2015/03/14

書評『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(前泊博盛)

現在の日本のことを「日本は他国に支配された占領下にある」と思う人は、まずいないはずです。

そして、多くの人はこう反論するでしょう。「日本は独立した主権国家である」と。

『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』という1冊の本があります。この本を読み進めると、上記の問い、すなわち、日本の国としての状況に向かい合わざるを得ないことに気づきます。
日本は本当に独立した主権国家なのか。
もしかすると、日本はまだアメリカの占領下にあると言えるのではないか。

■日米地位協定とは何か

書籍『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』では、日米地位協定とは何か、その歴史的な経緯、何が問題で、それによりどういった不都合が日本に起こっているかが書かれています。それら問題は、後に述べるように日本の根本に関わるものです。

そもそも地位協定とは、二国間における国民の役割や権利などの地位を規定する協定です。

日米地位協定とは、日本とアメリカにおける権利等を規定するものです。この呼称からだけではわかりませんが、主に在日米軍の日米間での取り扱いなどを定めた協定です。



日米地位協定の歴史的な経緯は以下の通りです。Wikipedia からの引用です。
1951年(昭和26年) - 日本国との平和条約、同条約第6条a項により占領軍のうちアメリカ軍部隊にのみ引き続き駐留を許す日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保)締結
1952年(昭和27年) - 旧安保に基づく具体的取り決めとして日米行政協定に調印
1960年(昭和35年) - 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保)締結に伴い、日米行政協定を日米地位協定として改正。正式に条約とする。
つまり、大きな枠組としては、
  • 日本国との平和条約 (サンフランシスコ講和条約)
  • 日米安全保障条約
  • 日米地位協定 (1952年に日米行政協定として始まり、1960年以降は日米地位協定に)
という3つで構成されています。


■日米地位協定の何が問題なのか

本書から、日米地位協定の位置づけをいくつかピックアップして引用してみます。
在日米軍が独立から60年たった今日でもなお、占領期とまったく変わらず行動するためのとり決め、それが「日米地位協定」なのです( (中略)「米軍地位協定」と呼んだほうが本当は正しいでしょう)。
日米地位協定の本質とは、すでにのべたとおり「アメリカが日本に、望む数の兵力を、望む場所に、望む期間だけ駐留させ、なんの制約もなく行動する権利を確保する」ところにあるからです。
「アメリカが占領期と同じように日本に軍隊を配備し続けるためのとり決め」
「日本における、米軍の強大な権益についてのとり決め」
日米地位協定の本質は、そうした主権国家どうしが結んだ対等な条約の細則という側面にはなく、1945年、太平洋戦争の勝利によって米軍が日本国内に獲得した巨大な権益が、戦後70年たったいまでも維持されているという点にあるのです。

では、米軍が日本で獲得した強大な権益とは何か。

本書では「米軍には大きな治外法権が保障されている」と指摘されています。それにより、日本国民の生命 / 財産 / 権利が侵害されていると言います。具体的には、
  • 米兵たちは罪を犯しても、ほとんど裁かれることがない
  • 日本には米軍の財産についての捜索 / 差し押さえなどを行なる権利を持たない
  • 日本の航空法で禁止されている市街地上空での超低空飛行訓練を行なっている
  • 日本の領土内にあるにもかかわらず、米軍基地内は環境保護の規定もなく汚し放題
  • 米兵でも当然払わなければならない税金や公共料金を払っていない
  • 「思いやり予算」のように日米地位協定に決められていないことまで、「思いやり」という名で超法規的なお金が流れる

例えば、1点目の「米兵たちは罪を犯してもほとんど裁かれることがない」について。

なぜこのようなことが起こるかと言うと、次のようなことが日米地位協定で決められているからです(第17条 [刑事裁判権])。
  • 公務中(仕事中)の米軍関係者は、どんな犯罪であっても日本側に裁判権はない
  • 公務外の米軍関係者についても、犯人の身柄が米軍側にある場合(例: 犯行後に基地内に逃げ込む)、日本側起訴するまでは身柄を引き渡さなくてよい。
身柄を引き渡さなくてよいということは、日本側は逮捕できないことを意味します。逮捕できなければ起訴するのは困難です。また、起訴する前に日本から出国してしまえば、もはやどうすることもできません。

本書では「米軍には大きな治外法権が保障されている」ことで、米軍には次のような状況が与えられていると言います。
米軍はなにも制約されない。日本国内で、ただ自由に行動することができる

■日米地位協定は日本国憲法よりも優先される

本書のタイトルは『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』です。

日米地位協定は、憲法より大切であると言っているのです。

端的に言うと、1959年のある最高裁判決より以降は、(日米地位協定などの)アメリカとの条約が、日本国憲法よりも上位の法体系として存在している、と指摘されます。

この最高裁判決は「砂川判決」と呼ばれ、2014年の集団的自衛権行使容認の議論でも度々登場しました。事件や裁判の詳しい経緯は Wikipedia 等に譲りますが、最高裁は、次の判決を下しました。
憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。
他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない。

この判決のポイントは大きく2つです。

前半で、在日米軍の駐留は日本国憲法(第9条)には反しないことを言っています。

後半で言っている内容が、砂川判決の最大の特徴です。「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約は、憲法判断はできない」と最高裁が認めているのです。(「一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り」という条件はあるが)

すなわち、これにより、日本の法体系において、
(日米地位協定などの)アメリカとの条約 > 日本国憲法
という構図となったのです。

もう1つの問題点として、「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約」というあいまいな表現もあります。「日米安全保障条約のように」という表現なので、安保条約だけを言及しているわけではなく、何を持って「高度な政治性」とするかもわかりません。

この点について、本書からの引用です。
砂川裁判の判決を読めば、少なくとも「国家レベルの安全保障」に関しては、最高裁は憲法判断ができず、この分野に法的コントロールがおよばないことは、ほぼ確定しています。
おそらく昨年(2012年)改正された「原子力基本法」に、こっそり「わが国の安全保障に資することを目的として」という言葉が入ったのもそのせいでしょう。これによって今後、原子力に関する国家側の行動はすべて法的コントロールの枠外へ移行する可能性があります。どんなにメチャクチャなことをやっても憲法判断ができず、罰することができないからです。

原子力基本法は、2015年3月時点での最終改正は2014年6月で、第1章第2条(基本方針)において、次のように謳われています。
第2条 原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。
原子力基本法の全文

★  ★  ★


最後に、やや長いですが、本書『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』からの引用です。
敗戦によって駐留を開始したはずの米軍が、サンフランシスコ講和条約によって「主権国家」となった日本の国内に、すでに70年近くも駐留しつづけています。あきらかに異常な「平時における外国軍の長期駐留」に対し、「米軍の [法的] 地位を明確に律するため地位協定が必要になった」と、「日米地位協定の考え方」(増補版)は地位協定が結ばれた経緯を説明しています。
しかし肝心の「米軍の撤退時期」についてはなにも書かれていません。
そのうえ、すでにふれたように「在日米軍」については、実は「安保条約や日米地位協定上なにも定義がない」ことを、外務省の作成した「日米地位協定の考え方」自身が認めているのです。そのため本来、厳重な規制の対象であるべき在日米軍は、解釈次第でどのような権利ももてる、まさに超法規的存在となっているのです。




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