
ドラッカーは、著書である マネジメント - 基本と原則 において、企業の目的を 「顧客を創造することである」 と定義しています。企業の基本的な機能は、マーケティングとイノベーションの2つと言います。
1. マーケティング
ドラッカーは、マーケティングは顧客の欲求を考えることから始めよと説きます。顧客は何を買いたいのか、顧客が求めている価値は何かです。
2. イノベーション
ドラッカーはイノベーションとは 「いまだかつで誰も行ったことがないことを行なうこと。誰も知らないことをすること」 だと言います。
科学や技術そのものでではなく価値であり、組織の中だけではなく、組織の外にもたらす変化です。イノベーションの尺度は外の世界にいかに影響を与えられるかであると言っています。
世界初のインスタントラーメン商品 「チキンラーメン」
これはイノベーションだと思うのは、チキンラーメンです。
今でこそ家庭で調理するインスタントラーメンは当たり前のようにどの家庭にもあります。しかし、チキンラーメンが世に出た1958年の当時は、ラーメンが今ほど気軽に食べられる状況ではありませんでした。
世界で初めてインスタントラーメンの商品化に成功したのが、チキンラーメンであると言われています。
インスタントラーメンの父・安藤百福
チキンラーメンを発明したのが、日清食品創業者の故・安藤百福です。安藤はインスタントラーメンの父とも呼ばれます。
安藤百福は今でいう典型的なベンチャー起業家でした。
チキンラーメンを発売した1958年、当時の安藤は48歳でした。それまでの半生において安藤は様々な事業を展開します。繊維会社の設立に始まり、光学機器や精密機械の製造事業、軍用部品工場、製塩事業などなどです。
安藤百福の自伝 魔法のラーメン発明物語 - 私の履歴書 を読むとその波乱万丈な人生に驚きます。
敗戦直後に見たラーメンのニーズ
安藤百福は、太平洋戦争の終戦直後に焼け野原での闇市である光景を目にします。
屋台のラーメンに人々がつくる行列でした。1杯のラーメンを食べるために 20-30m ほどの長い行列ができていました。並んでいる人は粗末な衣服を着、寒さに震えながらラーメンを口にできるのを待っていたと安藤は述べています。
安藤はここにラーメンへの人々の大きなニーズを見たのです。
インスタントラーメンの開発へ
その後、インスタントラーメンの開発に着手した当時の安藤は、理事長をやっていた信用組合倒産により、自身は無一文になっていた状況でした。自分の資産は自宅だけになりました。安藤百福がすごいのは、その状況でこれまで全く手がけたことがないラーメン開発に着手したことです。
安藤はインスタントラーメンを開発するにあたり、5つの目標を立てます。
- おいしくて飽きがこない味にする
- 家庭の台所に常備されるような保存性の高いものにする
- 調理に手間がかからない簡便な食品にする
- 値段が安いこと
- 人に口に入るものだから安全で衛生的でなければならない
興味深いのは、どの目標も現代でも十分に通じることです。現在でも5つ全てを満たしている食品は少ないのではないでしょうか。
チキンラーメンの強み
数々の試行錯誤を乗り越え、チキンラーメンは世に売り出されました。
85g入りで1袋35円でした。その当時、うどん玉1個で6円、普通の乾麺1個が25円の時代です。比べるとチキンラーメンは高い印象です。
しかし、チキンラーメンには他にはない価値を持っていました。「お湯をかけて2分でできるラーメン」 (当時は3分ではなかった) のキャッチフレーズにある利便性です。
もう1つの価値は、チキンラーメンの栄養成分でした。チキンラーメンの鶏がらスープには、トサカや骨から様々な栄養成分が入っていました。発売当時の厚生省は 「妊産婦の健康食品」 とチキンラーメンを推奨します。
発売当時のチキンラーメンのパッケージには 「体力をつくる 最高の栄養と美味を誇る完全食」 と書かれていたようです。利便性と栄養食品としての品質、これがチキンラーメンの強みだったのです。
発売後、チキンラーメンは 「魔法のラーメン」 と人々から呼ばれるようになりました。
カップラーメンというイノベーション
その後、安藤はカップラーメンという新しい市場をつくります。これもチキンラーメン同様にイノベーションです。
