2014/03/09

書評「大往生したけりゃ医療とかかわるな」

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」という本がおもしろかったです。

■生と死はセット:自分の死を考えるとは、死ぬまでの生き方を考えること

本書の内容で印象に残っているのは「生と死はセットであり、自分の死を考えるのは死に方を考えるのではなく、死ぬまでの生き方を考えること」。

生と死がセットというのは、死を頭の片隅にでも入れておくことで生きることの有限性を感じ、充実させることだと思っています。

死ぬまでの生き方とはこれからの人生そのもの。突き詰めれば「今」というこの瞬間をどう過ごすかです。



身内など自分と近い親族の葬儀に出たことが何回かありますが、最期の見送りでは棺桶の中にお花をお供えする場面があります。

故人の周りにきれいな花が供えられるのを見て思うのは、棺桶には地位も名誉も財産も何一つ入っていないということ。死んだ後ば何も持っていけないんですよね。

このあたりの人生観 / 死生観をあらためて考えることができる本でした。

■自然死をさせない医療や介護

本書の裏表紙に、内容紹介として以下のように書かれています。
3人に1人はがんで死ぬといわれているが、医者の手にかからずに死ねる人はごくわずか。中でもがんは治療をしなければ痛まないのに医者や家族に治療を勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙句、やっと息を引きとれる人が大半だ。
現役医師である著者の持論は、「死ぬのはがんに限る」。実際に最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない数百例の「自然死」を見届けてきた。
なぜ子孫を残す役目を終えたら、「がん死」がお勧めなのか。自分の死に時を自分で決めることを提案した、画期的な書。

本の構成は、前半で医療や介護には関わらないような「自然死(老衰死)」が書かれています。著者の医療に対する考え方は2つあり、①死にゆく自然の過程を邪魔しない、②死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない。

著者からすると、延命治療はこの原則に反しており、死に際の医療を「虐待」、介護を「拷問」と表現しています。例えば、
  • 食べられなくなれば鼻から管を入れて栄養を与える。鼻以外には、胃瘻というお腹に穴を開けチューブを入れ、水分や栄養を補給する方法がとられる
  • チューブなどが不快感で抜こうとすると、患者の手をベッドに縛り付ける対応もする
  • 死に際になると体力が衰え椅子にまともに座ることもできなくなる。それでも食事の際はリクライニングで起こし、時間をかけて食事を与える。本人はなされるがまま

一方の著者が推奨する「自然死」というのは、医療措置を行わなず老衰で最期を迎える自然のしくみだと言います。痛みや苦しみ、不安や恐怖や寂しさもなく、夢うつつの気持ちのいい穏やかな状態で、まどろみのうちに息を引き取るそうです。

本書によれば人は極度の「飢餓」や「脱水」になると、飢餓により脳内にモルヒネ物質が分泌されて多幸感をもたらし、脱水により血液が濃く煮詰まり意識レベルが下がり、ぼんやりとした状態になるとのこと。

「いかに生きるか/いかに死ぬかは人生の問題で、医療で解決できる問題ではない」と書かれていました。どう生きるかって、普段はあまり立ち止まって考えることはないですが、本書はきっかけを与えてくれる一冊です。




Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...