2014/01/05

大切にしたい教育勅語と日本の心

1890年(明治23年)10月30日、明治天皇が直接お与えになったのが教育勅語でした(正式名: 教育ニ関スル勅語)。

教育勅語の文章は天皇が自ら国民に語りかける形式をとります。

12の徳目(道徳)があり、これを守るのが国民の伝統であり、歴代天皇の遺した教えと位置づけ、国民とともに天皇御自身もこれを守るために努力したいと誓って締めくくられています。以下、原文と()内は現代訳です。

  • 父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
  • 兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
  • 夫婦相和シ (夫婦は心を合わせて仲睦まじくしましょう)
  • 朋友相信シ (友だちはお互いに信頼し合いましょう)
  • 恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
  • 博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
  • 學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
  • 以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
  • 德器ヲ成就シ (人格の向上につとめましょう)
  • 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
  • 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
  • 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ (国に危機があったなら正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう)

これらは至極真っ当なことを言っています。つくられたのは明治時代ですが、現代でも通用し時代によらず普遍的なことです。

「教育勅語の真実」という本が興味深かったのは、教育勅語がつくられたプロセスに焦点が当てられていたことでした。

そもそも、教育勅語がなぜつくられたのか。発端は明治天皇が教育現場に憂われたことでした。

その当時、日本は富国強兵・殖産興業の下で西洋文明に追いつくよう一丸となっていました。一方で教育の現場では「とにかく西洋文明を習え」とばかりに行き過ぎのきらいがあったようです。日本の伝統的な教養が教育の場から排除される傾向にありました。

実際の教育現場を見られた明治天皇はこれを問題視され、「西洋の文物を学ぶことは必要だとしても、まず日本人が立脚すべき道徳の根本を教えなければ本末転倒になるのではないか」と指摘されたそうです。

これを受け、元田永孚と井上毅が中心となり教育勅語がつくられます。

井上が起草した教育勅語案にはいくつかの前提がありました。これを知ることであらためて教育勅語の目的がよくわかりました。
  • 教育勅語は他の政治上の勅語とは同様としない。政治の思惑に左右されてしまうような勅語としないため
  • 勅語には天や神などの言葉を入れない。天皇の言葉に「神を尊べ」などと入れば、例えば仏教の考え方には相容れず、宗教の争いを引き起こしかねない。勅語が宗教上の争いを助長したり巻き込まれるようなことはあってはならない。特定の宗教の1つの思想/考え方に限定されないものにし、東洋/西洋の枠を超えた教育の指針とする
  • 「これをしたらいけない」などの表現は入れない。「こうしましょう」という言い方にする

教育勅語には軍国主義と結びつけて捉えられることがあります。つくられた経緯を見るとそんなことはなく、明治天皇、元田や井上などの国を思い、教育への強い信念が見て取れます。内容自体も人としてあるべき姿が簡潔に書かれています。

その後、教育勅語は、1948年(昭和23年)6月19日に、衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」をそれぞれ決議し、教育勅語は排除・失効が確認されてしまいました。GHQ占領の影響が大きかったとはいえ、自分たちの代表である政治家の決定で、教育勅語がなくなってしまったのは非常に残念に思います。

今後、学校教育の場で教育勅語、またはそれに類する教育が復活するかはわかりませんが、自分の家庭教育においては親として子に伝えていきたい日本の心です。






参考: 教育ニ関スル勅語 - Wikipedia


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多田 翼 (書いた人)