2015/02/07

書評『日本人のための「集団的自衛権」入門』(石破茂)

自民党 石破茂氏の著書『日本人のための「集団的自衛権」入門』が、わかりやすい本でした。タイトルに「入門」と入っている通り、集団的自衛権についての基本が理解できる良書です。




■集団的自衛権の前に、まずは理解すべき「集団安全保障」

自衛権を理解するためには、「集団安全保障」という考え方をまずは理解する必要があります。

集団安全保障とは、簡単に言ってしまうと、国同士で武力行使をしないという約束をしているにもかかわらず、約束を破り侵略するような乱暴な国が現れたら、その他の仲間の国々が一致協力して平和を取り戻さなければいけない、という考え方です。

もう少し詳細を見ると、対立している国家をも含め,世界的あるいは地域的に,すべての関係諸国が互いに武力行使をしないことを約束し,約束に反して平和を破壊しようとしたり,破壊した国があった場合には,他のすべての国の協力によってその破壊を防止または抑圧しようとする安全保障の概念です。

集団安全保障を実現するために、国連では国連憲章第43条でルールが設けられています。それによれば、集団的安全保障を実施するかどうかは、国連安全保障理事会(国連安保理)で決める、となっています。

集団安全保障という考え方自体は適切なものです。ただし、仕組みとして問題があると思うのは、国連安保理の決定に委ねられているという点です。

国連安保理には5つの常任理事国(アメリカ/イギリス/フランス/ロシア/中国)と10の非常任理事国で構成されています。

仮に、国連加盟国のある国が他国に侵略されたとします。それに対して集団安全保障に基づき、各国が侵略国を阻止するかどうかが国連安保理で決議されます。常任+非常任理事国の合計15ヶ国のうち、9ヶ国以上の賛成で決まります。しかし、常任理事国のうち1ヶ国でも「拒否権」を使えば、たとえ14ヶ国が賛成しても否決されてしまうのです。

何を意味するかというと、もし侵略国が常任理事国と親密な関係にあるとすると、その常任理事国が拒否権を使うことで可決されず、国連安保理の集団安全保障が機能しなくなってしまいます。あるいは、安保理の議論を長引かせることにより、実質的に集団安全保障が機能しなくさせることもできてしまいます。

集団安全保障の考え方は正しいが、現実的に機能するのか?という疑問が出てきます。そこで登場するのが自衛権です。国連憲章第51条には、次のような内容が書かれています。
  • 自国が攻められた場合には、国連安保理の対応が始まるまでの間、つなぎとして個別的または集団的自衛権を行使してよい
  • この2つの自衛権は国家が固有の権利として持っている
  • ただし、何をしたかについては、安保理に報告しなければならない
集団的自衛権を正しく理解するためには、まずは「集団安全保障」を知る必要があると書いたのもまさにこれで、(個別的/集団的)自衛権はあくまで集団安全保障が実施されるまでの「つなぎ」であり、一時的な緊急措置なのです。

■集団的自衛権の「保有」と「行使」

集団的自衛権とは、同盟の他国が攻められたこと = 自国が攻められたものと同等であると考え、同盟国の防衛に関与すること = 自国を守るのと同様であると見なす、という考え方です。

本書『日本人のための「集団的自衛権」入門』で何度も指摘されているのは、集団的自衛権は国家にとっての自然権であることは、すでに国際的には議論の余地はないほど受け入れられている、ということでした。

一方で、日本ではまだこの議論にこだわっているとも言っています。自衛権について個人的か集団的かを分けて喧々諤々の議論がされているのは、日本くらいであると。

もちろん、憲法第9条がある日本という特殊な環境もあるでしょう。

2014年の安倍政権で、憲法解釈変更がなされる際に議論になった論点は、集団的自衛権の行使を憲法上認めるかどうかでした。

それまでの日本の立場は、集団的自衛権の「保有」は認めるが、憲法上「行使」はできない、というものです。権利として持ってはいるだけで、使うことはできない。(個別的自衛権については保有も行使も認めるという立場)

この点について、石破茂氏は以下のように言及しています。
「我が国は集団的自衛権を国際法上保有しているし、憲法上も保有している。憲法上行使もできるが、政府判断としてこれを行使しない」と政府が言ってしまえ ばすっきりしたものを、行使しない根拠を憲法解釈に求め、ましてや「憲法上行使できない」としたところに、そもそもの混乱の始まりがあったのではないでしょうか。

個人的にもこの考え方は説得力があるように思えます。つまり、「保有しているが行使できない」というのは、持っているけど使うことができない、と言っているわけで、釈然としないものがあります。一方で、「保有し行使もできる。ただし行使しない」という、使う権利は持っているが自らの判断であえて「使わない」、ならすっきりします。

■自衛権の憲法解釈は過去に何度もあった

2014年に安倍政権は、集団的自衛権の憲法解釈を変更しました。それまでは「保有しているが行使できない」だったものが「保有し行使できる」としたのです。

当時の報道では、歴史的な憲法解釈変更というトーンが目立ちました。私自身の印象ですが、さも、戦後ずっと変わらなかった解釈が変わったという論調まであったように思います。

しかし、集団的自衛権を認めないとする解釈は、日本国憲法施行の後になって成立しており、そもそも解釈も時代により変わっていったとことはほとんど報じられていないようです。

ざっくりと言うと、戦後すぐの段階では「個別的自衛権を含む一切の自衛権を放棄」としていました。その後、個別的自衛権だけはあるとなりました。そして、集団的自衛権については保有はするが行使できない、という解釈となりました(1981年)。

憲法解釈は時代とともに変わってきたのです。何も、2014年の安倍政権が初めて解釈変更をしたわけではありません。

★  ★  ★

今回、あらためて本書を読んで思ったのは、自衛権に対する自分の理解が断片的であったことでした。

もう1つ、集団的自衛権などの国を二分するような議論が起こっている時、何が問題で議論されているのかをしっかりと見極める必要があると思いました。

例えば、憲法解釈は違憲なのか、解釈変更プロセスに問題があるのか、そもそもの憲法自体に問題があるのか。

あるいは、集団的自衛権の定義を正しく理解しているか、集団的自衛権そのものの考え方を否定するのか(国連で自然権と定められてはいるが)、どういう場合に自国(日本)が攻められたと同等の状況と見なすのか、「行使できる」としたがどういうケースで行使するかの判断基準および判断プロセス。

日本は戦争をする国になる、地球の裏側で戦争に参加することになる、国民の徴兵制が始まるのではないか、などの扇動的なトーンではなく、まずは正しい理解と、問題点を明確にし冷静な議論が必要でしょう。




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