#マーケティング #事業領域 #事業インサイトと事業能力
競合がひしめく市場で戦うより、まだ誰も気づいていない潜在ニーズを掘り起こすほうが成功の可能性を秘めています。
では、どうやってそんな 「宝の山」 を見つければいいのでしょうか?
今回は、大阪の 「ぬいぐるみ病院」 の事例から、市場の空白地帯を発見し、熱狂的なファンを生む事業をつくる方法を4つのステップで解説します。
ぬいぐるみ病院
大阪府豊中市に本拠を置く 「こころ」 が運営する 「ぬいぐるみ病院」 は、2013年にぬいぐるみショップとして開業し、翌年から修理サービスを開始しました。
最大の特徴は、ぬいぐるみをモノではなく患者や家族の一員として扱うという世界観です。
修理を 「治療」 と呼び、軽度な損傷の 「一般治療」 から、頭部や手足が失われた重症患者向けの 「ICU 病棟」 まで用意。全身皮膚移植や造形手術といった他では対応困難な高度な対応をしています。
治療期間は、軽傷の治療であれば数カ月、難易度の高い ICU 病棟の修復は1年以内に退院が可能です。
費用は軽傷なら3万円前後、一般治療は4万 ~ 5万円、ICU 病棟での皮膚移植など高度で繊細な修復が必要となる重症患者だと10万円以上かかることもあるようです。特別な要望に応えて、全身に毛を1本1本植えていく植毛手術で49万円 (税込み) を要したケースも存在するとのことです。
ぬいぐるみ病院は、2016年に治療中の様子を SNS で発信していたところ、Web メディアに取り上げられ、ぬいぐるみ病院の名前が 「Yahoo! ニュース」 のトップに掲載されました。
その後にテレビなどの取材が相次ぎ、問い合わせが月約2000件と10倍近く急増。毎月の退院数は約250体、受け入れた患者の総数は累計で約2万4000体に上ります (参考情報) 。
依頼主の7割は女性で、30代から50代が中心です。日本国内だけにとどまらず、中国、台湾、韓国、アメリカ、ヨーロッパなど海外からの依頼もあります。旅行中に預け、帰国時に迎えに来る例や、専用の特別な VIP ルームをつくってほしいと希望するお客さんもいたそうです。
では、ぬいぐるみ病院の事例から、新規事業の立ち上げを成功させる秘訣について掘り下げていきましょう。
新規事業の創出プロセス
新規事業を生み出すプロセスは、大きく次のように進みます。
- 事業領域の選定
- 事業インサイトの発見
- 事業能力の獲得
- 事業の拡大
このフレームが今回の骨子です。
では順番に 「ぬいぐるみ病院」 に当てはめて、具体的に詳しく見ていきましょう。
事業領域の選定
新規事業の成否を分けるのが、どこで戦うかという 「事業領域の選定」 です。
ぬいぐるみ病院の場合、もともとぬいぐるみショップという既存事業から出発しました。その中で顧客から 「綿が減った」 「けがをした」 といった相談が相次いだことから、修理サービスという新たな事業領域に目を向けます。
当時、ぬいぐるみの修理市場は明確なプレイヤーが存在しない空白地帯でした。一般的な修理店は存在しても、ぬいぐるみを 「命ある存在」 として扱い、専門的に修復する事業者はいませんでした。
コロナ禍での癒やしニーズや 「ぬい活」 ブームを背景に、ぬいぐるみへの愛着は深まる一方で、その修理やメンテナンスという領域は見過ごされていたという状況です。
ぬいぐるみ病院は、この 「愛着のあるぬいぐるみを大切に扱いたい」 という潜在ニーズと、それに応える専門サービスの不在というギャップに着目したわけです。
事業インサイトの発見
インサイトとは 「背景知識に基づいた現象解釈による戦略」 を指します。
勝利のカギとなる洞察
客観的な市場データだけではなく、自分たちが持つビジネスの経験や業界の歴史、顧客心理などの 「背景知識」 と照らし合わせます。
そこから 「この戦い方なら勝てるはずだ」 という戦略のカギを発見できるかが、新規事業の成否を分けます。
事業インサイトとは、例えば、顧客の行動や本音から新たな事業アイデアを導く洞察や、既に成功している事業者が使っている能力やノウハウから、自社の得意分野や勝ち筋を再構成するための洞察です。
こうしたインサイトを発掘するために、想定するお客さんの潜在的な 「困りごと」 や 「欲しいけれど手に入らない不満」 などの顧客文脈を深く理解します。競合がまだ捉えていない顧客ニーズに応えていきます。
ぬいぐるみ病院が発見したインサイト
ぬいぐるみ病院の成功は、堀口こみち理事長の個人的な原体験から生まれたインサイトにありました。
幼少期に引っ込み思案でいじめに遭った際、心の支えになってくれたのがぬいぐるみだったという経験。この 「ぬいぐるみは単なるモノではなく、心の支えになる存在」 という洞察が、事業の根幹となります。
さらに重要なインサイトは、顧客からの 「綿が減った」 「けがをした」 という相談の裏にある本音でした。物理的な修理を求めているのではなく、「家族の一員」 として大切にしているぬいぐるみを、同じ温度感で扱ってほしいという願いだったのです。
