投稿日 2025/07/08

コクヨのインクルーシブデザイン。顧客を狭めるではなく、ターゲットを広げる戦略

#マーケティング #顧客設定 #注力顧客を広げる

マーケティングではターゲット顧客は絞るという定石がありますが、本当にそうなのでしょうか?

一般的には企業はターゲティングによって顧客を狭く設定しますが、あえてお客さんの裾野を広げ、ビジネスを成長させようと意欲的に挑戦している会社もあります。そんなひとつが文具メーカーのコクヨです。

コクヨが取り組む 「インクルーシブデザイン」 は、従来は見過ごされがちだった左利きの人や高齢者、障害のある方々のニーズに目を向けました。誰もが使いやすい製品が生まれただけでなく、ブランド価値の向上や売上増など、ビジネスでの成果を上げています。

コクヨはどんな狙いや戦略でインクルーシブデザインを推進しているのでしょうか?

コクヨの 「インクルーシブデザイン」 への挑戦



コクヨが全社を挙げて 「インクルーシブデザイン」 に取り組んでいます。

インクルーシブデザインとは、多様な人々が直面する課題を、製品・サービスに反映して問題を解決し、誰でも使いやすい形をつくり上げるアプローチです。

たとえば、年齢、性別、障害の有無、利き手の違いなど、特に従来は少数派だと見なされてきた人々の視点を取り入れ、新しいアイデアやデザインに活かします。

HOWS DESIGN

コクヨはインクルーシブデザインを 「HOWS DESIGN (ハウズデザイン) 」 という独自のプロセスとして社内外に広めてきました。

2024年には、成果として28点もの新製品に HOWS DESIGN を導入したと発表しました (リリースはこちら) 。インクルーシブデザインを実践する企業は他にも国内外に存在しますが、1年間でこれほど多彩な商品に導入している企業は多くないでしょう。

コクヨの HOWS DESIGN の根本には、社会には使いにくさや不便を感じている人が必ずいるという前提があります。ところが、今までは、最大公約数となる多数派ユーザーに焦点が当たる一方で、少数派の潜在ニーズが見過ごされてきました。

コクヨはこうした状況を自分たちが解決すべき問題だと捉え、製品開発の初期からインクルーシブデザインの発想を取り入れ、ユーザー参加型ワークショップなどを行いながら改善策を試作・検証するという方法を採用しています。

では、インクルーシブデザインが取り入れられたコクヨの製品事例をいくつか見ていきましょう。

[事例 1] ハサミ 「サクサ」 のリニューアル


出典: コクヨ

コクヨがリニューアルした 「ハサミ サクサ」 は、左利きのユーザーや上肢に障害のある人からの声に注目したことが出発点でした。

一般的にハサミは右利き用が標準設計で、左利きの人が左手で使うと紙を切り損ねたり、手首を不自然にねじったりする姿勢になってしまいます。腕全体の上肢に障害がある方も同様で、ハンドルに十分な力が伝わりにくいという問題がありました。

そこでコクヨは、サクサのリニューアルの初期段階から左利きや障害のある人を招き、ワークショップを開催しました。試作段階のハサミを使ってもらいながら、切り損ねが多い場面や、握り方のクセなどを細かくヒアリングを重ねました。

コクヨは検証を重ねた結果、刃と刃のあいだにできる隙間こそが切り損ねの原因になっているという事実を発見。そこで生まれたのが 「傾斜インサート」 という新しい構造です。

ハンドルに対して刃をわずかに傾けて取り付け、ハサミを閉じたときの刃同士の当たり具合を最適化する設計になっています。利き手や握力に差があっても紙がしっかり切れ、右利きの人はもちろん、左利きや力の弱い人でもほぼ同じように使えるハサミになりました。

[事例 2] 蛍光マーカーなどでパッケージの開けやすさの改良



もうひとつの事例は、コクヨの通販事業であるカウネットが扱う文具セットのパッケージ改良です。

蛍光マーカーや赤シートなどを同梱した箱が、開けづらい、フタが硬くて指が滑るといった声を一部ユーザーからコクヨは受け取っていました。クレームとまでにはなっていないちょっとした不満だったかもしれませんが、コクヨは使いやすさを損なう要因であると捉え、HOWS DESIGN の方針で解決することになりました。

従来の箱は、フタの切り込みが小さく、握力が弱い人や片手で開けるときには開けにくい形でした。コクヨはパッケージの開封部分により大きめの切り込みをつけたり、フタを持ち上げるときに指がかかりやすい形状にしたりする改良を行いました。

変更により、力を入れなくても開けやすく、スムーズに取り出せるといった声が増え、パッケージに対するストレスが減りました。とりわけ高齢者や、けが・病気などで一時的に片手しか使えない人にとって助かる改善にもなっています。もちろん、そうした制約のない利用者にとっても、開けやすくなりました。

