であり、口承によれば最後にモアイ像が倒されたのは1840年ごろと言われています。

人口激減の状況は、本書には次のように書かれています。島民のほぼ全員が住む沿岸地域の住居数が、最盛期 (1400~1600年) から1700年までに 70% も減少してしまったようです (p.173) 。


現代文明への警鐘


以上のイースター島の歴史は、太平洋上のある小さな孤島での森林破壊に端を発した、文明崩壊の極端な事例であると見なすこともできます。

しかし、書籍では、著者のジャレド・ダイヤモンド氏は 「イースター島と総体として見た現代の地球との間には、共通点がある」 と指摘しています。地球を孤立した1つの星と見た場合には、イースター島の人々と同じように現代の世界では、グローバル化に伴う国際商取引、インターネットやジェット機などの移動手段の発展などにより、資源や意識を共有しているという共通点です。

イースター島民は、孤島であるが故に窮地に陥った時に逃げる場所や助ける相手がいませんでした。我々人間も地球人として考えると、他に頼る先がないのです。

もちろん、相違点もあります。

今後も発展するである科学技術は活用によっては地球を救う可能性もあるでしょう。イースター島の歴史を反面教師としてほしい、イースター島のモアイ像は雄大にそびえ立ちながらも、そのようなメッセージを投げかけているように感じました。



イースター島 Rano Raraku にて撮影 (2009年11月)


イースター島 Ahu Tongariki にて撮影 (2009年11月)


イースター島にて撮影 (2009年11月)







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多田 翼 (書いた人)


外資系 IT 会社にてマーケティングリサーチ マネージャー (LinkedIn) 。

1981年 (昭和56年) 生まれ。名古屋出身。学生時代は京都。家族4人で東京23区内に在住、2人の子どもの父親。気分転換は毎朝 8km のランニングとピアノ。

書いている内容は、所属組織や会社の正式見解ではなく個人の見解です。