また、どんな状態でも断らないという方針もインサイトにもとづいてのものです。3cm ほどのお手玉や、原型が分からなくなったぬいぐるみでも受け入れる。これは 「最後のとりで」 として、行き場を失ったぬいぐるみとその持ち主の関係性を守るという使命感から生まれました。
依頼時に記入する 「問診票」 で名前や思い出、綿の柔らかさの好みなどを詳細に聞くのも、売り場に並んだぬいぐるみではなく、依頼主の記憶の中にあるぬいぐるみを再現するというインサイトの具現化です。
事業能力の獲得
いかにインサイトを的確につかんでも、実行する能力がなければインサイトは宝の持ち腐れです。
ぬいぐるみ病院の事業は、独自に積み重ねた3つのコアな能力によって支えられています。それは、技術開発力、顧客対応力、組織運営力です。
技術開発力については、決まったノウハウがない中で試行錯誤を重ねました。
綿の詰め方すら分からず知り合いの布団店に相談するなど、ゼロから技術を構築。特に 「全身皮膚移植」 という、パリパリに劣化した生地を温存してつなぎ合わせる技術は、他では対応困難な独自技術として確立されました。
顧客対応力では、問診票による詳細なヒアリングから、納得いくまで何度でも無料で再修復するという姿勢まで、徹底した顧客目線を貫いています。3年間入院した患者もいたという事例は、その究極の表れです。
組織運営力も着実に強化されました。
初年度は2人体制で月100体未満しか退院できなかったものが、現在は24人体制で月約250体を退院させるまでに成長。治療担当の 「ドクター」 の16人に加え、撮影担当のカメラマン、メール対応の 「ナース」 、美容担当の 「エステティシャン」 など、専門職が連携する組織体制を構築しました。
さらに、世界中のぬいぐるみに対応できる生地のストックや、色が合わない場合の染色技術など、10年かけて蓄積した素材と技術のライブラリーも重要な事業能力となっています。
事業の拡大
ここまで来て、さらなる成長が見込めるならアクセルを踏み込み、事業を拡大させます。
理念にもとづく 「やる・やらない」 の判断
事業拡大においては、企業のビジョンや理念などが判断軸のひとつとなります。
得意領域やリソースだけでなく、「自分たちがやるべき事業か」 という視点が重要です。
ぬいぐるみ病院の歴史には、その判断軸が明確に表れた出来事があります。2016年、メディアで紹介され人気が爆発。問い合わせが殺到し、予約システムがダウンする事態に陥りました。
その時に下した決断は、予約を打ち切ることではなく、今後何年かかっても患者全員を受け入れるというものでした。目先の効率や利益ではなく、行き場を失ってしまう患者を救いたいという揺るぎない理念にもとづいた、自分たちがやるべきことの実践でした。
土台があってこその事業拡大
ぬいぐるみ病院が持続的に成長できているのは、「事業領域の選定」 「事業インサイトの発見」 「事業能力の獲得」 という下地を整え、しっかりとした土台があったからです。
今後の事業拡大フェーズでは、2022年に発足させた 「日本ぬいぐるみ医師会」 による治療ネットワークの拡大や、京都府南丹市での 「ぬいぐるみの森」 「ぬいぐるみ神社」 「納ぬい堂」 の建設など、「ぬいぐるみのゆりかごから墓場まで」 を支える世界初の総合拠点づくりが進められています。
こころの 「ぬいぐるみ病院」 はアフターサービスも充実しています。
退院後の 「美容メンテナンスサロン」 では手頃な価格でメンテナンスを提供します。「おふろエステ」 では低刺激シャンプーでの洗浄や、アンチエイジングケアまで用意されています。
これらの展開は、ぬいぐるみと人との関係性を生涯にわたって支えるという一貫した理念にもとづきます。しっかりとした土台と、ブレない判断軸。この両輪があってこそ、事業は健全に拡大していくわけです。
まとめ
今回は、大阪にあるこころの 「ぬいぐるみ病院」 の事例を取り上げ、学べることを見てきました。
最後にポイントとして、新規事業を進める4つのステップのまとめです。
- 事業領域の選定: 既存プレイヤーが手をつけていないホワイトスペースを見極め、顧客の潜在ニーズと市場ギャップを特定する。戦う場所を戦略的に定める
- 事業インサイトの発見: インサイトとは 「背景知識に基づいた現象解釈による戦略」 。顧客の行動や本音から新たな事業アイデアを導く洞察や、既に成功している事業者が使っている能力やノウハウから、自社の得意分野や勝ち筋を再構成するための洞察
- 事業能力の獲得: 発見したインサイトを事業として実現するために、必要な能力 (技術力, 顧客対応力, 組織運営力など) を、小さく試しながら磨き上げ着実に構築し、独自の強みとして確立する
- 事業の拡大: 目先の効率や利益ではなく 「自分たちがやるべき事業か」 という理念を判断軸とし、築き上げた土台とブレない軸をもとに、事業を健全に成長させる
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