投稿日 2015/08/08

書評: ぼくらの真実 (青山繁晴)




青山繁晴氏の書籍 ぼくらの真実 は興味深く読めました。



問題の本質は日本国憲法である


拉致問題、北方領土問題、竹島問題、小笠原諸島と伊豆諸島の赤珊瑚密漁問題等、これらが解決しない理由は、根本のところでつながっていると青山氏は指摘します。根本とは日本国憲法です。

以下は本書からの引用です。

憲法といえども、人間の所業です。わたしたち日本国民は、自らの手で本物を造り直さねばなりません。

本物の憲法を作らないから、一の扉で見たように、主権を自ら否定した憲法のままになり、国民を護るという、国家のいちばんの基本が遂行できないでいる。そうだから日本はまだ、独立した主権国家ではない。

この負のサイクルをぐるぐる回っていたのが敗戦後のわたしたちだったのではないでしょうか。

その結果として、拉致被害者という名の罪なき犠牲者を同胞、はらから出してしまい、竹島と北方領土は奪われたままであり、尖閣諸島と沖縄本島を危機に晒し、小笠原諸島と伊豆諸島でみんなが協力して育んできた豊かな珊瑚の自然を強奪されてしまいました。

ぼくは小学生の頃、「日本はどういう憲法であっても、実際に国民が奪われたり、国土を侵略されたりすればちゃんと動くんだろう」 と勝手に考えていました。

ところが実際には、近隣の国々によってとっくにたくさんの国民が奪われ、侵略もされている。だから小笠原諸島と伊豆諸島でのたった今の危機も起きる。すなわち、これからも起きる。このままでは子々孫々にも起きるということです。


GHQ が日本に提示した憲法の原案


本書を読んであらためて考えさせられたのは、マッカーサーら GHQ から日本に提示された CONSTITUTION OF JAPAN (日本の憲法) の存在でした。2015年現在の日本国憲法の原案です。

GHQ 原案と今の日本国憲法の2つを比較すると、日本がアメリカを中心とする連合国に敗戦し、占領期における日本の位置づけが見えてきます。


自国の安全保障を 「外国の国民に依存する」 と書かれた憲法前文


日本国憲法の前文には次の一文があります。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

後半部分について、GHQ 原案には以下のように書かれています。

we have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith to the peace-loving peoples of the world.

本書で青山氏は、次のように指摘します。

日本国憲法の前文は、このアメリカ製の原案を直訳したものだと、あまりにも明白に分かってしまいます。

そのうえで、客観的に言えば誤魔化し、あるいは苦しい工夫も日本文には含まれています。アメリカ製原文を現代の分かりやすい日本語に訳してみましょう。

「わたしたちの安全 (セキュリティ) と生存 (サバイバル) は、世界の平和を愛する諸国民の正義と善意にお願いすることを、もはや決めてしまいました」

現憲法では 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」 とあります。

現憲法での 「保持しよう」 が、原案では国の安全保障を外国の国民に 「頼る」 としています (rely) 。

そのまま解釈すれば、国家としての最も基本的な機能である安全を保障し生きていくことを、外国の人たちに 「依存していく」 と宣言しているのです。


憲法により日本を武装解除したかった GHQ 


ここに、GHQ 原案には憲法によって日本を武装解除する意図が読めます。

同じことが憲法九条にも見て取れます。憲法の二章 「戦争の放棄」 は以下の九条のみで構成されています。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第二項での GHQ 原案は、次のような書き方がされています。

No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.

陸海空軍その他のいかなる戦力について、日本国憲法では 「保持しない」 と表現しています。一方の GHQ 案では 「承認されない (authorized) 」 と書かれています。

陸海空軍だけではなくその他の戦力とあるように、日本はいかなる戦力も持つことが許されなかったのです。敗戦後の占領期当時の日本の位置づけが見えてくる言い方です。日本を徹底的に武力解除するためです。

青山氏は次のように指摘します。

その他の戦力も、となると 「その他」 の定義が何も無いだけに、とにかく日本国には国民がどんな目に遭っても戦う手段が一切無い、軍隊だけではなく何もかも無いということになります。

では一体、日本はどうやって国民を護るのでしょうか。

この素朴にして根本的にして恐ろしい問いへの唯一の答えが、百三条もある憲法のどこにも無くて、本文ではない前文に、どこの誰ともしれない 「諸国民」 の、それも実態が何ひとつ無い 「公正と信義」 に頼れとあるだけです。

これがなぜ 「平和憲法」 でしょうか。

(中略)

言葉を失うようなことが明記されているのは、平和を目指す憲法ではありません。

なぜか。それで平和は築けないからです。現に、日本国民が数多く北朝鮮という外国によってさらわれているではないですか。

平和を実現できないことがとっくに、胸を張り裂けるような犠牲によって実証されている憲法を、なぜ平和憲法と呼び続けるのか。

日本国憲法は、平和憲法ではなく、仮に日本を武装解除した憲法です。

日本が国ではなかった占領下で作られ、公布され、施行されたことと、この事実はしっかりと符号しています。


日本は主権国家ではなく独立していない


本書の冒頭は、「日本は独立していない」 という話から始まります。

日本国憲法の第九条に 「国の交戦権は、これを認めない」 とあります。「日本国にはいかなる場合にも戦う権利がない」 ということであり、例えば北朝鮮による日本人拉致被害者を取り返しにいけないのはそのためです。

地球には200近い主権国家があり、その全てに交戦権があります。交戦権がないと国は国民を護れないからです。

それをあらかじめ放棄しているのなら、主権国家とは言えません。主権国家とは、独立して自らの国家意思で国民を護る国のことでだから、日本は独立していないのです。


真実に目を向け、どう考えるか


冒頭でのこういった展開はあらためて考えさせられます。

交戦権は戦争をしたいからではなく、国民を護るためにこそあります。しかし、日本は憲法により交戦権を否定しているため、中国のサンゴ密漁の漁船団が侵入しても、竹島や北方領土で日本人が殺されても何もできません。

こうした 「真実」 にこそ目を向け、私たち一人ひとりはどう考えるかです。

本書 「ぼくらの真実」 では、一方的に著者 青山氏の意見が押し付けられることは決してなく、読者一人ひとりに問いかけられています。



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書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。