安藤が発明したカップヌードル以前は、インスタントラーメンはどんぶりに自分で麺を入れ、お湯をかけるという調理方法でした。カップラーメンは、麺が始めからカップに入れてありお湯を注ぐだけです。より簡単にラーメンを作ることができます。
常識を捨てたからこそ生まれた
カップヌードルのヒントは、安藤がアメリカにチキンラーメンを売り込みに行った時に見た光景でした。アメリカ人はチキンラーメンをいくつかに割り、カップに入れてお湯を注ぎフォークで食べていました。
安藤のそれまでの 「インスタントラーメンはどんぶりに入れて箸で食べる」 という常識を捨てたことが、後のカップヌードルにつながったのです。
チキンラーメン同様、カップヌードルも発売開始当時、それまでになかった商品だったため、流通には受け入れられませんでした。
安藤はその状況でどうすればいいかを考え、カップヌードル用のお湯が出る自動販売機をつくったり、百貨店、遊園地、キオスク、官公庁、警察/消防署、自衛隊、麻雀店、パチンコ店、旅館など、あらゆるルートに営業をかけます。
そこにあったのは安藤の 「いい商品は必ず世の中が気づく。それまでの辛抱だ」 という信念でした。
カップヌードルでは発売したその年 (1971年) に、銀座の歩行者天国での試食販売も実施したようです。

銀座の歩行者天国でカップヌードルを食べる若者 (1971年11月)
そこにあったのは、長髪・ジーンズ・ミニスカートの若者がカップヌードルに集まり、立ったまま食べる姿でした。安藤はそれを見たときに、カップヌードル発売前の発表会で 「立ったまま食べるのは良風美俗に反するから売れない」 と言われたことを思い出したと言います。
イノベーションとは未来の 「当たり前」 をつくること
安藤百福のラーメン開発は、イノベーションという視点で興味深いです。
単に 「儲かりそうだ」 といった気持ちではなく、「今の社会になくてもあれば社会をよりよくする」 という課題意識からの開発着手でした。社会の問題解決を自分の使命とし、市場をつくり、ビジネスチャンスをものにしたのです。
イノベーションとは、「未来の当たり前をつくること」 です。
逆に言えば、今はまだ当たり前になっていないこと・存在すらしていないものを世の中につくりだし、未来にはあることが当たり前にすることです。世の中で当たり前のように受け入れられることは、それだけ人々のニーズがあったということです。
世界が安藤百福に送った賛辞
安藤百福は、チキンラーメンだけではなくその後のカップヌードルや様々な派生商品を、日本だけではなく世界に展開しました。安藤はラーメンを世界の食べ物にしました。
晩年は宇宙食としてのインスタントラーメン開発にも取り組み、2005年に宇宙食ラーメンの 「スペース・ラム」 が、宇宙飛行士の野口聡一氏も搭乗したスペースシャトル (ディスカバリー) に持ち込まれました。
安藤の死後、ニューヨークタイムズは社説で 「Mr. Noodle」 というタイトルで安藤の功績に対して最大級の賛辞を送りました。
Ramen noodles have earned Mr. Ando an eternal place in the pantheon of human progress.
(ラーメンにより安藤は人類の進歩の殿堂の不朽の地位を得た)
参考:Mr. Noodle|New York Times
最後に
私自身の今の仕事は、新規ビジネスの開発プロジェクトです。マーケティングとイノベーション、すなわち 「自分がつくろうとしている価値は何なのか」 「その価値は顧客の問題を解決するのか」 を日々考える状況です。
チキンラーメンという、どこのスーパーにも当たり前のように売っている商品から色々と考えさせられました。久しぶりにチキンラーメンを食べたくなってきました。
※ 参考情報
日清食品クロニクル|日清食品
Made by 日清食品|日清食品
チキンラーメン ニッポン・ロングセラー考|COMZINE
インスタントラーメン大研究 半世紀に渡る進化の歴史と次の商品|日経トレンディネット
その時、偉人たちはどう動いたのか? 日清食品創業者 安藤百福 - 起業事例|DREAM GATE
Mr. Noodle|New York Times
安藤百福|Wikipedia