学べること


それでは、コクヨのインクルーシブデザインの事例から、私たちがマーケティングの視点でどのような学びを得ることができるのか、掘り下げていきましょう。

今回の事例は、従来のターゲット設定の枠を超えて、今まで見過ごされがちだったユーザー層に着目することで、新たなビジネスチャンスを生み出す可能性を示しています。

ターゲット顧客を広げる

マーケティングでは、ターゲット顧客を絞ることが効率のよい戦略だと言われます。

ただし、お客さんを絞ることは絶対的に正しいアプローチとは限りません。狭めたほうがいい場合もあれば、逆に広げることにより可能性が生まれることもあります。

今回のコクヨの事例は後者です。

コクヨは 「これまで見過ごしてきた人たちに光を当てる」 というインクルーシブデザインの発想からビジネス機会をつくりだしました。少数派の左利きの人や、高齢者、障害を抱える方など、今まではともすると見落としていた人たちを新たに注力顧客に加えることによって、顧客対象自体を広げているのです。

従来の 「絞る」 という考え方だけでなく、状況によってはターゲットを 「広げる」 という発想がビジネスチャンスにつながる可能性があることを示す好例です。

見逃されていたニーズの発見

例えばコクヨが手がけたハサミ 「サクサ」 のリニューアルは、ユーザーの隠れたニーズを掘り起こしました。

これまでは左利きの方や上肢に障害を持つ人は、日常的にハサミを使用する際にささいな不便さを感じることが多いものの、その声は十分に拾われずにいました。コクヨはユーザー参加型のワークショップから、実際の使用状況や不便さに関する具体的なフィードバックを集め、見逃されていたニーズを光を当てたのです。

開発された 「傾斜インサート」 という新しい設計は、ハサミの刃と刃の隙間を最適化し、左右の利き手や握力の違いにかかわらず、誰もが使いやすい製品へと進化しました。従来のターゲット設定だけでは気づかなかった隠れたニーズに応えることで、製品の使い勝手や顧客価値が向上することを学べます。

ビジネスでは、お客さんの多様な背景や状況を深く理解することが、市場拡大につながる重要な要素となるのです。

ブランド認知度や好感度の向上

注力顧客を広げ、製品が 「誰にでも使いやすい」 や 「細部にまで配慮されている」 という評価を受けると、その評判は SNS や口コミを通じて自然と広がります。製品を実際に手に取ったときのリアルな体験から、ポジティブな評価が企業全体のブランドイメージを向上させる原動力となります。

コクヨの取り組みは、機能面の改良にとどまらず、誰にでも優しい製品づくりというインクルーシブデザインによる企業姿勢を打ち出しています。消費者は製品そのものだけにとどまらず、企業として配慮や姿勢にも信頼感や好感を抱くようになるでしょう。ブランド認知度や企業イメージの向上に寄与します。

トライアルの増加とリピート率の向上

ターゲット顧客を広げるアプローチは、一度製品を試してもらう機会からのトライアルの増加にも影響します。

従来の枠にとらわれない新たなユーザー層が製品に触れることによって、使いやすさや独自の工夫を実感し、初回の利用から継続的なリピート購入へとつながる好循環も期待できます。

今回のコクヨの例で言えば、改良されたハサミやパッケージの使い勝手の良さは、一度使ったユーザーから 「また使いたい」 という感想を引き出し、さらに家族や友人への口コミとして広がることで、自然発生的な伝達効果をもたらします。

こうしたプロセスは、製品カテゴリー全体の浸透率を高めるでしょう。多様な人たちに知ってもらい、実際に使ってもらい、満足した結果として繰り返し購入するという好循環は、顧客基盤の拡大とブランドロイヤルティの向上を同時に実現します。

ビジネスでは 「ターゲット顧客は絞るものである」 ということを暗黙の前提にせず、状況に応じてむしろ顧客層を広げる発想になることによって、従来の狭いターゲット設定では捉えきれなかった潜在市場に光を当てられます

企業は新たな市場機会をつかめ、持続可能な成長を遂げることができるのです。

まとめ


今回は、コクヨのインクルーシブデザインの事例を取り上げ、学べることを見てきました。

最後にポイントをまとめておきます。

  • 一般的なマーケティングではターゲット顧客を絞る戦略が重視される。しかし、状況によってはターゲット顧客を広げることで、これまで取りこぼしていた顧客層を獲得でき、新たなビジネス機会を創出できる

  • 広げることにより、従来のターゲット顧客への事業展開では気づかなかった顧客の課題を発見し、問題を解決できれば、自社の消費者やお客さんへの貢献度が高まる

  • 新たな顧客層の取り込みにより、トライアル顧客 (試しに使う消費者や企業) が増え、使い勝手の良さなどの顧客価値が実感されることでリピート購入や口コミが広がり、ブランドロイヤルティの向上につながる


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多田 翼 (運営者)

書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。マーケティングおよびマーケティングリサーチのプロフェッショナル。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

前職の Google ではシニアマネージャーとしてユーザーインサイトや広告効果測定、リサーチ開発に注力し、複数のグローバルのプロジェクトに参画。Google 以前はマーケティングリサーチ会社にて、クライアントのマーケティング支援に取り組むとともに、新規事業の立ち上げや消費者パネルの刷新をリードした。独立後も培った経験と洞察力で、クライアントにソリューションを提供している。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。